全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2016年05月

Architec旅日記 ~北前船の旅 但馬・伯耆・因幡編~ その10 / 大山所子から足立美術館へ


5月18日(水)晴れ 気温26℃

きょうもいいお天気。こちらに来たら見たいと思っていた所へ行きます。
まだ散策してない米子市内も捨てがたいが、こちらも先送りしたくない・・・

まずは山陰本線でGo!

「大山口(だいせんぐち)駅」

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駅から徒歩10分。ガソリンスタンドで道順を確認しながら歩きます。
最初の目的地に到着。

◎大山町所子伝統的建造物群保存地区

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「所子(ところご)集落」は、重伝建の区分では「農村」になっていますが、
鎌倉時代の下鴨社領の荘園が発祥だとか。
大山信仰に関係するとか、山伏や御師などが住んでいたのでは?なんて思っていましたが、直接関係ないようです。


集落の入口に「砲身塔」
巡洋艦「春日」に搭載されていた本物らしいです。
こういう慰霊碑、昔は多くあったんでしょうかね?

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大きな屋敷が眼に入ってきた。
「大庄屋」を務めた「門脇家住宅(国重要文化財)」

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「本門脇家」の周囲には、分家の「東門脇家(国登録有形文化財)」「南門脇家(鳥取県指定文化財)」の邸宅がある。

まるで横溝正史の金田一探偵の世界みたい。ミステリーは起きないでしょうが

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「延命地蔵堂」

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きょうは雲ひとつなく、大山の眺めが最高

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遠く日本海を望むこともできる。

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「美甘(みかも)家住宅(国登録有形文化財)」
 江戸時代末期の建築だそうだ

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庭園は富士山の溶岩で造られていると、17代当主のお爺ちゃんが説明してくれた。

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やはり、江戸時代に船で運んできたという。
富士川から信濃川を経由して日本海の新潟か、それとも富山辺りから廻船に乗せたのかな〜などと、ルートが気になる私でした・・・

富士山の麓から来たというと「確かにこれは富士山の溶岩で間違いないですか?」と逆質問されたが、「岩肌や気泡の様子から見て火山岩に間違いないですよ」と太鼓判

それからあれやこれや富士山のことをお話した。
富士山の蘊蓄はいくらでも語れるけど、時間に限りがあるので、お別れした。

昔だから出来た話だろうな〜、
今の富士山は国立公園だから、総てのモノの持ち出しは禁止されているからね。

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「賀茂神社」

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神社から北への直線は、この集落では「神さんの通り道」とされている。
やはり、下鴨社領だった頃からの信仰があるように感じた。

ちなみに、所子の観光度はゼロですので、訪問する時はご注意下さい。
住宅内部の一般公開はしていませんし、集落には食事処もありません。
トイレは建築現場にあるような簡易トイレが2コ。

あまり事細かく書くと、ガイドブックみたいと言われちゃうから、これくらいで
詳しくはまた特集記事に書かせていただきます。φ(.. )

そうそう、ブログタイトルから時々間違えている方がみえるので、
今さらですが、私は雑誌「じゃらん」とは関係ございませんよ〜
パクリでもなく「ジャランジャラン」とは、インドネシア語でブラブラ歩くという
意味でございます。


さて、米子に戻って、今度は反対方向の「安来」に向かいます。

安来駅

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足立美術館行きの無料シャトルバスが出ている。
そーなんです。外国の庭園雑誌の日本庭園部門で一位をとり続けているという、
あの美術館に行くのです。

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安来からは島根県になりますね。
安来は、次回の旅で来ることになるのですが、美術館に行っているヒマは無いだろうと、先に行って見ることにしました。

内陸部へ走ること20分。

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「足立庭園美術館」

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平日だというのに、大型バスなどで駐車場はいっぱい。
さすがに外国人旅行客も多く、熱心に写真を撮っている。

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この方が美術館の創設者・足立全康さんのようです。
クラーク博士の銅像と同じポーズと思うのは、私だけ・・じゃないよね。

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お腹が空いたので、館内のレストランで食事にする。
あまり、メニューは多くない。

