全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2014年05月

秋田 / 秋田 土崎湊の面影① 土崎神明社~金比羅神社



雄物川(おものがわ)
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これは奥羽線の車内から撮ったので、厳密に言うとこの河口が土崎湊ではない。
水害を防ぐために放水路として開拓されたそうで、現在の秋田港も「旧雄物川」にある。

秋田港は、昭和16年(1941)に土崎港町と秋田市が合併するまでは、「土崎港」と呼ばれていた。
その歴史は古く、秋田杉や米など特産品の移出港として栄え、室町時代の海事法規「廻船式目」では全国を代表する『三津七湊』の一つに数えられた。

寛文12年(1602)に、日本海から瀬戸内を通って大阪に至る「西回り航路」が開設されて以降は、北前船が往来するようになり、江戸後期から明治まで隆盛が続いた。

●「紙本着色秋田風俗絵巻」に描かれた土崎湊

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「秋田風俗絵巻」は、江戸時代後期(1800年頃)に秋田藩直臣・荻津勝孝(おぎつ かつたか)が描いたといわれる15m×38.8cmの絵巻。
当時の秋田の年中行事を主題とした11の場面によって構成されています。
「秋田県立博物館」に所蔵されていますが、これは「秋田民俗芸能伝承館」にあったパネルです。

●湊城跡

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湊城は安東氏の居城であった。
築城年代や規模は明らかでないが、天正元年(1573)当時すでに湊城があり、また現地形と元丈年間(1736~1740)の古絵図によると、堀をめぐらした平城であった。
慶長4年(1599)から翌年に掛けて本格的築造がなされた。
慶長7年(1602)秋田入りした佐竹氏も一時ここに拠ったが、同9年(1604)久保田城に移ったあと廃城となった。(秋田市)
                              ーー現地案内板よりーー

安東氏と言えば、十三湊を支配していたとか、松前藩以前の蝦夷の十二館などでも知られていますが、一族が多くて複雑な動きをしていたので、正直よく理解できません。

●土崎神明社
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神明社は、元和6年(1620)に土崎の肝煎・川口惣治郎氏の氏神としてられていた神明様を湊城の跡地(現在地)に遷座し、藩主佐竹義宣の許可を得て土崎港の町の総鎮守としたことがはじまりとされ、中世の城下町であった土崎が、新しい城下町の建設により変わる中で、新たなる土崎港町の発展を願い創建された神社。
土崎湊町の総鎮守として崇められてきたそうです。

宮司さんのお話では、敷かれている石は、北前船で運ばれたものだそうです。

毎年7月20日、21日の例祭の「曳山行事」は18世紀から続いている祭典行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。

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「秋田民俗芸能伝承館」で撮影。これも安東氏と南部氏の争いを題材にしているようですね。


●金比羅神社(ことひらじんじゃ)

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土崎港屈指の廻船問屋であった間杉五郎八、本間多左衛門が、若狭国西津の豪商古川屋嘉太夫の氏神琴平社を勧請し、享保8年本間家の別邸内に一小祠を建てて両家の氏神としたものを、宝暦9年4月、龍明院二世智鏡は間杉、本間の2人の願主と相談して、さきに間杉家から寄進された今の場所に遷座し、一般崇敬社としたものである。

社殿は、大阪の商人大和屋卯八の寄付によって建立したものである。
その後弘化3年、廻船問屋杉山七蔵ほか信徒等が出資して、更に壮麗なものを造営した。
これが今の社殿である。旭町、本山町字琴平の旧地名はこの鎮座地から出たものである。

文政年中に、幕府が松前増毛の地を守備することを佐竹藩に命じたとき、藩兵を派遣するにあたって海上安全を祈られ、崇敬社とせられた。

また文化元年、一宇一社の格に列せられ、同年藩主の御紋章の白張燈籠一対寄進し、毎年旧6月10日の大祭には、代参をもって銀千疋幣帛を賜ったが、明治5年には村社となり、同6年本町は鎮守一社の制に改まり無格社となった。

祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇(すとくてんのう)
御神体となった神面は「木面」で名工「春日」の作だと言い伝えられている。

