全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2018年01月

寒いですね(>_<)


1月31日(水)

もう1月も終わり・・・
寒いですね〜〜、体調崩していませんか? 私は元気です。

寒いとは言っても、我が里では雪は全く降りませんでした。
雪で苦労している方々には申し訳ないですが、チョッと期待しましたが肩透かし。

周囲を富士山・南アルプス・愛鷹山などの高い山々にブロックされているせいか、
暖かい静岡県でも、一番暖かいのではないかと思っています。
私が記憶しているかぎり、我が里で雪が積もったのは人生で2回くらいです。

県内で雪が降るところというと、
富士山麓の御殿場・富士宮、南アルプスが近い井川・静岡市の山奥、
それと伊豆の天城くらいですね。西部地区も西が拓けてるのでたまに降る。

だから、わざわざ雪見の旅行なんてモノをするんですよ。
私もむかしは行きました。というか年末年始休暇ではそうなってしまう・・・

うちのほうで「寒いね」というと+10℃、「すごく寒いね」は+8℃です。
今の時期、同じような気温は、他には鹿児島県くらいですかね。

それが、先週は+5℃にも下がって驚きました。私の中では記録更新です。

これでもね、低温注意報が出てるんです。所変われば、でしょ?!

まだまだ寒波は居続けるようですから、引きつづきお体ご自愛ください。


さて、バレンタインデーが近いせいか、チョコレートが店頭に並んでますね。
普段見かけないものがあってチョコ好きには嬉しいかぎり。

以前はゴディバなどで買ったこともありますが、今はもっぱら、スーパーです。
もちろん、自分で食べるためですよ〜〜 

これは、宇治抹茶と焙じ茶のチョコレート。
京都のお茶屋さんとのコラボだそうです。

あまりチョコレートっぽくなかったので、多分ホワイトチョコに練りこんでいると
思います。
抹茶のほうを食べてみましたが、
中に抹茶クリームが閉じ込められていて、抹茶の味そのまま!マッコテ

口溶けが滑らかで美味しゅうございました チョコ嫌いの人にはいいかも・・・


イメージ 1



さ、今度はどんなチョコにしようかな〜〜



山口・下関 / 旧秋田商会ビル ② 2F〜3F



●2F
 階段を上がると洋間部分

イメージ 1


イメージ 2

窓から隣の南部町郵便局が見える

イメージ 3

和室

イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7


塔屋のアールの部分

イメージ 8


イメージ 9

トイレ

イメージ 10


イメージ 11


●3F

イメージ 12


イメージ 13


イメージ 14


イメージ 15


イメージ 16


イメージ 17


イメージ 18

店主・秋田寅之介には梅子という女子しかおらず、三一という養子を迎えた。
これで、三代続けての婿養子ということになった。
梅子さんは無事男児を出産し、その後の時代も嫡男が後を継いだらしい。
めでたしめでたし (^^)

イメージ 19


塔屋のドームへ続くらせん階段

イメージ 20


イメージ 21


イメージ 22


現在は、階段への立入は禁止されているが、以前は上ることが出来た。
2000年撮影
イメージ 23

↓ かまぼこ形の窓がある部分です。

イメージ 24


下関市指定有形文化財(2015.10.27)

「旧秋田商会ビル」の2〜3Fは住居兼事務室になっています。

ともに、国道に添った表側は、客室を含むプライベート空間として使用され、
階段と廊下を挟んで、裏側(北)は事務空間と、区切られているようです。
事務室などは洋風ですが、プライベート空間は和室で、ほとんど女性(妻、娘)の部屋に充てられてますね。
書院造の部屋もあり、格調高い意匠が施されています。

部屋の周囲をぐるりと廊下が巡らされており、西洋館のサンルームっぽい。

南角には、らせん階段があって、塔屋の最上階に上がるようになっている。
今は安全上という理由で、屋上庭園特別公開の日以外は見学者は使えませんが、
以前は上ることができました。
貴重な体験だったですねぇ・・・

もう記憶はさだかではありませんが、ここからでも眺めが良かったはずです。(^^)

                      (南部町 2017年5月16日)


イメージ 25



山口・下関 / 旧秋田商会ビル ① 外観と1F



イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5

屋上庭園がチラッと見えている。

イメージ 6


イメージ 7


=======================================
写真はネットより

イメージ 8


イメージ 9


=======================================

イメージ 10


イメージ 11

●1階

イメージ 12


イメージ 13


イメージ 14


イメージ 15


イメージ 16

部屋の奥、階段上部には、造り付けの時計。
今も動いていますが、時間が20分ほど遅れています。(^^)

イメージ 17

階段付柱に毛利家の家紋。

イメージ 18


イメージ 19


                    (南部町 2017年5月16日)
下関指定有形文化財(2015.10.27)
名称:旧秋田商会ビル(下関観光情報センター)
   附 屋上庭園及び離れ座敷、防火壁、建築関係図面