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出雲ぜんざいをデザートで

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「白砂青松庭」と名付けられたメインの庭

この景観を保つために借景にしている山も買い取ったって言うんでしょ?!
すごいこだわりと財力ですねぇ・・・

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奥に人工の滝もあるのだが、
回遊式とはいかず、竹垣の手前から鑑賞する。

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みなさんはどんな感想を抱かれたでしょうか・・・

私が今まで見てきた日本庭園とは、なんかイメージが違ってて面くらう・・・
確かに日本ふうだけど、西洋っぽいというのか・・・でも、モダンとも違う。

ひと言で言うなら、お天気のせいもあるが、明るすぎて華やかすぎるのだ。
日本独特の美のひとつでもある、陰影ってものを感じない。
庭の中を歩かせてもらえないから、そう感じるのかもしれないが・・・

でも、庭のお手入れは日本一級なんですよね。頑張って!!

再び、シャトルバス山陰本線で、米子に戻りました。
米子駅の0番ホームは「境線」の始発駅。

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水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に完全シフトしていて、
各駅は登場お化けの名前がニックネームになっている。
米子は「ねずみ男駅」終着の境港は「鬼太郎駅」なんだとか・・・

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これに乗るのは、また次のお話・・・


まだ少し時間があるので、市内をじゃらんじゃらん・・

「旧米子市役所」は現在「山陰歴史館」となっている。

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「旧加茂川」のほとりを歩く。
土蔵も見られる。

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川の左岸は長い公園のようになっているが、昔の橋げたがいくつか残っているので、川幅は現在より広かったのだろう。

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「中町後藤家」江戸時代は藩御用の回船問屋だった住宅です。

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旧加茂川に沿って行けば、程なくして中海に出る。その先は日本海。

本日はというか、今回の旅はここまで・・・

今の季節では陽も暮れておりませんが、時刻の頃や良し、
今回もひとり打ち上げやっちゃいますよ。

今までリーズナブルで美味しい食事を戴いてきましたが、それはソレとして
地物の魚が食べられそうなお店を見つけておきましたからね、
ささ、どうぞどうぞ・・・

我が里では食べられない魚介類を頼みました。

焼きハモの梅あえ
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隠岐の島の岩ガキ
 デカッ!普通の牡蠣の4〜5倍はありそう・・・
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モサエビ(猛者海老)
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大好きなフグの唐揚げ
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ヤッパリ日本酒が合います。米子のお酒でした。
近頃はウーロン茶を交互に呑みながらでないと酔ってしまうのです。
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トビウオのお造り
姿盛りで出て来ると思わなかったので、マジマジとお顔拝見。
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食事は牛のにぎり寿司。
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美味しかった!堪能しました〜
豪華に見えますが、皆さんが想像するより安いと思います。

1時間半くらい滞在して、お店を出て来る頃にはちょっとした行列が出来ていたので
やっぱり、人気店なのかもしれません。

これにて、終了です。翌日(5/19)は米子から伯備線に乗車し、
岡山〜大阪経由で帰宅しました。
大阪では鑑賞を予定していた美術展は、私が会期を勝手に勘違いしてて、
秋だったので愕然としましたが、それも次回と言う事に・・・


長々読んで下さった皆様、だんだん 

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Architec旅日記 ~北前船の旅 但馬・伯耆・因幡編~ その9 / 赤碕から米子へ


5月17日(火)晴れ 気温22℃

昨日の暴風雨は収まって、きょうから数日は天気が良さそう。
しかし、山陰地方は最低気温が低く10℃前後なので、寒暖の差が大きい。
いや、平年より最高気温が高くなってると思った方がいいのかも・・・

昨夜も、平日なのに旅館にはお客さんが多かった。

中国人家族御一行もいて、日本人にとっても、決してメジャーとは言えないこの地をよく知っているなぁ・・・
仲居さんに感想を言ってみたら「最近はインターネットで調べて、いろんな国から予約が来ます」とのこと。

朝食

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きょうは最後の宿替え移動日。
最後と思うと、ホッとしたり寂しい気持ちになったり、複雑・・・

まずは宿泊地の米子(よなご)へ!

