全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2014年04月

生しらすのピザ

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4月30日(水)

はぁ~、4月も終わりですね。きょうは昨日よりも雨足が強くなってます。

Internet Explorerがヤバい事になっているようですね。
元々、Windowsってウィルスに弱いという定評でしたからね・・・
OSが新しくなっても、あまり改善されなかったんでしょうかね?

私も、Windowsを使っていた時がありましたが、
FirefoxかNetscapeで、エクスプローラは使ってませんでした。

企業などでエクスプローラを使っている所は多いかもしれませんね・・・
対策は当然取られるでしょうから、それまでは気がかりですね。


さて、駿河湾ではシラスと桜海老の春漁が行われています。
どちらも春・秋の年2回の漁で、それが始まると季節の変わり目を感じます。

このところは、今までになかった異変が起きています。

去年の秋漁では、潮の流れでシラスの群れが沿岸まで近寄ってこなかったとかで、不漁でした。
バスツアーで来たお客さんも、生しらすが食べられないと、ガッカリしてたそうです。

今年の春漁では、桜海老が不漁で、由比港では恒例のGWイベントも中止になったとか・・・
市場へ出す量で、いっぱいいっぱいという事らしいです。

日本海側で巨大深海魚が続々あがり、こちらでは小魚があがってこない・・・
海が大変なことになってそうな、イヤな感じがします。

シラスはこの春は大丈夫みたいですよ。

生しらすで、ピザを作りました。
これも、都会の某有名店で出しているというので、やってみました。

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       え?シラスが見えないって? ほら、ちゃんと入ってるよん

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市販のピザクラスト(クリスピータイプ)を使いました。
トマトの水煮(あらごし)をしき、シラス、ピーマン、プチトマトを並べ
ピザ用チーズを乗せ、220℃のオーブンで20分焼きました。

チーズとシラスとトマトって合性ピッタリ
生しらすが手に入らない地方もありますが、釜揚げでやってみてもいいでしょう
ちりめんになってしまうと、味わいが違うかも・・・


新ジャガを使って「鶏じゃが」

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4月29日(火 昭和の日)

春は、5日 2日のパターンを繰り返すそうなんですが、
まさに、きょうから谷間の雨になりそうですね・・・


ワンピースの裾上げを頼みに行ったら、ものすごく高かったのでビックリ!

手縫いでは、他の部分と雰囲気違っちゃうし、
              ミシンが壊れているので、仕方が無い・・・

言い出しちゃった手前、引っ込めるのもカッコ悪いし(男前でしょ?

YDK(やれば出来る子)としては、内心、悔しい気持ちが大きすぎ・・・

やっぱり、ミシンを買わないと、腕がもったいないな~(ホンマかいな



春の新物、きょうは新ジャガです。

いわば「鶏肉じゃが」ですが、
新ジャガの味を楽しみたいので、名前の通りシンプルに鶏肉とじゃがいもだけ
寂しいなと思ったら、玉ねぎ・ニンジンなど加えてください。



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新ジャガは皮を剥かなくても心配はないので、使いやすいですね。
あっさりめに作りましたが、手羽先・手羽元などでコッテリ煮てもいいね!

よく煮込んだ鶏肉は、翌日になっても固くならなくて美味しいですね。


◎材料
 鶏もも肉:1枚
 じゃがいも:小さいもの7,8コ
 出し汁:適量(ひたひたになるよう)
 醤油、酒、みりん=1:1:1(大さじ2くらい)
 炒め用油:サラダオイルでもごま油でもOK

◎作り方
 1, じゃがいもはタワシで皮がはがれないよう洗い、竹串で数カ所穴を開ける。
 2,鶏もも肉は食べやすい大きさに切っておく
 3,鶏肉を皮から炒め、焼き色がついたらじゃがいもを加えて、さらに炒め合わせる。
 4,出し汁、調味料を加えて中火で20分くらい、煮汁が少なくなるまで煮込む



新ごぼうのポタージュスープ

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4月28日(月)

このところ、午後から夕方にかけて曇ってきて、一日中晴れていることが少ない。
日中は、初夏のような気温で汗ばむくらいですが、夕方はチョッとひんやり・・・

GWに突入しましたが、いかがお過ごしでしょうか?