                      ーー秋田県神社庁HPより転載ーー

社伝によると、宝暦元年(1751)、土崎の沖合いでシケに遭った船頭が、海神の導きにより無事入港できた。
その折、積荷の中にあった神面をご神体とし、若狭国西津の船主・古川谷嘉太夫が、讃岐金比羅宮の御祭神である大物主命を勧請し、土崎港に一社を造営したといわれているそうです。

内部には、笏谷石で造られた狛犬があるそうですが、社殿の前に敷かれている石もそうでしょう。

境内にはいかにも古そうな石造物が無造作に置かれている。
なにやら由緒が書かれている杭もあるが、よく読み取れない・・・

この狛犬は典型的な「秋田狛犬」の形をしているそうな

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「池ありてせめてや花のちり處 北林路丸」と書かれているようです。
路丸は土崎湊の人。通称は能登谷喜右衛門。代々、藩の川方御用達だったとか。

小さな神社とはいえ、北前船の廻船業者が創建に関わっています。
彫刻も素晴らしく、木鼻が象というのも驚きました。

石に刻まれた名前などは、いかにも昔の人らしいですね。


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              (土崎港中央3丁目~6丁目 2014年5月12日)


北前船と出羽地方



北前船とは、江戸時代から明治30年頃まで、千石船の弁財船で春に大阪を発って、
日本海側の寄港地で物資を売買しつつ、北海道地方まで航海し、
松前・江差で昆布やニシンの〆粕を仕入れ、また大阪まで上りながら売り捌き、
冬になる前に大阪に戻るという流通機構で「動く総合商社」と呼ばれています。

一年一航海ですが、当時の和船では人力・風力頼みですから、危険も多く
決死の覚悟だったでしょう・・各地には船乗りが出航前に安全祈願をした神社が多く残っています。


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前回は、蝦夷、松前・江差から津軽の深浦までその面影や遺構・遺物を訪ねましたが
今回は、出羽地方(秋田・山形)に行って来ました。

北海道の移出入品目は、昆布、ニシンの〆粕など海産物を積み込み、北海道はコメが採れなかったので、コメや藁製品を買っていたそうです。

出羽地方はどうかというと、秋田では阿仁の金銀銅など鉱物資源、コメ、秋田杉、
山形では、最上川舟運によって内陸から運ばれたコメや紅花などを売り、
塩、日用品など様々な物を買いましたが、特に綿が栽培できなかったため、繊維製品(古着)などを多く買っていたそうです。

話は少し違いますが、東北地方では「こぎん」「裂き織」など、布製品を大切に扱ってきたと思わせる民芸品がありますが、ふと、そういう事が素地にあるのかと考えました。

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沿海70里(約275km)もある秋田県には能代・船川・土崎・本荘の4港あるが 、船川を除いた3港はいずれも三大河川の河口にあって、米代川の能代港、雄物川は土崎港、子吉川の本荘港となっていて
船川港は極く最近の港であり、近年に至ってようやく利用されるにいたったが、旧藩時代には漁船の避難港にすぎなかった。

殊に旧藩時代、由利は本荘、仁賀保、亀田、矢島の諸藩にわかれていたため統一困難であったが、
土崎港を控えている久保田藩は、上、中筋(雄物川流域)、下筋(米代川流域)の区分こそあったが、土崎港を以て秋田の代表商港として、和船時代は新潟、酒田と併称せられ、北国の一海市であった

そして往時の回漕状況は
輸出品=米、木材、大小豆、干鰰、鰯油類その他雑貨、
仕向地=重に大阪・神戸および瀬戸内海の諸港、若しくは下の関

輸入品=食塩、伸○、繰綿、古手木綿類、砂糖、生蝋、紙類、畳表、鉄、石油等
仕入地=生蝋、半紙、鉄器は石見より、其他大阪・下の関

=以下略=

                昭和3年(1928)8月20日「秋田魁新報」の記事

                 ーーHP「秋田の古い新聞記事」より転載ーー


出羽だけでも、幕藩時代は小藩も含めると、どれくらいの藩があったことか・・・
北前船の利権や収益を廻って、殿様から廻船問屋、船乗りまで、”絶対に負けられない闘い”があったに違いありません。(^^)

