全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2014年03月

岩手・盛岡 / 旧盛岡貯蓄銀行(現・盛岡信用金庫本店)



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●1994年撮影

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●国立国会図書館近代デジタルライブラリーより 「盛岡案内」昭和元年(1926)刊
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盛岡市指定保存建造物No.10

名称:旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)
昭和2年(1927)12月17日竣工
設計:葛西萬司
施工:中沢三蔵ほか(盛岡市)
構造形式:鉄筋コンクリート造3階建
外観材質:花崗岩
面積延長:1038㎡(延床面積)
用途:銀行店舗
建築依頼主:盛岡貯蓄銀行
事業費:21万1566円17銭
所有者:盛岡信用金庫
盛岡市出身の工学博士・葛西萬司の主宰した葛西建築事務所により設計および監理された建物。(1927年12月17日・19日付岩手日報による)

当時の記録によれば、施工関係者は次のとおりである。
((株)盛岡貯蓄銀行本舘建築費内訳明細表による)

鉄筋コンクリート、建築工事:中沢三蔵
煉瓦工事:高瀬新太郎
造作工事:横溝豊吉
左官工事:川島金次郎
設備(暖房)工事:三機工業
塗装工事:中村八十吉
金物工事:山田信介
硝子工事:玲光社
石工事(花崗岩):中村嘉七
石工事(大理石):矢橋大理石

建物の主体構造は鉄筋コンクリート造で、主要部は2階建。
一部に中2階、中3階の小室を有し、屋上階は鉄骨造で建物前面の重要な意匠を兼ねている。
建坪は約540平方m、延床面積は約1038平方mである。
基礎は鉄筋コンクリートで、柱部分では地下約2m、柱間の外壁は煉瓦1.5から2枚積の外側に厚6センチメートルの花崗岩が貼られている等が1976年の改装時に確認されている。(1976年増改築設計図書─久慈一戸建設設計事務所による)

なお、附属棟の外壁仕上げは、人造石洗い出しとなっている。
屋根は陸屋根で,当時モルタル防水であったと思われる。

意匠的には外観に新古典様式の様相を呈しているが、全体として近代デザインの流れの中にある構成と考えることができる。

すなわち、建物前面の列柱・軒蛇腹の装飾、その他古典的な意匠の装飾石彫で壁面を飾っているが、列柱の柱頭は古典様式にその類を見ない新しいものであり、また、建物全体を積み上げていくような構成は、20世紀初頭の近代建築の手法の影響が強いと考えられる。

さらに、内部の営業室の照明器具、柱頭の装飾などは竣工前年(1925年)パリで開催された装飾美術博覧会で一世を覆った、いわゆる25年様式の近代デザインの影響下にあると考えられる。

2階各室のドアの色ガラスと柱および天井ボーダーの石膏レリーフ文様などの装飾にも同じ傾向が現れている。

暖房は、当初より各室にスチームを設備しボイラー室を地下室として設けている。
窓は三連の外開きのスチールサッシュであり、シャッター設備も施されていて、ほとんど現代のビル建築の形式を整えている。 (盛岡市)

盛岡に残る近代の銀行建築。最後は「旧盛岡貯蓄銀行本店」です。

設計は盛岡市出身の葛西萬司。
葛西萬司と言えば、明治末期に辰野金吾と共に辰野葛西設計事務所を設立し、
その後数々の傑作を造ってきましたが、辰野の没後に自らの建築設計事務所を開設。
その作品のひとつがこの銀行店舗というワケです。

共同設計した「旧盛岡銀行」とは斜め向かいになる位置関係。

当時の銀行建築で見られたギリシャ風の要素を取り入れ、正面外壁には6本のオーダーがあり、外壁にはレリーフをはめ込み、銀行らしい重厚で誠実な印象を受けます。

辰野との共同設計「旧盛岡銀行」から、この「旧盛岡貯蓄銀行」へ・・・
竣工は、16年後の事ですが、煉瓦からコンクリートへという一大変化が建築で
起きていたことが一目瞭然。
この、ギリシャ神殿風という外観も、時代と共に消えていくんですけどね・・・


