全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2009年09月

関所橋からの風景・今昔


北側方面から木曽福島の関所に行くには、「関所橋」を渡り、国道を越えるのですが、
木曽川には、町内にいくつもの橋が架かっていて、中でも「関所橋」は大きいものです。

関所の隣り、「高瀬家」には古い関所橋の写真が飾ってありました。

イメージ 1

今では滅多に見られない、木曽独特の石置屋根がこんなに・・・
これは、いつ頃の写真でしょう??

イメージ 2


私は、関所橋の中央から撮っています。
上の写真とほぼ同じ所が写っていると思います。

長野・木曽町/木曽福島関所跡


木曽福島には、日本四大関所(箱根・新居・碓氷・木曽福島)のひとつと呼ばれる関所がありました。
地理的に難所ということもありますが、関所あらためが、さぞや厳しかったんでしょうね。

断崖に造られていますが、中山道の径路を紹介したものを見ると、
わざわざ、この高所を旅人が迂回するように設置されたことがわかります。
有事には、関所を封鎖して、江戸の守りを固めたという事らしいです。

手前の石垣の下は木曽川、クルマが行くのは国道19号線、その上に復元された関所跡。
右側斜めに国道(中山道)に降りていく石段が「池井坂」だと思います。

イメージ 1


さらに上段には、JR中央本線が走っています。

イメージ 2

●東門(復元)
イメージ 3

イメージ 4

●関所建物(復元)
昭和53年(1978)国史跡に指定されている。

イメージ 5

イメージ 6


イメージ 7


ズーッと以前に木曽福島に来て、木曽川を眺めた記憶があったのですが、ここだったのかな~?
こんなに高い位置だったのかと、あらためて驚きました。

                             (木曽福島 2009年9月15日)

長野・木曽町/旧森林技術第一センター(旧宮内庁御料局木曽支局)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

昭和2年(1927)建築。

興禅寺の脇道を歩いていたら、偶然この建物に出会いました。
近くにあった看板によると

「この洋風建物は、森林・林業の技術開発・普及指導を行う森林技術第一センターです。
木曽谷の森林は、徳川幕府の尾張藩有林から、明治になって皇室財産の御料林となり、
明治36年(1903)木曽谷一円の御料林を管理経営するため、宮内庁御料局木曽庁がおかれ、
木曽谷初めてのモダンな洋風の庁舎が、この地に建てられました。
しかし、昭和2年(1927)5月、木曽福島町の大火により焼失し、同年12月旧庁舎の姿をほぼ
そのままに再建され、当時の皇室の威風を伺い知ることができます。ー後略ー」

JIA長野クラブのHPによると、
☆建物
大正から昭和初期における建造物の中で数少ない洋風建築で、玄関・階 段・天井・窓枠など木曽の森林を管理した皇室の威風を伝えている。
明治41年木曽支局の下、贄川、薮原、福島、王滝など8出張所及び上松運輸出張所が設置されたが、現存するのは唯一この建物のみである。
全国的に見ても旧青森営林局庁舎とこの庁舎のみが残され、当初の洋風の様式を現在に伝える貴重な建物である。

☆組織としてのその後
 戦後、木曽の山は国有林として管理され、長野営林局庁舎として使用された。
国の組織変更により、昭和32年長野営林局が長野に移転したため福島営林署として、平成7年上松営林署と統合し長野営林局森林技術センターとして、平成11年中部森林管理局となったことから「森林技術第一センター」と名称を変更、平成16年同センター廃止。
 平成18年木曽森林管理局長より「国有財産の買受希望」が町に提示され、庁内での利用検討会議や地域協議会からの提案、保存をすすめる会の要望などを受け、平成21年買受を決定。
土地と建物が町の財産として残されることとなった。
しかし再利用の用途の問題、管理運営や耐震補強などの経費の問題など有効な利用方法が見当たらないのが現状である。

観光協会のHPや観光マップには、掲載されていませんから、訪問する人は全くいません。
建築ウォッチャーとしては、出会い頭に発見する楽しさはありましたが、
内部もそれなりに立派な建物のようですから、公開していただきたい!!
「興禅寺」の隣りと、立地は悪くない所ですから、何とか活用されるといいですよね!

                               (木曽福島 2009年9月15日)

長野・木曽町/興禅寺の三つの庭

長野県の木曽福島にある「興禅寺」へ、好きな重森三怜の庭を観に行きました。
重森三怜の代表的な作品には、東福寺方丈 松尾大社庭園 などがあります。

また、このお寺には、重森作品だけではなく、江戸・昭和・平成と各時代の庭があるのです。

●萬松山興禅寺(ばんしょうざんこうぜんじ)
 木曾義仲の菩提を弔うために、木曽氏が改修したもの。
寺の裏には、木曾義仲はじめ木曽氏代々、関所代官山村家の墓所もあります。