大正4年(1915)竣工
設計:秋田寅之介 新富直吉
施工:関門商事
構造および形式:鉄骨鉄筋コンクリート造地上3階地下1階、陸屋根、塔屋付、
        ドーム屋根:銅板葺
        離れ座敷:木造、入母屋造、銅版葺
        間口9.545m、奥行25.452m、
建築面積:241.46㎡(離れ座敷:建築面積16.12㎡)


2000年撮影

 左:下関南部町郵便局
 右:旧秋田商会ビル(ここからだと屋上庭園の全貌が見える)

イメージ 20


イメージ 21


イメージ 22


イメージ 23


イメージ 25



下関市の唐戸地区は古くから港町、大陸への玄関口として発展していました。
南部町から阿弥陀寺町にかけての関門海峡側が古来の港だったのですが、
幕末や北前船の時代は、西の伊﨑(竹崎)が中心になりました。
つまり開港当時は、東側にある唐戸(馬関港)が中心だったのです。

この建物は唐戸交差点の角地に建っています。

「秋田商会」は「柏長」という屋号の材木会社に始まり、明治末に台湾・朝鮮半島・
旧満州に進出し、日清・日露戦争を通じて海運・貿易などで発展した。
「秋田商会」の事務所兼住宅として、大正4年に建てられた。


建物の前を通る国道9号線(旧西国街道)を渡れば、正面は唐戸の港。
昔は街道付近まで海だったというから、貿易会社としては一等地ですよね。

店主・秋田寅之介自らの設計との説がある。

秋田寅之介(秋富寅之介)は明治8年(1875)に誕生、
秋田松次郎(この人も秋田家の養子)の養子となり、
秋田商会木材社長を務め、大正6年(1917)衆議院議員となる。

「時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家」大正5年によれば、
山口県 五十万円 ○ 秋田寅之助(材木運送業)下関市東南部町
財産種別 不動産五万円、営業資金四十万円、有価証券其他五万円
略歴 明治八年四月一日を以て生れ三十五年三月秋田家の養子となる夙に実業に志し
曩に合資会社秋田商会を創立し、其の社長となりて木材売買運送及海外貿易の事業に
従事す。
市会議員、商業会議所議員海事会員等に推され業務の傍ら公共事業に尽す事少からず。


外観は、付け柱が並び、その装飾に明治時代の様式を留めているが、外壁の化粧材に、当時まだ高級だったタイルを用いている。
角地を活かして隅切りにアールをもたせ、正面玄関とドームのある塔屋を配置している。
塔屋は秋田商会の自社船の下関港への寄港をいち早く確認するための物見櫓として、
また、夜は灯台の役割を果たしていたといわれる。

塔屋とともに、この建物を特徴付けているのが屋上庭園です。
日本最初の屋上庭園という説もあるそうです。
関門海峡を一望できただろう庭には茶室が設けられ、施主が和んだり賓客を接待したのでしょう。
現在は、特別公開の日にのみ見学ができるそうです。

1階フロアは事務室だったようです。
現在は「下関観光情報センター」として利用され、3階まで無料で見学ができます。
外装・内装ともに改築は最小限で、建設当時の姿を保っているそうです。

秋田商会ビルは、下関のランドマークとして、これからも建ち続けることでしょう。


イメージ 24


出典
「日本近代建築大全」講談社刊 
 山口県HP ほか



山口・下関 / 下関南部町郵便局



ここは、まさに近代建築の交差点
 左:手前が「南部町郵便局」奥が「旧秋田商会」 
 右:歩道橋の向こうに「旧英国領事館」

イメージ 1



イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7


イメージ 8

国登録有形文化財(2001.08.28)

名称: 下関南部町郵便局庁舎(旧赤間関郵便電信局)
(しものせきなべちょうゆうびんきょくちょうしゃ(きゅうあかまがせきゆうびんでんしんきょく)
明治33年(1900)竣工
設計:三橋四郎
施工:岩崎組
構造及び形式等: 煉瓦造2階建、瓦葺
建築面積:477㎡
登録番号: 35-0040
登録基準1:造形の規範となっているもの
所有者名: 日本郵便株式会社
=======================================
解説文:現存最古の現役郵便局舎。
逓信技師・三橋四郎の設計による本格的ルネサンス様式の煉瓦造庁舎建築で、
明治30年代前半における西洋建築意匠修得の技術水準を示す作品とされる。
近年、構造補強と復元工事がなされ,往時の端整なファサードが回復された。
=======================================

◎俵谷高七

イメージ 9

●俵谷式ポスト
 明治期の発明家俵谷高七氏が考案したポストです。
 赤色鉄製の円筒形で、現状のポストの原形に近い特徴を備えています。
 このポストは、明治34年(1901)に試験的に設置されました。