途中、御来屋(みくりや)駅で、こんな看板を見た。
これは、鉄子ならぬ自称「駅子(えきこ)」の私としては看過できませんゾ

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風力発電機が立ち並んでる。
さすが、風の強い日本海。きのうは、ブンブンとよく廻ったんだろうな〜

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米子駅

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駅前に山陰線発祥のモニュメントが・・・

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山陰線は最初は境港から御来屋まで「山陰西線」として営業を開始した。
後年になって米子〜境港間は、支線の「境線」となったそうだ。
理由は違うけど、本線が支線になってしまったところは「御殿場線(沼津〜国府津)」に似ている。

そういえば、山陰線って明治政府が建設を渋ったので、民間の力で造ったんですよね。
これは、どうしても御来屋駅に寄らなければ!

コインロッカーに荷物を預けて、すぐに元来た山陰線を戻ります。
Q:なんで、途中下車しないのか? A:コインロッカーの無い駅が多いから

昨日、強風で行けなかった赤碕へ、逆方向からアプローチしようと思います。

きょうは米子市内で途中近代建築を撮りながら日本海側へ行こうと思いましたが、
それは出来たら次回に見送ることにしました。


赤碕(あかさき)駅

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昼時に到着したので、まずは食事。
鳥取は牛骨ラーメンが名物のようなので、食べてみた。
「牛骨ラーメンの並」がこの店では普通のラーメンのようで、
男性客が多いので、ダブル、トリプルを頼む人も多い。

いいですねぇ〜、この透明なスープ。豚骨や鶏ガラよりサッパリして私好み。
コムタンが好きな私に合っているかもね。

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揚げ餃子も追加で注文。ラーメンだけじゃもたないもん・・・

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さて、散策開始。

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マンホール蓋のデザイン、なんだと思いますか? いずれ分かります。

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「花見潟墓地」
 海に面して、広大な範囲におびただしい数の墓石が並んでいる。

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自然発生した墓地としては最大級の規模(面積:2万平方m)だそうで、
赤碕の名所のひとつ。

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「赤碕家」とは、鎌倉末期に船上山合戦に北条方として参戦し、
その後ここに住み着き、ご当地の地名を苗字にした一族とのこと。

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海側ではなく、旧道添いにある墓が古そうなので、ここからどんどん広がって行ったと思う。
しかし、さして人口も多く無さそうな集落なのに、家の軒数に対して墓が多すぎる気がする?

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「西港」
ここは、現在の漁港です。

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近くに大きな「河原地蔵尊」が立っていた。高さは4mを越えているという。
延享4年(1747)の建立で、町の文化財に指定されている。

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「菊港」
 鳥取藩が拓いた港で、江戸時代廻船が往来したのはこちらの港です。
 現在は、港としての機能はありません。公園になっています。
 藩の米蔵があったというが、現在は残っていないようです。

 鳥取藩は、お手船で米の移送を行ったため、民間の活躍を削ぐこととなり、
 山陰地方においては、多くの北前船は通り過ぎていったと言われます。

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「波しぐれ三度笠」
 北前船をイメージしたモニュメントだそうですが、モアイのようですね〜
 これが、マンホールの蓋に描かれているのです。
 三度笠じゃ海より股旅モノみたい・・・行って見ることはしませんでした。

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船つなぎ石の跡か・・・

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さて、ここから旧道に入って町並みを歩きます。
赤碕にも有力な廻船業者が住んでいたそうで、往時を偲ばせる大きな家が並んでいます。

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「旧塩谷家住宅」
現在は「塩谷定好写真記念館」
写真界の草分け的存在で、国際的にも有名な写真家だったようです。
塩谷家は江戸時代廻船業を営み、定好は7代目にあたるという。
この日は休館でした。

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そうそうたる邸宅ばかりですね・・・

さて、ユックリ赤碕を見学できたので、米子に戻ります。
その前に御来屋の駅舎を撮らねば!!