『貯蓄銀行』という名称は、古い銀行建築を調べていると、しばしば出て来ます。

貯蓄銀行とは、文字通り個人の貯蓄を引き受けることを目的とする金融機関。
19世紀に、欧米諸国で誕生し、庶民に対して倹約の奨励、貯蓄で生活安定を図る
公益的な金融機関だったとか。

日本の貯蓄銀行は明治13年(1880)に開業した「東京貯蔵銀行」に始まり、
明治26年(1893)に法制化され、20世紀初頭に隆盛をみた。
その後は普通銀行への転換・合併が続き昭和24年(1949)に消滅。
昭和56年(1981)に法制上廃止された。

その結果、相当する日本の貯蓄金融機関は郵便貯金のみとなった。

郵便貯金は世界貯蓄銀行協会(WSBI)にも加盟する世界最大の貯蓄銀行だったが、
郵政民営化(2007)による「ゆうちょ銀行」の発足により消滅した。

庶民的な市民バンクという立場の機関だったんですね。
金融機関側とすれば、もう市民の貯蓄だけでは立ち行かない時代になったのか?


「盛岡貯蓄銀行」も、昭和10年(1935)「岩手貯蓄銀行」と名称を変え、
昭和18年(1943)陸中銀行と合併「岩手殖産銀行」を経て、岩手銀行となった。

この建物は、昭和33年(1958)に「盛岡信用金庫」が建物を譲り受け、本店となった。

盛岡信用金庫の前身となる「盛岡信用組合」は、盛岡開府と同時期の江戸初期・慶長年間創業と伝えられる。
盛岡城下の老舗「十一屋」の子「高橋伊兵衛」が初代組合長となり、発足。

以後、明治36年(1903) 「盛岡信用組合」として設立。
昭和26年(1951)信用金庫法に基づき「盛岡信用金庫」に改組、現在に至る。


盛岡は、昔から近江出身の豪商が経済を牛耳ってましたから、
金融業界も、他の地方よりその動きが突出していたような気がしました。


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                   (中ノ橋通1丁目 2013年10月15日)



岩手・盛岡 / 旧第九十銀行(現「もりおか啄木・賢治青春館 」)・2 内部



●1階
 営業室(常設展示室)

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 金庫室(音と光の体験館)

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 応接室(街並展示室)

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 頭取室 頭取専用の小さな金庫の扉があります。(体験学習室)

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●2階
 総会室(展示ホール)

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[当時の銀行建築においては、営業室が吹き抜けであることが原則。
それに対して第九十銀行の営業室は1階部分のみで、2階部分に「総会室」を設けているのが、大きな特徴です。
コミュニティバンク(巨大銀行に対し、地域企業の生命線となるコンパクトな銀行)という概念を象徴するかのような、株主が集う場の「総会室」は、精神性においても後に続く「大正デモクラシィ」の先駆の象徴とも言えましょう。

            ーー「もりおか啄木・賢治青春館HPより転載ーー

旧第九十銀行の内装も外観と同様、ロマンチックな造りです。
古典建築様式をベースにしながら、シンプルでキリッと締まった印象。

天井や総会室の暖炉につけられた桜の花を思わせるモチーフは、第九十銀行の社章だったそうです。
どこの部屋にも暖炉がありますが、デザインがアールヌーヴォーっぽい・・・

現在、内部は石川啄木と宮沢賢治の業績を展示する文学館になっています。


                  (中ノ橋通1丁目 2013年10月15日)


岩手・盛岡 / 旧第九十銀行(現「もりおか啄木・賢治青春館 」)・1 外観


 
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館内にあった模型
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◎九十銀行アーカイヴ

●1994年撮影(「岩手リースデータサービス」時代)
 塔の金属装飾がなく、九十銀行の看板が外されている

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●国立国会図書館近代デジタルライブラリーほかより
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国指定重要文化財(2004.07.06)
盛岡市指定保存建造物

