全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2009年12月

My Collection 工芸編 6 蕎麦ざる(青森)

12月31日(木)

とうとう2009年もお終い、おおつごもりですね!

「大晦日、年越し蕎麦は年を越える前に食べる方が縁起が良い」とニュースにありましたね。
私は年をまたいで食べています。

年末にうどんを戴いたので、それでも良いかな?と思いましたが、
やっぱり、ここは定番のお蕎麦にしよう!ということになりました。


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この蕎麦ざるは、青森県弘前の「みかみ工芸」で買ったものですが、
見たとおり、真ん中が盛り上がってます。
職人技ですね~「少しの量でも沢山あるように見える」とお店の方はジョークで
言っていましたが、水がとても良く切れるスグレモノ!

今夜は美味しいお蕎麦を食べましょう~


                今年一年お世話になりました。
                皆さま、良いお年をお迎えください。

大根の月

12月30日(水)

27日から三重のほうに行ってきました。
それは、また来年になったらアップいたします。
お正月三が日は私も皆さんもゴロゴロしてましょ~~(^^)


さて、午後も3時頃になると月が見えてきますね。
向田邦子の『思い出トランプ』の中に「大根の月」という短編があります。
料理自慢の主婦が、包丁で子どもの指を誤って切断してしまうことから露わになっていく家庭の歪みを書いています。

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私も料理をし始めた頃に昼間の月を見て「薄切りに失敗した大根みたい・・・」と思ってました。

向田さんと感性が同じか!と喜びましたね~
もうひとつ言えば、『荒城の月』の「めぐる盃」を「眠る盃」と思っていた・・・なんてことも。


こんな時間に空を見上げるなんて、日常では滅多にないことですよね。
久しぶりに「大根の月」を思い出しました・・・・

さぁ~、そろそろお煮しめの準備をしなくては・・・
お正月にご馳走いろいろあれど、やはり煮物はいいですよね~

岡山・瀬戸内/牛窓『しおまち唐琴通り』じゃらん4 ・「関町~中浦」界隈

この辺りも旧家と古い商店が並ぶ
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旧牛窓郵便局 この表(海側)が旧警察署の「海遊文化館」になる。

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◎中浦地区
造り酒屋 現在は操業していないと聞いたが・・・
この先を登っていくと「牛窓オリーブ園」に辿りつく。
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関町を過ぎると、中浦・綾浦・紺浦と集落が西へ向かってのびている。
中浦・綾浦・紺浦は、江戸時代は、牛窓の枝郷となっていた地である。
今日、これらの集落は牛窓4町と町並みつづきになっているが、昔は、独立性をもった集落として発達したそうです。

*牛窓の歴史・地図についてはNo1「東町」編をご覧ください。
                                (牛窓 2009年11月21日)

岡山・瀬戸内/牛窓『しおまち唐琴通り』じゃらん 3・「関町」界隈(牛窓往来起点の町) 


この日は連休なので、午後からイベントがあるそうで、だんじり小屋も開けられていた。
祭りの当日は、笹や提灯でだんじりをお化粧するようです。
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牛窓的コンビニエンスストア
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●『備中屋高祖酒造』 国登録有形文化財(主屋 蔵 煙突)
 「千寿」を醸造しています。この建物は現在使われていないとか・・・
 主屋 明治中期建築
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 蔵 天保年間(1830~1844)建築
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●『マサモト写真館』
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木造3階建て。
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焼き板の壁も最終的にはこうなるかという見本。
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現在の通りの愛称ですが、かつて潮待ち港として賑わった事や、潮が速いため波の音が琴のように聞こえる「唐琴の瀬戸」にちなんでつけられたそうです。

関町は岡山城と牛窓を結ぶ「旧牛窓往来」(岡山~益野~西大寺~牛窓)の起点の地だったそうです。
次の日、西大寺からバスで山越えして牛窓に帰りましたが、あの道路は一部そうだったのだろうか?

この辺りは、今村昌平監督の映画「カンゾー先生」のロケ地だったそうですが、
見ていないのでよく分かりません。

*牛窓の歴史・地図などはNo1「東町」編をご覧ください。

                              (牛窓 2009年11月21日)

江戸時代当初の牛窓村は、岡山城下に次ぐ岡山藩領内第2の都市として繁栄し、3町3浦から成り立っていた。
町分である東町・西町(現在の本町を含む)・関町は商売自由の町人地で、関町の西にある本蓮寺山門下には「町口関貫」とよばれる木戸(格子状の扉がついた冠木門)と辻番所があり、夜間は木戸が閉ざされて、農村部(浦分・村分)である中浦・綾浦・紺浦とは隔絶された町場となっていた。
木戸が設置されている本来の目的は、治安・軍事上の問題であるが、農村部の農民を貨幣経済から切り放し耕作に専念させるためでもあったのである。
現在でも、山間部の集落である幡区・師楽区などの古老たちには、スーパーやコンビニのある町中へ出てくることを「町へ出る」と称する慣行が残っている。江戸時代の名残が現代でも潜在的に残っているのである。

牛窓神社(当時は牛窓八幡宮)の祭礼では、この日だけ一日中無礼講で木戸が開けられて往来が自由であったという。
牛窓神社の祭礼は、延宝4(1676)年に再興されるが、藩主の「武運長久」を祈願するという神事であったため、祭礼の詳細はわからないが、牛窓を預かる牛窓在番に御御輿の巡幸行列を上覧させるような形態であったのかも知れない。
また、祭礼日は、8月15日(旧暦)とされていたが、藩主が病気の時や喪中の時には鳴り物が禁止されるので、延期されたり中止されたりしている。
村からは数名ずつが参加するものの御神輿は巡幸はせず、ほとんど町衆が独占する祭礼であったといえる。

カレンダーの準備は?

12月26日(土)

今年も残りわずかですね。

カレンダーの準備は済みましたか?
この時期発売される雑誌には、必ず付録でついてきますね。

私は壁に掛けるカレンダーは部屋がゴチャゴチャするので使いません。
あまり、デザイン的に好きなのも無いし~
唯一飾るのはサントリーで貰う物かな?それも洗面所に・・・


卓上カレンダーをパソコンの近くに置いてあります。
来年は「タンタン」絵本のキャラクターです。これが大好きなんです。

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以前買った万年カレンダーを見つけました。
レゴブロックの形になっていて、組み合わせを毎月変えれば一年中使えるという物。
久しぶりに、これも使ってみようかな・・・
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*明日から3日間ほど、ブログの更新をお休みします。
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