「御来屋(みくりや)駅」
駅舎は大きいですが、無人駅です。
事務室だったところは物産販売所になってました。

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ホームにある待合所は、昔の客車を利用したもののようだ。
同じ形や色の客車を「大井川鉄道」のSLが牽引しているので分かった。

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写真を撮っていたら、駅舎にいた旅行中の女性に「ずいぶん長く停まっているんですねぇ」と声をかけられた。

そういえば、まだ発車してないし、乗り込む人もユックリとホームを渡っていく。
エェッ?!と発車時刻表を見たら、まだ17分もある。

ここで快速ライナーを先に通して、更に列車交換があるので、長く停まっているようだった。・・・知らなかった。

御来屋まで切符買っちゃったよ〜 列車を離れてもよかったかもしれないのに。
チッ! 時刻表を見ていたら気がついたのにな〜

ま、仕方が無いですね。また切符を買って乗り込みます。
次の列車で帰ると思っていた分、特をしたと思わなくては・・・


「名和駅」では「後醍醐天皇御着船場」という案内柱があった。

後醍醐天皇が隠岐に流されるときではなく、隠岐の島から命がけで脱出した時、
たどり着いたのが「名和の湊(今の御来屋港)」だったのだとか。
この地の豪族・名和氏が援助をしたのだとか・・・

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もう、鳥取県もこの辺まで来ると、島根県との関連が出て来ますね。

と言うワケで? 今夜の夕食は隠岐の島産のイカのづけ丼です。
イカは、どこで食べても美味しいね〜

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Architec旅日記 ~北前船の旅 但馬・伯耆・因幡編~ その8 / 八橋から倉吉へ


5月16日(月)曇り後雨

昨夜からの風が、朝になってもまだ続いている。

朝食
家に居たら、朝からこんなに多くの品数を食べることないですよね〜

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陽差しはあるものの、風が強い!
松崎駅に行ったら、無人駅なのに駅員さんがいる。

自動販売機で切符を買ったところで「どこまで行くのか?」と話しかけられた。
「八橋まで」と答えると「きょうは強風の影響で倉吉から先は運転見合わせしている」とのこと。
エェ〜! 不安だな、、、NHKニュースでもそんなことは伝えてなかったよ〜

「詳しくは倉吉駅で訊いて下さい」というので、とりあえず乗車する。
ダメだったら、倉吉で降りよう・・・

倉吉では、もともと列車交換があるので停車する。
その時間に駅員さんに訊いたら「赤碕〜下市間が運転見合わせですが、順次動かしています」という
ともかく、八橋までは行ってみよう。後はその時次第ということにしよう。

途中の駅ではすべて停車時間が長くなっている。ホントに見合わせだ・・・

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15分遅れで、9:15「八橋(やばせ)駅」到着。
               「やばし」じゃなくて「やばせ」です。

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降りてみたら、ホームや駅舎の中に高校生がいっぱい!
「倉吉方面行きの電車を待っているの?」と訊いたらそうだという。
「どれくらい待っている?」「2時間です」「え〜!どうしよう・・・

通学時間に駅に来てみたら、運転見合わせのアナウンスがあったので、それからズーッと待っているのだそうだ。

時間が経てば解決するかもしれないと思って、散策を始める。

駅の近くには「八橋城址」があった。
戦国時代は、毛利氏の山陰における重要拠点だったと案内板に書かれていた。

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駅から北進すると海岸に出るが、その手前が旧街道で、古い町並みが見られる。
右に行くと、造り酒屋や旅館跡がある

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「旧中井旅館」小泉八雲も泊まったことがあるそうだ。

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城下町らしく道は「鈎の手」になっていて、「制札場」跡も見られた(右)。

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海岸に出て来た。

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小泉八雲来訪の記念碑が立っていた。

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砂浜の砂が強風に巻き上げられて、10mくらい立ち上がっていた
唖然として見て居たら、砂粒がこちらにザーッと襲ってきた。イテテッ!

