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●造船用大工道具
本来はこれくらい多種多様な道具が使われているようだ(TEM研究所HPより)
四爪錨も作ってしまったんだね〜
●板図
白山丸の復原の元となった「幸栄丸」の板図を水に濡らしてトレースしたという
昔の船大工は、側面図さえあれば造れたそうだ。
この船には、平面図もあったので、現代の大工でも再現できたのだそうだ。
白山丸の復原の元となった「幸栄丸」の板図を水に濡らしてトレースしたという
昔の船大工は、側面図さえあれば造れたそうだ。
この船には、平面図もあったので、現代の大工でも再現できたのだそうだ。
●小型
単なる模型ではなく、1/10の弁財船である。
和船を設計するときは、板に設計図を描き、船大工棟梁と船主が話し合って作業を始める。
板図は1/10であり、板図のとおり造ったのがこの小型であり、本船の作業と同様な手法・技術を使う。
この小型を造りながら本船の造船作業の打ち合わせをしたのだそうだ。
単なる模型ではなく、1/10の弁財船である。
和船を設計するときは、板に設計図を描き、船大工棟梁と船主が話し合って作業を始める。
板図は1/10であり、板図のとおり造ったのがこの小型であり、本船の作業と同様な手法・技術を使う。
この小型を造りながら本船の造船作業の打ち合わせをしたのだそうだ。
●船形絵馬
木製で立体的になっているものは少ない。船大工さんが作ったのでしょう
奉納者が「天保12年10月12日 加賀屋市三郎」とあるので、
復原白山丸のモデル・幸栄丸の船主と同じ人物です。
木製で立体的になっているものは少ない。船大工さんが作ったのでしょう
奉納者が「天保12年10月12日 加賀屋市三郎」とあるので、
復原白山丸のモデル・幸栄丸の船主と同じ人物です。
●模型和船
国指定重要有形民俗文化財(1974.02.18)
名称:船大工用具及び磯舟 附 山出し用具 模型和船 船形絵馬
(ふなだいくようぐ および いそぶね
つけたり やまだしようぐ もけいわせん ふながたえま)
968点(内訳:船大工用具957点 磯舟11隻
附:山出し用具61点 模型和船2点 船形絵馬3点)
(ふなだいくようぐ および いそぶね
つけたり やまだしようぐ もけいわせん ふながたえま)
968点(内訳:船大工用具957点 磯舟11隻
附:山出し用具61点 模型和船2点 船形絵馬3点)
佐渡の造船は『続日本紀』にもみえているほど古くから行われてきており、江戸時代には、宿根木を中心に五百石船・千石船の造船が盛んに行われた。 この資料は、宿根木における磯舟その他の和船建造具・修理用具等の船大工用具と磯舟をとりまとめたもので、山出し(木挽)用具、模型和船、船形絵馬も整理されている。
昔通りの手法で、きっちり造船されたかが分かる資料の数々で、感動しました。
青森県にも実物大で復原され、かつて昔の寄港地を巡った「みちのく丸」があります。
自力走航できるという優れた船だったのですが、それとの違いが気になって・・・
自力走航できるという優れた船だったのですが、それとの違いが気になって・・・
失礼ながら、比較表を作ってみました。記載に微妙な違いがあるので参考程度ですが。
◎実物大復原弁財船「白山丸」と「みちのく丸」の比較
*両船とも、大船渡(岩手県)の大工さんが助っ人として招かれているんですね。
それにも感動と尊敬の念を抱いてしまいました。
*両船とも、大船渡(岩手県)の大工さんが助っ人として招かれているんですね。
それにも感動と尊敬の念を抱いてしまいました。
いわゆる弁財船、千石船は明治中期から造られなくなり、明治23年以降、和船は減少に転じます。
蒸気船が台頭して来たからといわれますが、それは明治政府の政策によるものでした。
500石以上の和船の新規建造が禁止されたのです。
蒸気船が台頭して来たからといわれますが、それは明治政府の政策によるものでした。
500石以上の和船の新規建造が禁止されたのです。
大型和船は安全性に乏しいので危険だからイカン!というワケですが、
これは、当時の西欧化政策の一環でしょうね。
これは、当時の西欧化政策の一環でしょうね。
それにしても、太政大臣・三条実美、農商務卿・西郷従道って、歴史を感じますね。
その後の北前船は、鉄道の発達により輸送が取って代わられ、電信の発達で情報が伝わりやすくなり、地域間格差による儲けの旨味も無くなり、日露戦争が決定的なとどめとなり終焉を迎えたということです。
(小木町宿根木「佐渡国小木民俗博物館」内 2014年9月8日)
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