名称:旧第九十銀行本店本館(だいきゅうじゅうぎんこう ほんてんほんかん)
明治43年(1910)竣工
設計:横濱勉
施工:不詳
構造・規模:煉瓦造、建築面積264.61㎡、2階建、一部地下1階、
      スレート及び銅板葺、煉瓦塀附属
外観材質:化粧タイルおよび花崗岩
用途:銀行店舗
建築依頼主:第九十銀行
事業費:6万余円

 旧第九十銀行本店本館は,盛岡市中心部にあり,明治41年起工,同43年12月に完成した。設計者は盛岡出身の横浜勉である。

 煉瓦造2階建、一部地下1階で、南棟の東には煉瓦造の脇塀がつく。
一階が営業室と客溜、金庫室、応接室、頭取室。二階が総会室、重役室などからなる。

 外観は,ロマネスク・リヴァイヴァル様式により銀行建築としての重厚性を表しつつ、室内ではゼツェッシオンの平明かつ簡潔な意匠を創り出している。

 旧第九十銀行本店本館は、全体として装飾要素は抑制され、様式建築からの離脱の過程を示す作品であり、19世紀末の欧州の建築運動をいち早く反映させた遺構として、我が国近代建築史上、重要である。

また、二階床組のトラス梁や二階床換気口の開閉機構など、構造技法等にも見るべきものがある。

 当時、若き司法省技師であった盛岡出身の横浜勉の設計で、1908年3月15日起工,1910年12月11日竣工。

 全体に簡略された折衷様式であるが、日本の洋風建築遺構には数少ないロマネスク風の外観を呈している。
開口部の石型アーチ、建物隅部に突出したロケット、荒削りなコーナーストーン、破風に取り付いた付柱風の石彫飾などで、その様式的な雰囲気を創り出し、概して簡素なうちに荘重さを表現している。

 2階ホールなどに見るセセッション風の空間、自由な発想による石彫飾の形、外壁に貼られた化粧タイルの黄褐色のモダンな色調などは、様式の簡略化と共に、この建物を明治末期から大正期にかけて日本を覆った近代デザインの中から生まれた作品として特徴づけているようである。

構造的には、煉瓦組積造の外壁が独立しており、これに木造の横架材をもって上階床を支え、木造小屋組が外壁頂部に乗っている。

なお『工事監督久田喜一、工事係新沼源之進、石材・煉瓦共に盛岡近郊産、化粧タイルは東京産であった』と、当時の新聞は報じている。

建坪257.85平方m、延床面積515.70平方mの二階建。
同時に木造平屋附属建物82.5平方mが竣工しているが、現在これは3階となっている。
屋根は当初よりスレート葺であったが、1975年に現状の鉄板葺に改められた。(盛岡市)

盛岡市に残る銀行建築、もうひとつの重要文化財。

「旧盛岡銀行」と同じ頃に建てられ、中ノ橋通りに、すぐ近くに建っていますが、
「旧盛岡銀行」が、地元盛岡の財界人によって設立されたなら、「旧九十銀行」は旧盛岡藩士族の秩録公債(ちつろくこうさい=家禄などを自主的に奉還した者に起業資金を与える目的で起こされた公債)の出資で設立。

盛銀の建物が赤煉瓦の古典調なら、こちらはドイツ風モダン建築。

なにからなにまで対照的な2行です。
ただ、どちらも盛岡出身の建築家が関わっていることが共通点でしょうか?

穿った見方をすれば、あっちが地元出身の葛西なら、こっちだって地元の横濱だ!と負けん気があったかも・・・

想像ではなく、当時の盛岡の金融界ではそれくらいの勢いがあったようです。

しかし、哀しいかな武士の商法で、九十銀行の大半の株は市内豪商のものとなってしまったようで、昭和初期の東北金融恐慌で昭和7年廃業。
建物は陸中銀行、岩手銀行、岩手リースデータサービスの所有を経て、現在に至る。

建物は小規模ながら、重量感のある堂々としたものです。
砕いた石をむき出しにしていて、野趣も感じます。


「第九十銀行」は、明治11年(1878)地元資本による盛岡初の銀行として、旧十三日町に誕生しました。
南部藩士の株主94名、資本金10万円での設立でした。

 明治43年(1910)12月、「第九十銀行本店本館(現:もりおか啄木・賢治青春館)」が旧呉服町の現在地に建てられます。
 設計は盛岡出身の若き設計技師、横濱勉(よこはまつとむ1878-1960)です。

