全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2011年05月

大阪・大阪 / 通天閣



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名称:通天閣(つうてんかく)国登録有形文化財(平成19.05.15)

年代: 昭和31年(1956)
設計:内藤多仲
施工:奥村組	
構造及び形式等:本体:鉄骨鉄筋コンクリート造り
        下部:四角型桁式加構自立型/中部:八角型桁式加構自立型
        上部:円型/塔高:地上100m/幅:24m/脚間:24m

        補助棟:鉄骨鉄筋コンクリート造り
        展望台構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り(周囲ガラス張り2階建て)
        位置 塔体上部に位置する 1階床まで84m、2階床まで87.5m 
        面積 1階:103.96㎡、2階:142.80㎡

        建屋構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
             面積 3階:648.59㎡、2階:615.20㎡、中2階:309.09㎡
        1階補助エレベーター棟 85.28㎡、地階 860.23㎡	

登録基準1: 国土の歴史的景観に寄与しているも	
所有者名:通天閣株式会社
 	
解説文:難波の東南に位置する。
    脚部をSRC造とした103m高の鉄塔で,塔の東側には円筒形の補助塔を設ける。
    四角形から八角形に平面形状が変化する塔身に独特な形状の展望台を戴き,
    四周に広告用等の施設を付設し,大阪のシンボルとして広く親しまれる。
●内藤多仲(ないとう・たちゅう 1886 - 1970)について

山梨県中巨摩郡櫛形町(現在の南アルプス市)出身。
東京帝国大学(現在の東京大学)で最初は造船学を専攻していたが、日露戦争後に予想された造船不況を考慮して建築学に転向し、佐野利器に師事した。
1910年に大学を卒業後、大学院で耐震構造の研究を行い、1913年には早稲田大学の教授に就任した。

1916年にアメリカへ留学した際、旅行用トランクの仕切板や、船の構造から着想を得て、耐震壁に着目した耐震構造理論を考案した。
この理論に基づいて構造設計された日本興業銀行本店(1923年竣工)は、関東大震災でほとんど被害を受けなかったため、耐震構造理論の有効性が実証された。
他にも、歌舞伎座や通天閣などの構造設計も担当した。 
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<主要作品>
1923年 日本興業銀行本店
1954年 名古屋テレビ塔
1956年 通天閣
1957年 さっぽろテレビ塔
1958年 東京タワー

建築design.net(けんちくデザインドットネット)より転載

内藤多仲は、日本の建築構造技術者・建築構造学者。「耐震構造の父」と評される。
戦後は多数の鉄骨構造の電波塔・観光塔の設計を手がけ、「塔博士」とも呼ばれた。
 
TV番組で見ましたが、内藤氏は、計算尺の達人で、ほとんど計算尺で設計したそうです。
子どもの頃、我が家にもありましたが、全然使い方が分からなかったです。
私にはとても難しい機器に思えました。

この狭いスペースに、100mの塔を建てられたということだけでも、尊敬できます。


*通天閣からの眺め

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上から見下ろすと、新世界は意外と地味に見える。

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*初代通天閣と遊園地(ジオラマ)

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1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年(明治45年)7月3日に「ルナパーク」と共に建設された。

設計は設楽貞雄。建設費用は約9万7000円で、当為の入場料は10銭。
300尺(91メートル)という触れ込み(実際は250尺/約75メートル)で、その当時東洋一の高さを誇っていた。
通天閣は、ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれており、人々に親しまれていた。
大阪で2番目(非貨物専用としては最初)の昇降機が設置され評判となった。

現在の二代目と同じように塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり(1920年に導入)、当時の広告は「ライオン歯磨」であった。

                                    ーーWikipediaより抜粋ーー

なんだか、とっても楽しそうですよね。

図面を見ると、通天閣を中心とした都市計画がされていますね。
展望台から眺めると、一部まだ残っていました。


                         (浪速区恵美須東一丁目 2011年5月12日)


大阪「海遊館」拾遺 2・舞妓はん




タイトルで「舞妓はんが水族館で泳いでいるのか?!」と、早とちりしてはイケマセン(^^)


置屋のおかあはん達と一緒に、見に来ている様子でした。


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大阪で舞妓さんを見るとは!
 
