別名:勝山城、指月城
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:連結式層塔型4重5階
築城主:細川忠興
築城年:慶長7年(1602)/ 昭和34年(1959) RC造復興
主な改修者:小笠原氏
主な城主:細川氏、小笠原氏
廃城年:慶応2年(1866)
遺構:石垣、堀
指定文化財:なし
再建造物:天守、模擬櫓、庭園
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:連結式層塔型4重5階
築城主:細川忠興
築城年:慶長7年(1602)/ 昭和34年(1959) RC造復興
主な改修者:小笠原氏
主な城主:細川氏、小笠原氏
廃城年:慶応2年(1866)
遺構:石垣、堀
指定文化財:なし
再建造物:天守、模擬櫓、庭園
小倉城は慶長7年(1602)細川忠興が豊前32万石のシンボルとして築城した唐造りの城。
その後小笠原15万石の居城となったが、明治維新前の慶応2年(1866)の長州戦争で焼失した。
その後小笠原15万石の居城となったが、明治維新前の慶応2年(1866)の長州戦争で焼失した。
小笠原忠真は、徳川家康のひ孫という、エリートの家柄であり、恵まれた境遇や財力を活かし、巨大な船を建造し、紫川の船溜まりに並べ、通りかかる諸藩に力を見せつけた。
また、塩飽(しわく)水軍の力なども借りながら、中国との海運貿易事業を活性化させる。
また、塩飽(しわく)水軍の力なども借りながら、中国との海運貿易事業を活性化させる。
また、小倉は九州に設けられた各街道への入り口ですから、幕府にとっては厄介な薩摩など、各藩の動きをバッチリ押さえていました。
海から街道から新しい物が集まり、通って行く場所ですから、大いに栄えて賑わったと想像できますね。
海から街道から新しい物が集まり、通って行く場所ですから、大いに栄えて賑わったと想像できますね。
また、小笠原藩は、小笠原礼法を興したことでも知られています。
少し前までは、女子のお作法と思われがちでしたが、当時は武士の礼法だったとか・・・
少し前までは、女子のお作法と思われがちでしたが、当時は武士の礼法だったとか・・・
城跡は、復元天守を中心に「勝山公園」となっています。
天守は、創建当時はとても変わった形ということで(だから「唐」造り)評判になったようですが、その後この形を真似る城が増えたのだそうです。
確かに、不安定の安定・・のような、不思議なカッコ良さを感じます。
五層めの黒い板張り部分が、粋なアクセントになってます。
五層めの黒い板張り部分が、粋なアクセントになってます。
関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。 この地を抑えるために 繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。 小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはし あきたね)や毛利勝信(もうり かつのぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわ ただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。 忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。 細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真(おがさわら ただざね)が、1632年に入国。 小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。 この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄しました。 小笠原忠苗(ただみつ)の時期には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつくられています。 しかし、1837年城内から発した火災によって全焼。2年後に再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。 幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。 明治10年(1877)の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征しました。 その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。 太平洋戦争後は米国に接収されましたが、昭和32年(1957)に解除され、昭和34年(1959)市民の熱望によって天守閣が再建されました。 この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。 また、城の石垣は切り石を使わない野面積み(のづらづみ)で、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。 解説文は小倉城HPより転載 立面図はHP「文化財学三浦研究室」より借用
(小倉北区城内 2013年4月12日)
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