東京駅や日本銀行を設計した、西洋建築の第一人者である辰野金吾と、地元出身の葛西萬治設計による、赤レンガの「盛岡銀行(岩手銀行中ノ橋支店)」よりも、第九十銀行は約5ヶ月早く竣工しています。

 中津川のたもとにそびえ立ち、明治の洋風建築を象徴し威風堂々たる構えを見せてくれる盛岡銀行に対し、第九十銀行は、19世紀末の大正期の黎明を告げ新たな息吹を感じさせてくれる、時代を先取りしたスタイルです。

 設計者の横濱勉は、啄木や賢治と同じ盛岡中学出身、東京帝国大学建築学科を卒業。
東京市の建築技師を経て、司法省の技師となりました。 
彼は、その若い感性を最大限に活かし、第九十銀行の外観と営業室をロマネスクリバイバル式、その他の諸室をセセッション式として、当時の欧州の自由な建築運動を、いち早くこの建物に反映させています。

それは、ドイツ風ロマネスク様式(11-12世紀)を汲んで、各所にちりばめられた意匠が伝えてくれるものです。
 スレートと銅板葺きのドーマー窓(換気口)を持ち、四方から中央の避雷針に向かって寄せた尖り屋根。
釉薬を掛けて艶やかに焼き上げられた、黄褐色の化粧煉瓦。 
1階正面や2階窓のアーチ・コーナーに配された、重厚さと斬新さを漂わす割肌の盛岡産花崗岩。
正面から見ると、アシンメトリーに配置され、縦のシンプルなラインが際立つ鎧戸。

 その佇まいは、さながら上品さが匂い立つ新しい時代の淑女のよう。若き横濱勉が情熱を傾け郷里盛岡に遺した、現存する唯一の作品です。

 後年、所有者の変遷に伴いながら金融企業として営業を行ってきたものの、平成4年より閉館。
平成11年、盛岡市が「盛岡快適観光空間整備事業」の対象に位置付けて保存活用策を探り、改修工事を経て、平成14年11月に、「もりおか啄木・賢治青春館」の誕生となりました。
 平成16年7月には、明治期の銀行建築でありながら大正・昭和初期の特徴を示す、先駆的で独特なデザインの価値が認められ、国の重要文化財に指定されました。
 これは県内3番目の近代建築物の重文指定に当るものでした。

              ーー「もりおか啄木・賢治青春館」HPより転載ーー



                  (中ノ橋通一丁目 2013年10月15日)


One Day Trip ~練馬区立美術館へ~


3月27日(木)

この日は、関東地方に限って気温が低く、時折雨もパラつくという、あいにくの天気になりました。
でも、気晴らしのために、出かけてきました。

練馬区立美術館で開催されている「野口哲哉の武者分類(むしゃぶるい)図鑑」展を観に行って来ました。

電車やバスの交通機関を利用するのは、去年の10月以来、ナント半年ぶり・・・

横浜から湘南新宿ラインで池袋へ、西武池袋線で「中村橋」下車。
駅から歩いて数分のところに美術館があります。

1Fが図書館、2Fが美術館という複合施設です。
入館料は500円という安さ! 地方ではあり得ないかも・・・



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「日曜美術館」などのTV番組で紹介されたので、ご存じの人も多いでしょう。
私も、それを観て興味を覚えました。

甲冑武士をモチーフに、フィギュアや絵画などを展示。
作者の野口さんは、まだ30代の若さですが、ちゃんと有職故実や史実を研究しているそうです。


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彼の今までの集大成といえる展覧会で、全作品をはじめ、
本物の甲冑や兜、屏風も展示されおり、彼が影響を受けたという、明治か大正の頃の武者絵画家の屏風や、大正時代の甲冑図絵なども展示されて、とても面白かったです。

特に面白いのが、時代をミックスしているところです。
甲冑にスニーカーを履いてバッグを斜めがけしたり、自転車に乗ったり、
兜にプロペラを着けてホバリングしていたりと、その発想に思わずクスッとさせられます。