司馬遼太郎は「街道をゆく 29 秋田県散歩 」で、江戸時代の秋田藩を
『ひとつには、名だたる米作地であること。ついで日本有数の杉の産地である。
その上、この藩は鉱山国だった。銀山が中心で、他に金や鉛も産出した。
米・ 木材・金銀といえば、江戸時代の第一級の富で、幸運な藩だったといえる。』
と書いているそうです。


北前船で栄えた出羽地方の寄港地、現在の姿

◎秋田県

●土崎(秋田港)
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●本荘(子吉川)
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●金浦(このうら)
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●塩越(象潟)
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◎山形県

●酒田
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●加茂(鶴岡)
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今回、残念ながら能代には行けませんでした。

前回の秋には、日本海からの猛烈な風をお見舞いされ、クタクタになりました。
春は、弁財船だって航海するワケだから、少しはマシだろうと思っていましたが、
やっぱり・あいかわらず・・・風は強かったです。

各寄港地のことは、この続きで・・・



Architec旅日記~北前船ロード 出羽編~ その10 / 山形から米沢


5月17日(土) 曇り 気温 山形14℃ 米沢13℃ 東京24℃

きょうはとうとう最終日。
まずは山形市内で写真を撮りながら散策。

昨日に続いて、再び霞城公園からスタート。

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やはりここも、他の城跡と同じように、戦時中は軍隊が置かれていたんですね。

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旅篭町~七日町 

昔の町人町で、明治以降も町の中心だったようです。

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「七日町二郵便局」
 初期のコンクリート建造物
 洋品店だった建物が郵便局に転用されているという珍しいパターン

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「御殿堰」
 昔の農業用水堰のひとつで、山形城の堀に流入するので、この名があるという

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「旧山縣師範学校(教育資料館)」

 山形で再び撮りたかったのが、この建物です。キレイでしょう~?
 今回は内部もバッチリ撮ってきました。

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隣にある旧講堂は、以前も老朽化した姿でしたが、積極的に保存する気はないようですね~

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目的は達したので、市役所前からバスで駅に戻ります。

市役所の周辺は、昔は荒れ地だったそうですが、三島県令により県庁が建てられ、官庁街となったそうです。
三島通庸は土木県令と呼ばれたほどの建築オタク、その結果が魅力ある近代建築の宝庫・山形県を形成して、現代人を惹きつけているのかもしれませんね。


「旧山形県庁」
この建物は、改修工事をしている時に、敷地に入ってノンビリ休ませてもらったり
その後も何度も見ているので、今回はスルー。

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山形駅に戻って、これからチョッと米沢に寄っていきます。

車窓の風景を少しお楽しみください。

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途中の駅で、新幹線どうしの行き違い・・・

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米沢駅

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お昼ご飯を食べま~す。
米沢といったら・・・? そう牛肉ですね

ステーキ食べたいけど、やはり高いので、ビーフカツにしました。

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食事を終えて、散策します。
ここにも久しぶりに見たい・撮りたい建物があるのです。

道路元標? 土木遺産だって・・・どれだかわからないけど灯籠がそうかな?

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わぁ~久しぶり~~、懐かしい建物が現れてきます。
ここは、前は現役の料亭だったような気がするが、今はヒッソリしてる・・・

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染色の工房も相変わらず

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きょうは風が冷たくて強い、薄手のフリースでは風が通って寒い!
ウィンドブレーカーをコインロッカーに預けたのを後悔する。

こんなに苦労して歩いてきたわけは、

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また、コレが観たかった!と言いたいんですが、、、アラ~!工事中・・・
腰が抜けそう・・・

「旧米沢高等工業学校本館」

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ちなみに、現在の米沢駅舎は、この建物を模しているそうです。

しばし諦めきれませんでしたが、これでは仕方がありません。
もう、ガッカリして、他のモノはどうでも良くなっちゃった。



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上杉神社に戻って、巡回バスを待ち、米沢駅に戻ります。

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駅近くで「音羽屋」を撮る。
今は「ホテルおとわ」と名前が変わっていますが、現役の駅前旅館です。

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コレ、むかし珍しい建物だな~と思って撮った憶えがあるけど、今では登録文化財だもんな~