驚いたな〜、風の強い日本海を旅して来ましたが、こんな光景は初めてです。

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前回、鳥取から西は、海岸線に起伏がなく、のっぺりしていると書きました。
ごらんの通りです。
なので、八橋は北前船の寄港地というよりは、廻船業者の町だったのです。

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城下町の痕跡は、町のあちこちに見られる。
ここは「八橋城搦手口跡」城の裏口になるそうで、奥が城跡になります。

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また、八橋は「伯耆街道」と倉吉に向かう「八橋往来」の分岐点でもあったので、
各地に向かう旅人が往来し、とても賑わったそうです。


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日本海へ注ぐ「八橋川」

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この辺り、廻船業者の家が並んでいたそうで、
司馬遼太郎の『菜の花の沖』に出てくる高田屋嘉兵衛と縁のある堺屋喜兵衛の
屋敷もあったそうだ。

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実は「菜の花の沖」は、まだ読んでないんですよ・・・
やっぱり読んでおかないと、拙いかな〜


1時間半くらい散策していると、電車が走る音が遠くから聞こえてきた。
どうやら、運転も回復してきたのかな・・・?

駅に戻ってみたら、もうさすがに高校生の姿は無かった。
しかし、構内アナウンスでは、上下線とも約50分の遅れが出ている模様。

この後は、隣の「赤碕(あかさき)」に行ってから、午後は倉吉に向かう予定
だったが、もう既に時間はオーバーしているし,いつ行けるかも分からない。

晴れて風も無かったら海岸に沿って行けそうだが、きょうは風に吹き飛ばされそう。

きょうは赤碕行きは断念して、倉吉に行く事にした。
程なくして倉吉行きの列車はやって来た。これも1,2本前の列車に偶然乗れたのだ。



◎「倉吉打吹玉川伝統的建造物保存地区(重要伝統的建造物群選定地区)」

倉吉駅から4km、バスで12分。
ここも2回目です。
前回は体調が悪くなってしまい、充分に楽しめなかったのですが・・・

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倉吉は、陣屋町として発展してきた。商業が盛んで土蔵に面影を残す。
一般住宅の形式は、下記のようなものが多いように感じた。

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「旧第三銀行倉吉支店」明治41年竣工
現在は「白壁倶楽部」としてレストランになっているので、ここで昼食にする。

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食べてしまって、メイン料理の写真がありませんが、チキンのグリルでした。

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予約していたらしい関西からの20人くらいの団体さんが到着。
リーダーは、いかにもコテコテの浪花のおっちゃんらしい人物で、
ひとりで張りきってて、明石家さんまみたいなしゃべり。

しかし、コテコテおっちゃんは、おっちゃんなりの気遣いを皆さんにしていて、
微笑ましかった。


レストランを出たら、雨がポツポツと降り出した。

「はこた人形工房」を訪ねた。

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「はこた人形」は、倉吉の郷土玩具で、赤色は魔除けの色。
子どもが病気になったとき抱かせて病気を人形に移させたという謂われがあります。
私は郷土玩具コレクターですので、以前来た時に買いました。

現在はカシュー塗料を使っているそうで、艶があり過ぎて素朴感が薄れているけど、
各地の郷土玩具が姿を消している現在では、継続して作られているのは貴重です。

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「旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店」昭和6年竣工
現在はギャラリーになっています。

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雨がひどくなってきたので、「倉吉絣」の展示館で雨宿り

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江戸時代、境港の弓ヶ浜は綿作地帯となり、「米子綿」のブランドが生まれ、
倉吉では絣が作られたということのようです。

「倉吉絣」の特徴は、模様が多様で美しいことでしょうかね?

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赤瓦一号館で、絣の敷物を買いました。
これで、私のおひな様コレクションがひとつ増えました。

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さて、「打吹(うつぶき)山公園」に上がって、倉吉の町並みを眺めてみようと思ったが、突然、台風並みの風雨となってしまった。カサが壊れそう・・・
これでは、チョッと無理・・・またしても登れなかった。

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たまらずに白壁地区に戻ってみたら、観光客の姿は見事に無くなっていた。
み〜んな〜、どこへ行った〜