イメージ 10

●「自働郵便切手葉書売下機(じどうゆうびんきってはがきうりさげき)」
 この機械は、明治37年(1904)山口県赤間関(現在の下関市)の発明家・俵谷高七に
 より考案された「自働郵便切手葉書売下機」で、日本に現存する最も古い自動販売機
 です。

 向かって右側に3銭切手の発売口、左側に1銭5厘のはがきの発売口があり、
 中央下部には硬貨の返却口とポストが付いています。
 はがきは、1銭5厘入れると1枚、3銭入れると2枚出てくるようになっています。
 また、在庫が無くなると、売切れの表示もできる仕組みになっています。
 しかし、装置作動の正確さにやや難点があり、実用化されませんでした。

イメージ 11


                     ーー郵政博物館HPより転載ーー
=======================================

                        (南部町 2017年5月16日)


2000年撮影
歩道橋の上から撮影してますね。

イメージ 12


イメージ 13



イメージ 14


イメージ 15


イメージ 16


イメージ 17



現存する現役最古の郵便局。
明治4年(1871)に西之端町に設置された赤間関郵便取扱所に由来する古い歴史を持ち、明治33年に現在地へ局舎が移転したのを機に新築された。

局舎が残っているだけでも貴重ですが、現役で営業していることに最大の価値あり。

正面中央に玄関を設け、壁面にペディメント付き縦長窓やアーチ窓を配置。
外壁はモルタルで石造り風に塗っているようですが、竣工当時はレンガ壁だったという話もあり、どっちなんだろうと、古写真を検索しましたがまだ見つからず。
この周辺には、英国領事館など赤煉瓦の建造物が残っていますから、郵便局もそうだった可能性は高いかもしれない。

また、1999年にファサードが改修されたので、それ以前の姿も興味があるところです。


前回撮ったときは、文化財でもなく普通の郵便局でしたが、今回はカフェを設けているのにビックリしちゃった。
中に入ってみたかったけど、まだまだ行く所が多いので、お茶はしませんでした。

これからも現役で頑張って!!


イメージ 18


出典
「日本近代建築大全」講談社刊 ほか


                      

山口・下関 / 山口銀行旧本店(現「やまぎん史料館」)



イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 15


イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7


イメージ 8


イメージ 9


イメージ 10


イメージ 11


イメージ 12


イメージ 13


イメージ 14



                      (観音崎町 2017年5月16日)
山口県指定有形文化財

名称:山口銀行旧本店(やまぐちぎんこうきゅうほんてん)
大正9年(1920)竣工
設計:長野宇平治
施工:竹中工務店
構造および形式:煉瓦及び鉄筋コンクリート造(カーン式)、2階建地下1階。
    陸屋根で、正面(東面)間口約22m、奥行約21m、軒高約13m、
建築面積:約509平方メートル(154坪)
延床面積:約995平方メートル(301坪)
付属屋:69.038㎡

=======================================
説明 :   
 正面など外壁の主要部は、徳山産花崗岩で仕上げるが、他は擬石モルタルとする。
内壁及び天井は漆喰塗で、格天井や柱頭などに石膏彫刻を施す。
幅木腰羽目は、1階には常陸産縞蝋石、2階には常陸産白寒水石を用いる。
大階段は槻造。 
  
1階は、吹抜けの客溜り・営業室、応接室、金庫など、2階は、四周を歩廊が巡り頭取室など、さらに地階は、貸金庫、ボイラー室などが、それぞれ設けられる。
   
本件は、大正9年(1920)三井銀行下関支店として竣工、その後、昭和8年(1933)百十銀行本店、同19年山口銀行本店となり、同44年山口銀行別館などとなって今日に至っている。 

営業室中央の小屋裏に棟札があって、設計が長野宇平治(1867-1937)、施工が竹中工務店であることが判明する。
長野宇平治は、日本銀行技師など歴任したヨーロッパ古典主義様式の建築家であり、
日銀のほか多くの銀行建築などを手がけたほか、日本建築士会初代会長を務めている。   
なお、背面西側の付属屋(便所)は昭和9年の増築である。   
平成16・17年に、耐震補強と創立時の姿に復原修理(風除仕切・営業台など)する工事が行われている。 
  
正統的な古典様式で建てられた長野宇平治の代表的な建築の一つで、構造やデザインにも時代的特色がよく現れており、本県を代表する近代銀行建築である。
また、下関市唐戸地区に遺る近代洋風建築群の一つでもあり、所有者の保存と利活用に対する取組みも積極的である。

