5月15日(金)曇り 気温26℃
きょうから、一旦富山県を離れ、能登に向かいます。
昨日、久しぶりに長く歩いたせいか、膝の古傷の具合が良くない・・・
鈍い痛みや不安定感があって、心配になる。
高岡に電車で出て、バスを2回乗り継ぐ予定だったが、重い荷物もある事だし、
バスより電車の方が乗り換えの負担が少ないだろうと思い、
新幹線で金沢に行き、そこからJR特急で七尾に向かうことにした。
「特急かがりび」は、和倉温泉駅まで、のと鉄道を乗り入れています。
また思わぬ出費だったけど、まだまだ先が長いから無理はしないことにした。
七尾駅に着いて、ホテルに荷物を預け、市内循環バスで「七尾市美術館」へ向かう。
七尾は、長谷川等伯の出身地で、美術館は作品を所蔵しているのです。
等伯は好きな画家なので、楽しみの一つでした。
しかし・・・アレ? なんだか、やけに静かで、おかしいゾ・・・
近寄って見れば・・・「休 館 日」の、来館者を突き放す3文字が・・・
思わずヘナヘナ〜
休館日は月曜日のはず、これは一体どういうこと?
頭が真っ白になりすぎて、事態がよく分からない。
向かいにある体育館で訊いてみることにした。
「ぼくら担当が違うので詳しいことは分かりませんが、10日まで特別展をやっていたので、展示替えで休んでいるのではないですかねぇ・・」とのこと。
いつのまにか、後ろに来ていた女性も「もったいな〜い」と言ってくれたが、
諦めるしかないので、また循環バスを待って、町中へ戻った。
一本杉通り
七尾は今も能登の入口ですが、近世から街道が交差する宿駅の基点だったそうです。
小丸山の麓に集めた寺院を中心に門前町として賑わったのが一本杉通りなのだとか
七尾駅からも近いところにある通りで、国の登録有形文化財も数軒ある町並みです。
門前町だっただけに、仏壇・仏具の店が多い。
「花嫁のれん館」で呼び止められて、説明を聞いた
昔、加賀藩の領地を中心とした地方では、婚礼の際、花嫁が持参したのれんを
婚家の仏間の入口に掛け、実家と婚家の水を飲み、先祖の仏壇にお参りをしてから
結婚式が始まったのだそうです。
のれんは、その後一週間ほど若夫婦の部屋の入口に掛けられるが、それが終わると仕舞いこんで、以後、表に出ることは無かったそうです。
友禅染めの美しいのれんで、仕舞ったままにするのは惜しいですが、
さりとて、普段使いにするようなデザインじゃないですしね・・・
現在は、毎年GWの頃に一本杉通りの各家で展示イベントをしているそうです。
さぞ、華やかでしょうね。
中央の看板建築は登録文化財。
万年筆屋さんだった建物で、万年筆のレリーフや、ペン先形の窓など洒落ている。
この醤油屋さんも登録文化財
お昼時になったので、教えてもらった食事処に行ってみる。
七尾湾が見えた。
食彩市場(道の駅?)には、海鮮を中心とした食事処が数店入っている。
あぶり海鮮丼には、いしるが掛かっていて、そのまま食べられる。
建物の裏側には海が広がっている。
さて、お腹も落ち着いたので、また一本杉通り散策を続けます。
大きな寺院がある。この裏山が「小丸山」だ。
高澤ろうそく店も登録文化財
お香も扱っているので、オリジナルの「等伯香」を買いました。
雅な香りがします・・・
通りの裏側を回って、小丸山に向かいます。
途中で、こんな近代建築を見つけた。
病院のような感じだが、旅館跡だったかもしれない。
小丸山城址公園
前田利家が初めて築城したのが、小丸山城だったそうで、ここが百万石のルーツと言える。
本丸跡には、利家とまつの銅像が立っていた。
加賀藩や前田家に、特に関心はありません、むしろ好きではないかも・・・
でも、ここからの眺めはいいです。
さて、一本杉通りは桜川の小島橋から御祓川の仙対橋までの通りですが、
仙対橋から先は東部商店街となっており、こちらにも古い建物がチラホラあります。
西の一本杉通りが商人町なら、こちらは職人町だったそうです。
広い道路を渡った先なのだが、信号がない。
能登は、道幅が狭かろうが広かろうが、とにかく信号が少なかった!
この酒蔵も登録文化財
通り以外にも古い建物が点在しているので、それを見ながらホテルに戻る。
早めにチェックインしたので、1回目の洗濯をすることに。
しかし、能登に入って、三食の食事をとるのに苦労しました。
行く所が観光地ではないので、食べる場所がホントに無かったんです・・・
中心地にも食事の店は無く、コンビニがあれば上出来。大御馳走でした。
それなりの工夫と、食い物を見たらチャンスを逃さず、乗り切りました〜
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