では、これにていよいよ帰路につきます。
きょうは、強風のため、東北本線で遅れが出ているとのこと・・・

つばさに乗って・・・おしどりと紅花色だっけ? ニューカラーです

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庄内から関東へ、平野の移り変わりが面白いです。

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福島過ぎると視線が高く変わる・・・

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これにて、今回の旅日記は終了しました。長々ご覧頂きありがとうございます。
旅行中傘を差したのは、結局16日の一時的なもので、とても幸運でした

最近、最後の最後に足元掬われるというか、期待を裏切られるというのか・・・
ガックリして帰ることが多いけど、
次回は、キチンと満足して締めくくりたいもんですねぇ


北前船のこと、建築のことなどは、写真を構成し直して記事にしたいと思います。
関心を持たれた方は、またご覧になってください。



Architec旅日記~北前船ロード 出羽編~ その9 / 楢下は天候乱高下


5月16日(金) 晴れ後雨 気温22℃

午前中は山形市内の建築を少し撮り歩きます。
               初めて見るモノ、再び見たいモノ・・・

「東北六魂祭」の広告などが至るところにありました。

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山形カトリック教会

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山形聖ペテロ教会

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出発したときは晴れてましたが、だんだんと雨になり、風も強くなってきました。

霞城公園(山形城址)
 このすぐ前をJRが走っていますから、電車からもよく見えますね。

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勇ましい騎乗姿は最上義光です

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この中で、久しぶりに見たいモノとは、「旧済生館(山形市郷土館)」。
もと病院だった建物です。

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世にも珍しいドーナツ型の木造建築です。
中庭がありますから、ホントにドーナツ
これを初めて見たとき、建築に不可能は無いな~~との感想を持ちました。

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さて、山形市内は、きょうはこれくらいにして、駅に戻ります。



山形駅も、以前の姿は覚えてませんが、ずいぶん大きく立派ですね。

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奥羽本線に乗り、「かみのやま温泉駅」で下車。
ホームに向かう通路からお城が見えた。
ここにお城があり、城下町の名残があるというのは調べていて分かりました。
でも、今回は行く予定はありません。

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駅に着いたら、本降りの雨!

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観光案内所で楢下(ならげ)に行くバス停がどこにあるか聞く。
「でも、楢下には何も無いわよ」・・・「はい(私にはあるんです)」

何も無いところばかり巡ってきた私には、楢下は観光地ですよ~

まだバスの出発には1時間あるし、昼食をとることにしました。
案内所で教えてもらったお蕎麦やさんに行きます。

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少し硬めのお蕎麦でした。

さて、バスを待ちます・・・時刻表がまばらなこと。

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何も無いのはいいけど、行って帰るまで4時間あるので、ちと余裕があり過ぎる
でも、きょうはもう楢下だけで移動もないから、まぁいいさ

この表示のバス停付近から自由乗降区間になるそうです。
つまり、好きな所で乗り降りできるというわけですが・・・

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目的のバス停の案内をしたので、思わずブザーを押したら

「どこで降りられますか~?」 いかん!そうだった!こういうことか・・・
「観光に来たので、宿場で降ろしてもらえれば・・・」「はい、じゃココで~」

結局、所定のバス停よりは少し手前だったようですが、時間はあるからOKです。

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街道日和じゃないですか~  この後急変するとも知らず・・・

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かかし?

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覗き橋
石造りですが、明治時代に架け換えられたときは、橋げたがないので村人は怖がって渡ろうとしなかったとか・・・

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楢下(ならげ)宿は七ヶ宿から金山峠を越え、上山に抜ける羽州街道の宿場町。
江戸時代は新庄、庄内、秋田、津軽など、奥州13藩がここを参勤交代の宿場としていたそうです。

今は、移築も含め4軒ほどの茅葺き民家が保存されています。

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どの家も戸は開いているので、自由に入って見学できます。(無料)
どこにも、民俗博物館に並んでいそうな藁製品が懸けてありました。

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HPからコピーして持参した地図が行方不明になってしまった。
観光案内所などなく、エリアの地図が1枚掛かっているだけなので、何も無いとチョッと不安・・・

水辺のポケットパークで、バッグの中を探していたら、不要品回収車が廻って来て古民家の前で止まった。

ここで、お客さんを待っているのかと思ったら、「写真撮っているのか?」と声をかけられた。
「そうです」「カメラマン?」「いえ、単なる趣味です」
「それ、デジカメ?」「はい、そうです」
とうとう、クルマから出て来ちゃった。

