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◎1階
●食堂
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建物の中でも特に豪華な内装の部屋です。
木製格天井や大理石のマントルピース(暖炉枠)腰壁は腰羽目板張りを施しています。
この洋館に台所はありません。
当時は建物の西側に附属していた厨房棟から料理を運んでいました。
武藤夫妻は、ここで朝食をとっていたようです。
食事以外にも、会議等で使用されていました。(館内案内板より・以下同じ)
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建物の中でも特に豪華な内装の部屋です。
木製格天井や大理石のマントルピース(暖炉枠)腰壁は腰羽目板張りを施しています。
この洋館に台所はありません。
当時は建物の西側に附属していた厨房棟から料理を運んでいました。
武藤夫妻は、ここで朝食をとっていたようです。
食事以外にも、会議等で使用されていました。(館内案内板より・以下同じ)
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●広間
●応接室
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当時は客待ち部屋として使われたようです。
北側の窓は「ベイウインドウ」と呼ばれる台形に張り出した窓があり、へやン広がりを見せる効果があります。
天井の中心飾りは当初の物です。天井を切り取って保存し、そのまま取り付けられました。
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当時は客待ち部屋として使われたようです。
北側の窓は「ベイウインドウ」と呼ばれる台形に張り出した窓があり、へやン広がりを見せる効果があります。
天井の中心飾りは当初の物です。天井を切り取って保存し、そのまま取り付けられました。
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「客待ち部屋」という表現は初めて見ました。
訪問客が、武藤氏と面会する前に、一時的に通される部屋ということか、
または、迎賓館という目的だから、賓客に従ってきた部下の控え室と思われます。
そういう部屋は、旧セレブ邸宅でよく見ます。多くは玄関の脇にあります。
訪問客が、武藤氏と面会する前に、一時的に通される部屋ということか、
または、迎賓館という目的だから、賓客に従ってきた部下の控え室と思われます。
そういう部屋は、旧セレブ邸宅でよく見ます。多くは玄関の脇にあります。
●1階から見たベランダ
●玄関ホール
玄関脇のステンドグラス
◎2階
●貴賓室
●書斎
蔵書の63%は洋書で、丸善から取り寄せていた。
なかでもナポレオンに関する書籍が多く、いかに関心が深かったかが覗えるとか。
敷かれている絨毯は当時のものだそうです。
蔵書の63%は洋書で、丸善から取り寄せていた。
なかでもナポレオンに関する書籍が多く、いかに関心が深かったかが覗えるとか。
敷かれている絨毯は当時のものだそうです。
●広間(応接・社交場)
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応接や社交場として使われていました。
暖炉、家具、灯具は当時のものです。
クリスマスにはお客様を招いてコンサートを催していたようです。
この部屋から直接ベランダに出ることもできました。
お客様は風光明媚な舞子の風景を愉しまれたことでしょう。
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応接や社交場として使われていました。
暖炉、家具、灯具は当時のものです。
クリスマスにはお客様を招いてコンサートを催していたようです。
この部屋から直接ベランダに出ることもできました。
お客様は風光明媚な舞子の風景を愉しまれたことでしょう。
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この風景、もちろん当時とは違うけど、日本じゃないみたい・・・
「旧武藤家別邸」は、実業家で「鐘淵紡績(鐘紡=カネボウ)」中興の祖と言われ、
衆議院議員も務めた武藤山治(むとうさんじ=1867〜 1934)の別邸として、
明治40年(1907)舞子海岸に建設された。
衆議院議員も務めた武藤山治(むとうさんじ=1867〜 1934)の別邸として、
明治40年(1907)舞子海岸に建設された。
現在は洋館部分しか残っていませんが、建築当初の武藤家には和館があって、
生活は主に和館で、この洋館は迎賓館や仕事の打合せという目的に使われていたと思います。
旧岩崎家住宅など、各地に残る明治末期〜昭和初期のセレブの邸宅に多い形式です。
敷地が広ければ別棟で洋館を建てるか、住宅の角地に洋室を造るというのが多い。
まだまだ、洋式なスタイルが身についていないことがよく分かります。
生活は主に和館で、この洋館は迎賓館や仕事の打合せという目的に使われていたと思います。
旧岩崎家住宅など、各地に残る明治末期〜昭和初期のセレブの邸宅に多い形式です。
敷地が広ければ別棟で洋館を建てるか、住宅の角地に洋室を造るというのが多い。
まだまだ、洋式なスタイルが身についていないことがよく分かります。
それから100年後の現在では、庶民の家ですら和室は付け足しですよねぇ・・
我が家では、ふだん和室を使うことは全然ないですよ。
我が家では、ふだん和室を使うことは全然ないですよ。
また、台所などが別になっているのは、当時、神戸市内の北野などに住んでいた外国人の住スタイルを真似たんでしょうかね?
北野の異人館で、別棟で作った料理を、渡り廊下で使用人に運ばせたという家を見ました。
北野の異人館で、別棟で作った料理を、渡り廊下で使用人に運ばせたという家を見ました。
昔の日本家屋は、武家屋敷や豪商の家でも、風呂やトイレが別なことはあっても、
台所は同じ棟の中にあったから、どう考えても日本の伝統じゃないですよね。
台所は同じ棟の中にあったから、どう考えても日本の伝統じゃないですよね。
外国人も自国に居たら、あんなスタイルで暮らしたとは思えないけどな〜。
普通に考えて、不便・不合理ですよ。料理も冷めちゃう・・・(^^)
普通に考えて、不便・不合理ですよ。料理も冷めちゃう・・・(^^)
外観の軽快なコロニアルスタイルとうってかわって、内装や建具は重厚な印象を受けます。
ステンドグラスや暖炉、家具調度品は当時のまま残っているということです。
ステンドグラスや暖炉、家具調度品は当時のまま残っているということです。
(垂水区東舞子町「舞子公園」内 2018年5月22日)
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