彼女は実に可愛らしく、小さな子どものように夢中で魚を見つめていました。

お稽古やお座敷で忙しく、この年頃の女の子らしいことは出来ないんだろうな・・・
もしかしたら、水族館も初めてかも・・・(私の想像にすぎませんが)


ホノボノとしつつ、いじらしくも思える光景でした。


                                     (2011/05/12)


大阪・大阪 / 天王寺公園



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●慶沢園(けいたくえん) 大阪市指定文化財

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 純日本風の庭園として知られる慶沢園は、住友家がこの地に移った際、約10年をかけて本邸(茶臼山邸)とともに造営した庭である。
 当時の住友家15代吉左衛門(号は春翠)は明治28年(1895)からこの地の用地買収を始め、同41年に着工した。
大正4年(1914)にはまず本邸を鰻谷から移転したが、その間、春翠は庭園を「恵沢園」と命名し、大正7年の完工時に「慶沢園」と改めている。

 この庭園の設計・施工を担当したのは当時の高名な庭師であった「植治」こと小川治兵衛である。

治兵衛は山県有朋の無隣庵を手掛けて以来、京都を中心に活躍し、日本の近代造園に大きな足跡を残した造園家で、彼の手になる庭園は国や京都市の名勝などに多く指定されている。

 慶沢園は、大名庭園をモデルとした林泉式回遊庭園である。中島を浮かべた大池を中心に、三方に築山を築き変化に富んだ地形をつくり出している。周辺には園路や飛石、橋をめぐらせ、茶室や四阿(あずまや)が配されている。

 大正14年(1925)、住友家は神戸住吉に本邸を移し、翌、昭和元年に敷地12,940坪を大阪市へ寄贈した。
 昭和9年(1934)には一般公開され、同11年に敷地西半の住友邸宅跡に市立美術館が完成したが、敷地東半の慶沢園は戦後の昭和33~35年ごろに本格的な整備が実施され、今日に至っている。

 敷地の東端部が削られたり、邸宅部が美術館に建て替えられた際、庭園の周辺部は改造を受けているが、池をはじめとした中心部は、竣工時の状態をよく保っている。

*住友家:江戸時代からの大坂の豪商。
     初代は京都で書籍・薬種商を営んだが、2代目から銅精錬業・銅商を営み、大坂へ進出した。
     近代に至り、財閥に成長した。

*小川治兵衛:明治中期から昭和初期にかけて活躍した造園家で、近代造園のスタイルを確立した。
       東京の西園寺公望邸・倉敷の大原孫三郎邸などのほか、平安神宮や円山公園といった
       大規模な公共造園を手掛けた。

                                     ーー大阪市HPより転載ーー

●黒田藩長屋門

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中之島周辺にあった諸藩の蔵屋敷のうち、黒田藩屋敷の長屋門が移築されたもの。

明治42年(1909)に開設されたという、長い歴史のある公園だそうです。
広い園内(28万㎡)には、旧住友家の名園・慶沢園や茶臼山古墳、市立美術館があります。
かつては天王寺図書館や天王寺公会堂、野外音楽堂もあったとか。
昭和62年(1987)に開設された「天王寺博覧会」を契機に、水と緑を取り入れた公園へと一新。


かつて、露店カラオケの強制撤去騒動があったそうですが、ニュースで報道されてましたね。
確かに、この雰囲気に騒音まがいのカラオケが流れていたら、落ち着いて鑑賞できないですね。


住友家が庭園を作ったのが明治43年(1910)、大阪市に寄付したのが昭和元年、19,800㎡ の広い庭園は緑が深く、静かなたたずまいです。

有名な庭師・小川治兵衛の作だというのは、後になって知りました。
さすが財閥、当時の一流どころに依頼していますね。写真を撮っておいて良かった!と思いました。



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*公園地図は、大阪市スポーツ・みどり振興協会HP「アドべニール」より転載



                            (天王寺区茶臼山町 2011年5月12日)


大阪「海遊館」拾遺 1・カピバラ




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水族館にカピバラがいるのが不思議だけど、水辺に住む動物ということ?

でも、伊豆のシャボテン公園では温泉に入るから、いいか!?

カメラ目線いただきました~! 「わし?」なんて、ノムさんの声がしそう・・・(^^)



                                      (2011/05/12)

京都・京都 / 旧村井銀行 五条支店(現・京都中央信用金庫 東五条支店)



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大正13年(1924)竣工
設計:吉武長一
施工:清水組
構造:レンガ造2階建、石貼り


吉武は、米国ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学び、明治のたばこ王・村井吉兵衛のお抱え建築家として村井銀行本店を始め、京都市に現存する村井銀行の各支店を手掛けた。

装飾の施されたアーチ窓、屋上の石材による装飾手摺(パラペット)など、重量感があり、柱が強調された意匠が特徴。
この建物もコンパクトですが、堂々とした銀行らしい建物です。



                       (東山区五条大橋東入ル北側 2011年5月11日)
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