イメージ 1

イメージ 2

●万松庭  金森宗和作 江戸中期

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5


●看雲庭 重森三怜作 昭和38年(1963)
 石で木曽の山々を、白砂で雲を表現しているそうです。
 雲を象った文様はコンクリートで造られています。
イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12


●昇龍の庭 小口基實作 平成11年(1999)
イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15


看雲庭では、庭で美術展や、ステージを置いて演奏会をしたりするそうです。
市松模様の露台では、庭を観賞しながらガーデンパーティーも、
庭とは単に鑑賞するだけのものではない、というお寺の考えだそうですけど・・・・

                                  (2009年9月15日)

長野・諏訪/旧片倉懐古館 (現・諏訪市美術館)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

昭和18年(1943)建築。

片倉館と同じ敷地に建っています。片倉氏が建てた「片倉懐古館」を前身としています。
製糸業者だっただけに、「蚕」と「懐古」をかけている?(考えすぎ??)

設計者を調べましたが、ハッキリと分かりません。
片倉館や片倉別邸を設計した森山松之助かとも思いましたが、
彼は辰野金吾(東京駅・日銀などを設計)の弟子なので、帝冠様式の設計などは考えられない。

帝冠様式は西洋風な建築が邁進していた頃に、一部の設計者に、日本の文化を見直そうという気運がおこったのではないでしょうか? ザックリ表現すると、ビルにお城の屋根を乗せたようなものです。

明治初期、和風建築に洋風を取り入れたのが『擬洋風』とよぶならば、
帝冠様式は、昭和初期の『擬和風』じゃないの?と、私は思うのです。

ちなみに、辰野が海外留学中のエピソードとして、「日本を代表する建築は?」と聞かれ、
「ありません」「ひとつぐらいはあるのでは?」「一切ありません」と答えたとか・・・
それくらい、彼はやたらと西洋に傾倒していたのです。

この日は月曜日で定例休館日。内部には入れませんでした。
                             (諏訪市湖岸通り 2009年9月14日)

諏訪市美術館の建物について -帝冠様式-

明治後期から昭和初期にかけて諏訪地方で発展した製糸業は、この地域に経済的な活性化をもたらすととともに、日本の近代化を推進するおおきな役目を担いました。
その諏訪の製糸業を代表したのが片倉組(片倉製糸)でした。
片倉家は川岸村(現岡谷市)の旧家であり、近代以降この地の製糸業発展の中心的存在でした。

 当館隣の「片倉館」は、そうした時代、片倉財閥によって欧米の健康福祉施設を参考に、地域住民のための福利厚生施設として1928(昭和3)年に造られました。
戦時中の1943(昭和18)年には付属施設「懐古館」が隣接して建築され、美術品や蚕糸関係の展示が行われました。
終戦後は諏訪地方の美術家達が借り受け「諏訪美術館」として積極的に活用し、芸術文化発信の拠点となります。
 そんな懐古館は1950(昭和25)年諏訪市に寄贈され、1956(昭和31)年「諏訪市美術館」として開館しました。
近代美術の美術館としては県内で最も古く、国内では東京都美術館、大原美術館、京都市美術館、神奈川県立近代美術館に次いで5番目に古い美術館と言われています。

 建築構造は「木筋コンクリート土蔵造平石腰張瓦葺二階建」です。
「平石」というのは、地元産の鉄平石という板状節理(ばんじょうせつり)の複輝石安山岩のことで、長方形に割ったものを外壁の腰周りから一部は上部にも張って「石造」の趣を演出しています。
 一階の展示場は5本の円柱が天井をささえ、白い漆喰塗りの壁と梁には微妙な曲線を持った装飾が施されています。
 二階は柱がなく天井の長い梁には優美な湾曲がつけられています。
階段の手すりも擬宝珠(ぎぼし)の付いた木製で、全体として白と木の褐色が温かく、またシックな雰囲気が特徴です。

 当館の建物は、一見してお城あるいは銭湯のような不思議な雰囲気を持っているといわれます。
これは「帝冠(ていかん)様式」という独特な様式によって建てられているからです。
帝冠様式は主に昭和5年から15年頃の短い期間作られた建築様式で、基本的には建物本体が洋風のコンクリート製、屋根は和風の瓦屋根です。
西洋の近代的な構造を取り入れながらも、伝統的な日本的意匠を引き継ごうとした時代の折衷様式といえます。
「東京国立博物館本館」「 京都市美術館」「歌舞伎座」「愛知県庁」「神奈川県庁」「名古屋市庁舎」などが代表的な例として挙げられます。

 近代的な美術館にはない、レトロでシックな雰囲気の中で、作品とともにゆったりと流れる時間をお楽しみください。

                            諏訪市美術館 2006/12/10
読者登録
LINE読者登録QRコード
メッセージ

名前
メール
本文
最新コメント
ギャラリー
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 鮭の野菜あんかけ
  • 豚肉と筍の混ぜご飯
  • 鯵の丼 2種
  • 鯵の丼 2種
  • 鱈とたらこの親子パスタ
記事検索
アーカイブ
  • ライブドアブログ