我が家の周囲でも、明け方から駐車場ではクルマのドアがバタバタと・・・
昼間は、普段の土日にも増してヒッソリしてました。

今年はカレンダーの並びが良くなくて、分散してしまうのだそうで??


私は、修繕工事終了からベランダの片付けに追われ、
引き続き、家の中をスッキリさせるべく、奮闘しております。

モノを保存する職業だった私としては、断捨離は忍びないですが、

使わないモノで家を狭くしているのが、アホらしくなって
思い切って、もう着なくなった服などから処分することに・・・

数年着てなかったアウトドアパンツのポケットから50円玉が出て来たり
行方不明だったスカーフがクローゼットの奥から発掘されたり、いいこともアリ

今、ゴミ袋3つくらいになりましたが、まだまだ甘そう・・・
今後も、ジミ~に、洋服の山と闘っているでしょう


さて、先日美術館のレストランで戴いたゴボウのスープを再現しました。

新ゴボウなので、水にさらすのは、サッとでいいでしょう
あまりさらしすぎると、風味が無くなりそう・・・



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ポタージュスープは具が変わろうとも、作り方は総て同じで簡単です。


材料
具になる野菜(コーン、じゃがいもなど、なんでも・・・)
玉ねぎ
コンソメキューブ
牛乳(豆乳でも)
バター
塩・コショウ
生クリーム

作り方
・玉ねぎをバターで炒める
・具材を入れ、しんなりするまでさらに炒める
・水とコンソメを入れ、柔らかくなるまで煮る。
・総てをフードプロセッサーですり潰す。
   (口触りを滑らかにしたいときは、ザルでこす)
・鍋に戻し、牛乳を加えて加熱する 塩、コショウで味を整える。
・仕上げに生クリームを加えてもOK

神奈川・横浜 / 三渓園の古建築・14 初音茶屋、天満宮(外苑)



●初音茶屋

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◎初音茶屋と湯茶接待

 明治39年(1906)の開園当初から、初音茶屋では、いつでも麦茶や香煎を入れた白湯を飲む事ができました。
インドの詩聖と謳われるタゴールは、その著「日本紀行」の中で、「誰もがお茶をふるまわれる」と記しています。

また、大正4年(1915)に三渓園を訪れた芥川龍之介は、友人・原善一郎(三渓の長男)へ、次のような手紙を宛てています。

『僕は君の所へ去年の夏、矢代と二人でちょっとお庭を見にゆきました。
さうして四阿(あずまや)のやうな所で、田舎の女のやうな人の沸かしてくれるお湯をのみました。
どこをどうしてあすこまで辿りついたか、まるで覚えていません。

「ひとはかり うく香煎や 白湯の秋」
          即興のつもりで書きましたが、月並みなので弱りました』

この湯茶接待は、その後戦争などでいつからか途絶えてしまいました。

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                       ーー現地案内板よりーー

現在は、「観梅会」などイベントがある時に、中央の炉で古釜で沸かした温かい麦茶のサービスをする事があるそうです



●三渓園天満宮

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この天満宮は、江戸時代に京都北野天満宮から勧請した「間門(まかど)天神」がその前身です。
三渓園にほど近い間門の旧家・高梨家の先祖が、本牧の丘の中腹に建てたものです。
昭和51年1月25日に三溪園に遷座し、以後「三溪園天満宮」として来園者に親しまれています。

                        ーー三渓園HPより転載ーー

1月には初天神を開催。
神官による合格祈願が行われ、近隣の人が多く訪れるそうです。


三渓園は、原三渓の邸宅・庭園であると同時に、庶民が楽しんでいたという一面も持ち合わせていたのです。

当初は「入園御随意」の看板を掲げ、無料開放していたそうです。
現在は、入園料を払いますが、庭園の維持・管理のためには必要でしょうね。



                    (中区本牧三之谷 2013年5月27日)