「俺も写真撮っているんだけどさ~、フィルムで」「そうなんですか~」
「俺は、鉄道とか花を撮るんだ」「じゃ、遠くまで出かけるんですか?」
「いや~、近場なんだけどさ、どこから来たんだい? ほぅ~静岡・・・
 富士山は撮ってみたいと思ってるんだ~ウチのは行った事あるけど、
 曇って見られなかったって言ってたな~」
「じゃ、ぜひ撮りに来てくださいよ。富士宮などは夕陽がキレイですよ」
「そこまでは行けないけど、箱根とか小田原なんかいいかなぁ・・・」

あれこれ、話に盛り上がってしまった・・・、きりがなさそう
帰りのバス停についても、ちゃっかり聞き込んでお別れ
「お仕事中にすいません」「いやいや~、大した仕事じゃないから・・・」

この旅で一番傑作なおじさんでした。

結局、地図は見つかりませんでした。この後は、勘と記憶力を頼りに歩きます。


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おじさんの話では、少し前まで茅葺きはもっとあったそうだ、
この地域で現在も住んでいる茅葺き民家はこの家だけだとか

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街道添いの土藏もなかなか装飾がキレイだった。

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ここを見て、少し離れた馬頭観音の石碑まで歩いたところで急激に天気が変わって
冷たい風が吹いてきて、雨になった。

お寺の本堂で雨宿りをしていたが、風が冷たくて寒いこと~
火の見櫓に懸けられた消防ホースが、風で高くあおられてしまうくらいの強風。
雷が鳴らないだけ良かった・・・

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風を除けるために、近くの家のガレージに移動した。
さらに、トイレが近くにある最後に見学した民家の中に移動する。
バス停が前にあるので待つには絶好! 

茅葺き民家は、風が吹くと障子が凄い音でガタガタしたり、縁の下から風が吹き込んでくるのを実感しました。
これは、冬は尋常じゃない寒さだったでしょうね・・・

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小一時間くらい時間をやり過ごして、バスに乗ってかみのやま駅に戻りました。

駅に着いたら、高校生や乗客が駅舎内にあふれている・・・
強風で山形新幹線に遅れが出ているとアナウンスしていた。

在来線の普通車も遅れてる?と思ったが、考えてみれば
新幹線も普通車も同じ線路を走るから、同じように遅れが出るって事か~

遅れていたおかげで、私は予定より早く帰れてラッキーでしたけどね

さーて、今夜はこの旅最後の夜です。
お決まりのひとり打ち上げですよん。体も冷え切っちゃったしね・・・

どこにしようかと思いましたが、山形の地酒メーカーのお店で
ゆっくり出来そうなので、昨日夕食を食べたお店にしました。

『澤正宗』の「美田美酒」という、女性にオススメのお酒だとか・・・
つきだしはコゴミです。

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山形の「だし」を掛けた冷や奴
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鰹のたたき
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手羽先揚げ
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あさりの酒蒸し
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そして、〆はやっぱりお蕎麦でしょ!
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普段、飲み助のブログ友さんからは、手料理をお酒に合いそうと評価される私ですが、本気呑みの時はこのようなもので・・・

しかし、久しぶりに呑んだので、部屋に戻ったらバッタリ眠ってしまいました。
呑む機会がなくなって、だんだんお酒に弱くなってきてます・・・寂しいわ。

眼が醒めて、慌ててお風呂に入って寝ました。いよいよ明日が最後だ



Architec旅日記~北前船ロード 出羽編~ その8 / 加茂&鶴岡


5月15日(木) 晴れ後曇りのち雨 気温25℃

ホテルの窓から鳥海山がよく見えるんですが、なかなか思ったようにはいかない。

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きょうは宿替え移動日。
酒田から羽越本線で鶴岡へ向かいます。

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0番線って、時々見かけますよね・・・ミステリアスな感じを受けます

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私、寒い地方にある、ボタンを押してドアを開閉する電車がどうも苦手で・・・
タイミングが悪いのか1回で開いたためしがありません。
だから、いつも誰かが開けた後から降りるようにしてました。

それと、乗ったらドアを閉めるのがマナーのようなのを眼にしましたが、
電車のドアを閉めるという習慣がないものですから、失礼をば致しました~


車内からも、あくまで鳥海山を狙うが、上手く撮れず・・・

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鶴岡駅 
ここも新しくなってしまったようで、懐かしさはないな・・・
駅前のモニュメントは米を運ぶ人か?

