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浅野川の東岸に位置する「ひがし」は、文政3年(1820)犀川西岸の「にし」とともに公許され、形成された茶屋町です。 街路に面して、一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を設ける「茶屋建築」が連なっています。 京都・祇園の茶屋町と並び、これら江戸時代後期から明治初期にかけての茶屋建築がまとまって残されている「ひがし」は、日本の華麗な茶屋文化を今に伝える貴重な町並みです。 ーー金沢市HPより転載ーー
●箔座ひかり蔵
●不室屋支店
●菓子司・森八
●お茶屋文化館(旧中屋)
文政3年(1820)に建てられたままの貴重なお茶屋の建物内に、芸妓の黒髪を飾った櫛、笄、簪を始め、もてなしの宴を彩る加賀蒔絵、加賀象嵌、九谷焼などの優美で繊細な道具類を多数展示しています。建物及びこれらの諸道具を通じ茶や文化に触れることができます。
●円長寺
天正14年(1586)創建。慶長元年(1596)当地において建立した。 由来によれば、加賀藩三代藩主・前田利常が卯辰山周辺に鷹狩りを行った際、たびたび小休憩所としてこの寺を利用したと伝えられている。 その縁により、没後利常の位牌を守り、現在も安置されている。 (現地案内板より)
名称:金沢市東山ひがし 国指定重要伝統的建造物群保存地区 (平成13.11.14) 種別1:茶屋町 面積:1.8ヘクタール 選定基準1:(一)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの 解説文:文政3年(1820)犀川西側の「にし」とともに「ひがし」の茶屋町として浅野川の東岸に整形な街区が形成された茶屋町です。 街路に面して、一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして二階に座敷を置く茶屋の形成を示す町家が連なっています。
藩政時代の城下町では、一般住宅に二階建ての建物を許可しなかったのは、全国的なことですが、
金沢の茶屋街は、例外で二階建てが許され、主に二階が客室になっていたので、概ね一階部分に劣らない高さがあります。
金沢の茶屋街は、例外で二階建てが許され、主に二階が客室になっていたので、概ね一階部分に劣らない高さがあります。
No2は、メインストリート中央から1本奥まった通りを巡って、茶屋街を出たところまでです。
(東山1丁目 2011年6月3日)