神奈川・横浜 / 三渓園の古建築・13 燈明寺(外苑)



●本堂

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国指定重要文化財(1921.04.30)

名称:旧燈明寺本堂(とうみょうじ ほんどう)
室町前期(1333ー1392)建築
構造:桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺

旧燈明寺本堂【重要文化財】
室町時代建築
三重塔と同じ、京都燈明寺にあった建物です。 
三溪園には、昭和62年(1988)に5年がかりで移築・保存作業が行われ、中世密教寺院の姿がよみがえりました。

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                       ーー三渓園HPより転載ーー

●三重塔

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国指定重要文化財(1931.12.14)

名称:旧燈明寺三重塔(とうみょうじ さんじゅうのとう)
室町前期(1333ー1392)建築
構造:三間三重塔婆、本瓦葺

旧燈明寺三重塔【重要文化財】
康正3年(1457)建築
園内のほぼ全域から、その姿を見ることができる三重塔は三溪園を象徴とする建物です。 三溪園には、大正3年(1914)に移築されました。

◎ひとこと&みどころ
燈明寺は江戸時代に宗派が変わった際に「東明寺」から「燈明寺」に改名されました。
瓦に東明寺と刻印されているのは、そのためです。

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                                             ーー三渓園HPより転載ーー


燈明寺(とうみょうじ)は、旧相楽郡加茂町、現在の京都府木津川市兎並(うなみ)にあった日蓮宗の寺院。

現在は廃寺同様だそうですが、同地には燈明寺の鎮守であった御霊神社(重要文化財)があり、宗教法人としては存続しているのだとか。

解体される前の本堂は、木鼻の装飾など江戸期の特徴をもつ華麗なものだったが、三渓園に移転してから、室町時代の様式に近づけるよう修正されたそうです。

三重塔の運搬には、当時は東海道線だった現在の御殿場線経由で貨車輸送を行ったが、カーブを曲がり切れず、仕方なく心柱を切断し、運搬後三渓園で繋ぎ直したそうです。


三重塔は、園内のどこからでも見える小高い丘の上に建っており、
              まさに三渓園のシンボルタワーといえるでしょう。


もう、もう・・・この辺りまで廻ってくると、眼も足も疲れちゃって、
本堂の中や、三重塔の近くまで上って見ようという気力も失せてしまいました。
                     敷地5万坪恐るべし・・・ (T.T)



◎燈明寺略歴(HP「日本の塔婆」ほかより)

天平7年(735)聖武天皇勅願により、行基の開創と伝える。
建武の兵乱(1336)で廃絶。

燈明寺本堂は室町期建立と推定される密教(天台)5間堂建築である。
康正年間(1455-1456)天台宗の僧・忍禅が復興し、本堂・三重塔を建立する。
その後、再び荒廃する。

寛文3年(1663)頃、日蓮宗に改宗の時、本國寺日弁によって大改造される。本堂・三重塔を修理。
寛保3年(1743)日賢が三重塔を修理。

明治34年(1901)川合芳次郎が、財政危機に陥っていた燈明寺を買収。
大正3年(1914)三重塔を横浜三渓園に移転。
大正10年(1921)特別保護建造物に指定される。

昭和23年(1948)本堂は移築されずに残っていたが、台風により大破し、解体修理に着手。
「屋根の形が大半なくなり、雨漏りで丸桁や組物も崩れ落ち、側廻りの壁や柱も倒壊箇所が見られ、外から内陣厨子が見通せるほどの惨状」という。
この時、再生可能木材はおよそ6割程度と見られる。

昭和57年(1982)横浜三渓園に本堂部材を移動.。その後三渓園で再建される。
これは三渓園には既に燈明寺三重塔が移築されていることと本堂所有者が横浜在住であったことによるという。

この本堂修復に当っての修理方針は材の腐朽が甚大であるため、極限に至るまで古材を修復・再利用することとなる。
そのため、埋木などを多用し、また合成樹脂を併用して形成・硬化するというものであった。
昭和61年(1986)工事完了、総費用4億8千万円。




               (中区本牧三之谷 2013年5月27日)


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