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荷物をコインロッカーへ預け、先ずはバスで加茂へ向かいます。

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加茂港は、鶴岡における北前船の寄港地でした。
今は静かな漁港という感じですかね・・・

ここもお祭りの最中か・・・? 
竹を立てるって京都っぽいな~、これも北前船で運ばれた文化流入ですかね?

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クラゲの展示・飼育数が日本一という「加茂水族館」がある所です。
今は新館を増設してリニューアルオープンが6月ということらしい。


カニが獲れるんだ・・・港の前にもカニの販売店があったけ

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古い港町の雰囲気、面影があります。

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少林寺
達磨大師を本尊とする寺院で、縁の深い中国の少林寺と寺号を同じにしているそうです。
山門は舟柱をそのまま使用しているという、港町で繁栄した頃を偲ばせる・・・

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住職さんが、達磨のコレクションを見て、というので・・・

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港では近くの水産高校生なのか、実習をしているようだったが
写真を撮っていたら、ボキッと大きな音がしてオールが折れた 

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港の近くには大きな屋敷があって、昔の船主か問屋の家だったかな?と思わせる。

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どうも、祭礼はこの神社らしい・・・
階段や祠は、色からして、やはり越前から運ばれた笏谷石でしょう

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さて、散策も終えて、鶴岡市内へ戻ります。

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加茂が、今回の北前船の実地見学の最終地となりました。
出羽(秋田・山形)に関する北前船については、またまとめて記事にいたします。



致道博物館前でバスを降ります。この辺り、久しぶりだな~ワクワクする

「大宝館」 大正天皇の即位を記念して建てられた

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受付の人に食事が出来るところを聞いてみた。
2軒ほど教えて戴いたが、最初の店が見つからなかったので、致道館に行ってみた

すぐ思い出しました 致道館にあるお蕎麦やさんはよく来てました。
鶴岡の昼食はいつもここです。
     ・・と言ったって、10年間隔くらいで、三度目ですけど

そして、メニューはいつも決まって「合い盛」
       お蕎麦と麦切り(うどん)のハーフ&ハーフです。

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「致道博物館」というのは、山形県内から集められた建物を展示している野外博物館です。

「旧西田川郡役所」

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田麦俣の民家

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旧鶴岡警察署は改修工事中でした。

資料館に入ってみたら、北前船の展示もあって、
船宿の看板や竹製の遠めがねなど、珍しいモノが見られて良かった!

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さて、鶴岡で一番憧れている美女に会いに行きます。
「鶴岡カトリック教会」

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以前撮ったときは天気が悪くて失敗したので、今回は期待でいっぱい!
やはり美しい・・・

ステンドグラスは手書きなのです

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彼女に会えれば、今回の鶴岡は充分です。
他の建築物はサラッと撮って再び城址公園へ・・・

駅に行くバスを待っているウチに、雨がポツポツと落ちてきました。
きょうも、どうやら行動中に雨に降られることはありませんでした。

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駅で荷物を出し、バスセンター「エスモール」まで引っ張っていきます。

これから山形に向かいますが、珍しく高速バスを使います。

鉄道より200円ほど高いですが、時間が1時間近く短縮になります。
なにより、一昨日のような乗換が無いのが助かります。

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湯殿山ICや月山ICなどを経由しながら、寒河江から山形に入ります。

さすがに出羽三山は残雪がすごい!7月まで残雪があるそうです。そして寒い!!

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さて、午後6時過ぎ、山形駅に着きました。
すっかり本降りの雨です。
駅から近いホテルですが、濡れました~~

夕食を食べに街に出てみます。
やはり県庁所在地、賑やかですねぇ・・・
周囲は、チェーン店の居酒屋が多いです。

結局、山形駅のなかの店で、海鮮丼と芋煮を食べました。カメラ忘れて写真ナシ!

デザートに、大好物のずんだ餅を買いました。
宮城では「ずんだ」山形では「じんだん」って言うみたいですね。


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今夜はこれにて・・・


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