シャネルのマークの鎧を身にまとった「紗練(しゃねる)侍」など、あたかも紗練一族が存在していたかのような解説が添えられていて、洒落に満ちています。

時代を付ける、古びた感じを出す技法は、お見事です。
まだ若いので、これからどんな発想を繰り出すのか、楽しみです。

フィギュア好きな若者や、歴女はもちろん、歴史に詳しいお父さん達も楽しめるのではないでしょうか・・・



駅の近くを歩いていたら、こんな石仏が祀られてあったので、思わずパチリ


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午後は、横浜で、神奈川県に住む友人と会って、カフェでコーヒーブレイク。
コーヒーとケーキで3時間近くお喋りしましたかね~

もちろん、シウマイも買って・・・

楽しい一日になりました。 お出かけは、やっぱりタノシイ~~



岩手・盛岡 / 旧盛岡銀行本店(旧・岩手銀行中ノ橋支店)2・工事中内部



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「旧盛岡銀行」は、現在一般公開に向けて改修工事の真っ最中。
開けられた窓から、工事の様子を撮ってきました。

思った通り、内部は辰野金吾らしい、モダンデザインも取り入れているようです。

1階部分は営業室。
長いカウンターは大理石でしょうかね。
大きな吹き抜けとなっていて,巨大な付け柱に装飾が施され,天井には漆喰装飾を施すなど、豪華な内装です。
2階に廻り廊下(キャットウォーク)をめぐらしているのが見えます。

後から取り付けられた蛍光灯の数がハンパないですね。
この天井高では、相当薄暗かったんですね。

2階には、会頭室、応接室や会議室があるのでしょう。
きっと、とても豪華なのだと思われます。

『建物内装の木材は、そのほとんどに青森ヒバを利用しています。
国有林の払い下げ木材を活用したもので、建物完成から1年ほど前、青森から丸太のまま運び込まれ、現地で加工されたようです』

営業フロアの四方を支える4か所の円柱8本にも、ヒバが使われていますが、柱にあしらった葉アザミのモチーフはギリシャ建築の特徴とのこと。

館内のドアや壁面の内装部材、化粧材に使われる青森ヒバも当時のまま残っており、補修の手を加えていないのだとか。

細工に当たった職人の名前は明らかではありませんが、丸太の搬入からわずか1年で行われた仕事をみると、当然ながら地元の優秀な職人が数多く関わったことが推し量られます。

『3月の地震(東日本大震災)は、だいぶ揺れがありましたが、暖炉の灰が落ちてきたぐらいで建物全体の損傷はありませんでした。
設計や構造、そしてしっかりした技術のもとで造られた建物であることを改めて実感しています』

開放的な吹き抜けの天井は、屋根裏の梁が支えて吊り下げているとのこと。

建設当時のまま改修の手を加えていない、梁や筋交いがしっかりと巡らせてありましたが、東京駅改修工事が始まる前、関係者が参考のために、この構造を視察に訪れたそうです。

『盛岡市民にとって大切な財産である赤煉瓦の洋館を、今後永く残していくためにも、内部の修復や調査をしっかり行い、耐震補強を行っていく必要があります。

(中ノ橋支店)移転後の活用については、まだ明確ではありませんが、(銀行)営業施設でなくなれば、一般の人たちがこの場所を気軽に訪れることもできる。
さらに身近な存在になってほしいと思います』

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※ 写真・記事は、岩手銀行HP及び盛岡商工会議所広報誌「Sansa」より抜粋・注釈   文中『』書きは岩手銀行中ノ橋支店長(当時)柿木康孝氏の言葉です。


支店で働いていた人たちも、ここで働くことに誇りを持っていたでしょう
移転によって、この建物を離れることに、一抹の寂しさを憶えたかもしれない・・・

中ノ橋支店移転と工事中を知らせる看板に、宮沢賢治の詩が書かれてありました。


     弧光燈(アークライト)に めくるめき
     羽虫の群の あつまりつ
     川と銀行 木のみどり
     まちは しづかに たそがるる



                 (中ノ橋通り1丁目 2013年10月15日)


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