これ以降、雨が止むことはありませんでした。

白壁土蔵地区から倉吉駅を経由して松崎駅に行く路線バスがあるので、
こんな日は、乗り継ぎ無しは助かります。それに乗って宿に戻りました。

やれやれ、今日は晴れ〜強風〜暴風雨とお天気なんでもアリの一日でした。
さ!お風呂にゆっくり浸かろうっと

Architec旅日記 ~北前船の旅 但馬・伯耆・因幡編~ その7 / 東郷湖のほとり


5月15日(日)晴れ後曇り 気温27℃

きょうは二度目の宿替え移動日。8時少し前に宿を出る。

泊まっていた宿にも香住駅にもエレベーターが無いので、キャリーバッグを持って
階段を上り下りするのは重くて時間が掛かるだろうと思ったからです。

贅沢を言うワケではないですが、宿はともかく駅にはエレベーターが欲しいですね。
観光客だけではなく、地方の駅は高齢者の利用が多いから反対側のホームに行くのは重労働でしょう・・・

香住駅の待合室には、近辺の魚が水槽で泳いでいる。
近くの水産高校?が飼育しているそうだ。

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なんで、揃ってカメラ目線なんだよ〜

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「鎧駅」付近通過

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ね、ホームから海がすぐ目の前でしょう〜?

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「餘部橋梁」も列車に乗っていると、こんな風に見えます。
橋のガードが透明になってるんですね。

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鳥取駅で乗り継ぎます。待ち時間40分・・・
飾ってあるのは「しゃんしゃん祭り」に使う花傘。コレを持って踊るのだとか。

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1時間ほどで「松崎駅」に到着。
きょうから泊まる旅館に荷物を預けて、散策を始めます。

「東郷湖」「東郷温泉」を知っている人は少ないと思いますが、いかがでしょう
私も知りませんでしたし、私の家族・友人にも知っている人はいませんでした。

この一帯は「湯梨浜(ゆりはま)町」といって、東郷町・羽合町などが合併して、
新しい町名になったそうです。
二十世紀梨の産地であるのと温泉が湧いているところから命名されたそうです。

いつ頃だったか、羽合温泉を日本のハワイとかいって、TV番組で盛んにやっていた
のを覚えています。ここだったんですね〜

私が泊まるのは、東郷温泉です。

湖の畔に見えているのは「燕趙園(えんちょうえん)」

鳥取県と中国河北省の友好のシンボルとして建てられたそうです。
中国庭園を中心とするテーマパークで、道の駅も併設されているという広大な施設でした。
建物は中国で設計・素材の調達・仮組され、解体して運ばれたうえ、
中国人技術者の下、再度建設したという本格的なものだそうです。
私は見ませんでしたが・・・

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園地の中にあるレストランでまずは昼食。中華じゃないよ。
歩くから、エネルギー注入です。

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東郷湖は周囲12kmで、山陰では二番目に大きな湖だそうです。
日本海の内海がふさがって出来たのだとか・・・

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食事をしていたら、目の前を人が次から次へと一方方向に歩いて行くので、
何だろうと思っていたら、きょうはウォーキング大会があるとのこと。

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東郷湖の左岸を歩いて、日本海へ抜けたいのですが、
湖を渡る風があっても、きょうは気温が高く、暑くてスピードが鈍る
途中、湖に沿った公園がいくつかあるので、休憩するのには助かります。

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羽合温泉を過ぎ、浅津(あそづ)に入った所で、1時間強経過。

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目指す橋津はまだ先、さらに日本海を見るとなると、あと1時間はみなくては・・・
中国自動車道の高い道路がみえますが、あれより先になるのです。

ここは橋津川といって、東郷湖と日本海を繋ぐ川で、昔は舟運がありました。
藩倉も一棟残っているそうなので、行って見ておきたいのですが・・・

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 現在時刻がPM2:00
頑張れば行けなくはないが、帰りも歩くとなると・・・
橋津に行って宿に戻るまで、あと3時間は見なくてはいけないだろう。

きょうは夕食付きだから、時間が遅くなるのも迷惑だろうしな〜
一泊二食って、食事処を探す苦労はないけど、時間に縛られるんですよね・・・

荷物を預けたときに「倉吉くらいまでならお送りしますよ」と言われたのを思い出して、迎えに来てもらおうと思いついた。

問題はどこで待つかだ・・・橋津まで行こうか?それともここでか?
考えあぐねて、もう疲れてもいたので、この橋のたもとで待ちました。

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宿に電話をかけましたが「あさづばしのところで・・」と言ってもわからない。
「あ〜、あそづばしかな、浅いに津と書く・・」微妙な違いで通じないものだな。