●外観
 建物の外壁主要部は徳山産花崗岩で覆われ、正面玄関脇には、ギリシャ建築様式である渦巻状のイオニア式とアカンサスの葉飾りのコリント式を組み合わせたコンポジット式の柱頭をもつピラスター(柱形)が際立ち、フルーティング(溝彫)が施されている。
窓上部(アーチ要石の上部)にはバクラニウム(牛頭飾り)、フェストゥーン(花綱飾り)、ロゼッタ(花紋)の彫刻が、柱上部のコーニス(軒蛇腹)にはディンティル(歯飾り)がそれぞれ施され、
正面中央には弓形ペディメントが位置し、さらに屋上にはバラスター(手摺り子)を配したパラペット(手摺り壁)や、正面中央に2つの大きなクラーテール(渦巻形把手の形をした古代ギリシャ時代の器形装飾)が配されるなど、本格的な古典主義様式のデザインを採り入れた意匠となっている。

イメージ 16

               
「工学博士長野宇平治作品集・建築世界社 編」建築世界社昭和3年刊より

イメージ 17


イメージ 18


●内部(写真はネットより)
 建物の内部は、壁や吹き抜けの営業室の格天井は漆喰塗で、天井蛇腹、格縁、付柱上部などには石膏彫刻の装飾が施されている。

1階営業室は玄関、風除室、ロビーの亀甲タイル張りやカウンターなどが復原された。
2階部分は吹き抜けの四周を歩廊がめぐらされ、柱の頭部には外部と同じ装飾が施され、
2階は山口銀行創立当時には、頭取室、頭取応接室、人事部室として使われていた。
南北には階段があり、特に南階段は手摺りに特徴を持ち、絨毯とともに当時のままに残されている。

イメージ 19


イメージ 20


      ーー解説文は「山口銀行HP」および「山口県HP」より転載ーー
=======================================

この建物は、下関市・唐戸市場の少し手前(駅側)に位置しています。

設計者の長野宇平治(慶応3年(1867)〜 昭和12年(1937))は、辰野金吾の弟子で、当時、日銀の本店や全国の支店を手がけています。

日銀と言えば宇平治、宇平治といえば日銀・・と言ってるのは私だけです。(^^)
当ブログでも何度か紹介してきました。

活躍した時代が、明治から大正という時代だけに、
古典主義で、私たちが『銀行』といわれて、イメージする姿そのもの。

辰野金吾師匠の赤煉瓦に白いストライプとは違うスタイルで、
この点でも、時代が変わっていると感じます。

銀行以外では、横浜の「大倉山記念館」が残っており、いつか見に行ってみたいと思います。

「山口銀行」の歴史は、明治11年(1878)「第百十国立銀行開業免許」に始まる。
その20年後(1898)に株式会社「百十銀行」へ改組。
多くの県内私立銀行が設立された後、昭和19年(1944)3月に県内の6行が合併し、
株式会社「山口銀行」が設立。

この建物は、大正9年(1920)に「三井銀行下関支店」として、建築設計家長野宇平治の設計監督により建築され、昭和8年(1933)に山口銀行の前身である「百十銀行(明治11年に第百十国立銀行として創設、同31年に株式会社百十銀行として改組)本店」となる。

昭和19年には、県下の6つの本店銀行(百十銀行、華浦(かほ)銀行、船城(せんじょう)銀行、大島銀行、宇部銀行、長周銀行)を統合して「山口銀行」が創立され、本店となった。
昭和40年に新本店が新築されて移転した後は観音崎支店となり、同44年、観音崎支店が入江支店として移転した後は「山口銀行別館」として行内の会議や集会に使われた。
昭和48年から50年には「日本銀行下関支店」として使用された。

平成16年4月から平成17年3月にかけて、建物の内・外部を山口銀行創立当時の姿に戻す復原工事と建物の耐震補強工事が行われた後、平成17年10月に棟札とともに山口県指定有形文化財となる。

創業130周年に至り、山口県の金融や産業に関わる史資料を整理し「やまぎん史料館」として広く公開。(無料)

この時は朝早かったのでまだ開館してませんでした。残念!


下の写真は、
平成12年(2000)に、下関を訪問したとき、唐戸に行く途中のスナップです。
多分、この姿が気になったのでしょうが、撮ったのを忘れていました。
今とは入口の庇が違っていますし、左側に縦の赤い看板が付いているような・・・

銀行の歴史から推測すると、この当時は営業は終わっているものの、
まだ文化財に指定もされておらず、もちろん一般公開もされていない。
いわばブランクの時代でしょうかね・・・

イメージ 21



イメージ 22



読者登録
LINE読者登録QRコード
メッセージ

名前
メール
本文
最新コメント
ギャラリー
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 蒸し豚(boild pork)
  • 鮭の野菜あんかけ
  • 豚肉と筍の混ぜご飯
  • 鯵の丼 2種
  • 鯵の丼 2種
  • 鱈とたらこの親子パスタ
記事検索
アーカイブ
  • ライブドアブログ