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●雷門(風雷神門)
昭和35年(1960)竣工 設計:田辺泰 構造:鉄筋コンクリート造
☆風神、雷神像
頭部が江戸時代、胴体は明治時代、昭和に補修彩色された、時代を超えた合作。
☆龍神像
平櫛田中、菅原安男作(1978)
●宝蔵門
昭和39年(1964)竣工 設計:田辺泰 構造:鉄筋コンクリート造
●五重塔
昭和48年(1973)竣工 構造:鉄筋コンクリート造
●本堂(観音堂)
(写真は「東京の観光公式サイトGO TOKYO」より転載) 昭和33年(1958)竣工 設計:大岡実 構造:鉄筋コンクリート造
天井図は「龍之図(川端龍子)」「天人之図(堂本印象)」
●宝きょう院塔
浅草のランドマークと言える「浅草寺」
東京における最古の寺院といわれ、寺伝によれば、推古天皇36年(628) ひのくま浜成、竹成の兄弟が、漁撈中、観音像をあげたことに始まるとか。
天慶5年(942)には平公雅、さらに江戸時代に三代将軍家光が堂塔伽藍を寄贈した。
天慶5年(942)には平公雅、さらに江戸時代に三代将軍家光が堂塔伽藍を寄贈した。
度重なる火災で18回も炎上し、その度再建された。
最後の火災は東京大空襲で、境内がすべて焼き尽くされたという。
最後の火災は東京大空襲で、境内がすべて焼き尽くされたという。
まず、再建されたのは本堂で、設計者の大岡実は、文部省嘱託となり戦前から文化財の保存修理を担当しており、名声があった。
しかし、国宝・法隆寺金堂壁画の保存事業で、失火によって壁画が焼けてしまう失態をおかす。
なんでも、担当者が電気座布団のスイッチを切り忘れた加熱によるものだったそうです。
なんでも、担当者が電気座布団のスイッチを切り忘れた加熱によるものだったそうです。
当然、責任者だった大岡は責任を問われ、職を追われてしまう・・・
失意の大岡に浅草寺再建の依頼がやってくる。
新本堂の設計及び工事監督は、当初から伊東忠太に定めてあったが、この頃には伊東も高齢となっていたので、然るべき人物ということで大岡を紹介する。
大岡も恩師の指令もあり、快諾した。
新本堂の設計及び工事監督は、当初から伊東忠太に定めてあったが、この頃には伊東も高齢となっていたので、然るべき人物ということで大岡を紹介する。
大岡も恩師の指令もあり、快諾した。
法隆寺火災の経験が元になって、大岡は木造による再建ではなく、鉄筋コンクリートにすべきだと主張し、寺側も構造はともかく、見た目が昔からの姿であればよいと了解。
その後、主要な建物はこれにならって鉄筋コンクリートで建てられ、現在の浅草寺伽藍に至っているそうです。
案外、鉄筋コンクリートと気がつかない人が多いと思いますが、柱などの艶やかな表面のてりと、均一な質感で分かりますよね・・・
燃えないお寺を造りたいと願った設計者と、軒の組物などを見事にコンクリートで再現した施工者の努力がすごいですね。
なお、江戸時代頃の建造物は、伝法院・二天門などだそうです。
なおなお、本堂の瓦(7万枚)は平成の大修理で、オールチタン製になったそうです。
なおなお、本堂の瓦(7万枚)は平成の大修理で、オールチタン製になったそうです。
(浅草2丁目 2013年5月25日)
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