東郷湖を甘く見てましたね。
分かっていたら橋津まで送ってもらって、帰りの片道だけ歩くという方法もあったなと、今さらウジウジと思いを巡らせてしまった。
結局、東郷湖半周ウォーキングしただけになってしまった。
でも、日本海の入口を見ただけでもヨシとしよう! ン・・・?


いろいろあって、旅館に到着。

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湖畔に立つこの旅館は、歴史が古いらしくて明治大正時代の宿泊客には、
田山花袋など、政財界やら文人墨客のビッグネームが並んでいた。

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ウォーキングのお客さんもいるのか、日曜日にしては宿泊客が多い。
私もリュック背負っているので、間違えられた。(でも、結果は同じか・・・)

佐渡に行った時はトライアスロン大会があって、そこでも間違えられたっけな〜
決してスポーティーな体型じゃないのにさ。

一服して、旅館のお庭を廻ってみる。

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源泉をふたつ持っているそうで、大浴場の他に貸切風呂や3つの貸切露天風呂がある
予約制や別料金ではなく、空いていれば入れる。

この眺めの良さそうな露天風呂に入ろうと思ったが、散歩から帰るときに先を越された。

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館内の貸し切り風呂が空いていたので、そちらに入った。
湯船にとっぷり浸かると、今まで一週間の体の疲れや、きょうの精神的な疲れが
ほぐれるわ〜〜

夕食の時間です。
朝夕とも部屋食でした。そんな贅沢な・・・

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栃餅と揚げ物は花筏(はないかだ)。葉っぱに豆のような実が付いてるアレです。

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この旅館は、一名でも宿泊できます。
ひとりでユックリしたいというリピーターも多いのだそうです。
私が泊まれるくらいなので、お値段はリーズナブル。


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夜が更けると、風が強くなって来ました。
湖畔で周囲がひらけているので、強烈!
古い建物なので、ガタガタと音を立てていました。

Architec旅日記 ~北前船の旅 但馬・伯耆・因幡編~ その6 / 諸寄から浜坂へ


5月14日(土)晴れ 気温23℃

きょうは暑くも寒くもなく、風も心地よく、この旅一番の日和。

往きの列車に乗っていたお爺ちゃんと地元のお母さん達との会話が耳に入ってきた。
お爺ちゃんは、北海道の旭川の近くから5/9に発って旅行を続けている。
5/9出発といえば、私と同じ日だな・・・

鉄道の鈍行と安い旅館を使って旅をしているそうで、奥さんとは趣味が合わないからひとり旅。
九州の鹿児島まで行って、帰りは新幹線を乗り継いで帰る予定なのだとか。

旅行の方法は、私と同じなので、趣味が合うけど、
鈍行だけでも、北海道から一週間くらいでここまで来れるんだな〜


「諸寄(もろよせ)駅」
 見たとおりの無人駅

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山陰本線は、町中のチョッとした橋梁もレトロだ。

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昔の諸寄には、有力な北前船主がおり、越前・若狭から石見・長門などにかけて
取引していたそうだ。
しかし、その多くは明治になって地主に転身したそうで、交通の変換の時代に、
上手に見切ったといえる。

町の中に入ると立派な家が出て来た。
出会ったお爺ちゃんの話では、酒屋さんの家だそうだ・・・

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「諸寄基幹集落センター」
 旧諸寄小学校の跡に建てられた資料館兼集会場のような施設。
 北前船の資料もあるとのことで寄ってみた。
 入口は開いていたが、誰もいないし、資料室は閉まっていた。

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諸寄港
 背後にあるのが、日和山です。

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港の周辺は漁村風景

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左の小山の中には「恵比寿神社」がある。

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日和山に近づくために集落の中に入ってみる。

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ここから眺めた日本海も絶景!!

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しかし、周辺をグルグル廻ってみたが、日和山に登る道が見つからない。
あっても、慣れた人なら登れそうな狭い急坂ばかり。
地理院地図のコピーを見ても、道は書かれていない・・・

諸寄日和山には、灯台や灯籠の名残があると聞いたのだが、これでは仕方が無い。
もしかすると、すこし位置を間違えているのか?

しゃぁない 再び港に下る。

ほら、灯台が見えてるでしょう? 
一体ぜんたい、どこに道があったのかな〜(ま、いっか〜)

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港に沿って、浜辺をまったり散歩します、ここも良い景色!

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砂浜で、なにかを一所懸命探しているカップルがいたので、訊いてみたら
シーグラス(打ち寄せられたガラスの破片)を集めてコースターを作るのだとか。


ハマナス
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さて、再び山陰線で浜坂へ・・・


「浜坂駅」
 諸寄の隣の駅ですが、こちらは見るからに賑やかそうですね〜
 浜坂止まりという列車も多いです。
 観光案内所もあるので、お散歩地図を戴いて、まずは浜坂漁港へむかう。

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海辺の墓場って、この地方にはけっこうあるんだよね。

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新田次郎文学碑
 浜坂出身の登山家・加藤文太郎を主人公とした小説『孤高の人』の一節が書かれていた。
 その地方では有名な人でも、他所者には全く初耳な人が多いのですが、
 加藤文太郎は、単独行の登山家だったということは、小説で知ってます。
             (ホントは、全部読んでないんですけど・・・

 新田は富士山測候所勤務時代に加藤にあって、感銘を受けて題材にしたとか。

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まずは、港の近くで昼食にします。
すごいビル・・・魚の卸業者か?? 魚市場とレストランが入っている。

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お造り定食を注文。
すごいでしょう〜? これで一人前ですよ。なんでもこれくらいのボリューム。
それでもって、安い! どのメニューも2千円以下。さすがですねぇ〜

比べるのもなんですが、往きに食べた京都のハモ寿司の駅弁と値段がかわらない。
うちのほうでは3千円以上はするかな? 都会だったらもっと高いかも・・・

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もうもう、お腹いっぱい パッツパツで、いささか気持ち悪くなるくらい・・・

魚市場に寄ってみたら、魚がまたどれもこれも驚くほど安いこと!
例えば今が旬のホタルイカなどは我が里のスーパーでは小さなトレイにひと並べで
300円くらいですが、ここではビニール袋いっぱいで同じ値段でした。

港の近くに住んでいる人が羨ましいですね〜

ジオパーク館のある県民ビーチを散策する。

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ジオパーク館に昔の古写真があった。
ここから船に乗ったようで、沖に帆船と小舟が停まっている。

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北前船の時代の諸寄・浜坂からは、当時の特産品「諸寄砥石」を移送したと
館内展示にあった。

山陰海岸を形成している様々な岩石の見本も置かれていた。

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ビーチを進むと、日本海に注ぐ「岸田川」が現れる。

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ここから「味原(あじわら)川」が分岐して船溜まりになり、町中を通っていく。

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「あじわら小径」
ここには、廻船業者の屋敷が連なっていたそうだ。
港が近いし、舟を着けられる川が近いし、いいポジションです。

石垣と小川が良い雰囲気。

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近くに「加藤文太郎記念図書館」があった。
公共施設に名前を冠するくらい敬愛されてるってことですね。
ちなみに、彼のお墓も浜坂にあるそうです。

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温泉施設の近くには、飲用温泉や温泉卵専用の蒸し釜もあった。 熱かった

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温泉が多いんだけど、山陰の火山帯って、なんだっけ? 三瓶山??


最後にあじわら小径の「先人記念館・以命亭(いめいてい)」に寄ってみた。

「七釜屋森家」の屋敷を改修したもの。
廻船業者の邸宅じゃないかと思ったのだが、造り酒屋を営んでいて、
明治時代には、文化人を輩出した家だそうだ。

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母屋の外側に増築して資料館としているのが分かる部分。
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さて、これにて本日は終了〜〜

現在では全く様子の違う二つの港町だったけど、
       「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)ですね。

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