全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2018年07月

兵庫・神戸 / 旧武藤山治別邸・2 室内



◎1階

●食堂
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建物の中でも特に豪華な内装の部屋です。
木製格天井や大理石のマントルピース(暖炉枠)腰壁は腰羽目板張りを施しています。
この洋館に台所はありません。
当時は建物の西側に附属していた厨房棟から料理を運んでいました。
武藤夫妻は、ここで朝食をとっていたようです。
食事以外にも、会議等で使用されていました。(館内案内板より・以下同じ)
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●広間

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●応接室
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当時は客待ち部屋として使われたようです。
北側の窓は「ベイウインドウ」と呼ばれる台形に張り出した窓があり、へやン広がりを見せる効果があります。
天井の中心飾りは当初の物です。天井を切り取って保存し、そのまま取り付けられました。
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「客待ち部屋」という表現は初めて見ました。
訪問客が、武藤氏と面会する前に、一時的に通される部屋ということか、
または、迎賓館という目的だから、賓客に従ってきた部下の控え室と思われます。
そういう部屋は、旧セレブ邸宅でよく見ます。多くは玄関の脇にあります。

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●1階から見たベランダ

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●玄関ホール

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玄関脇のステンドグラス

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◎2階

●貴賓室

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●書斎
 蔵書の63%は洋書で、丸善から取り寄せていた。
 なかでもナポレオンに関する書籍が多く、いかに関心が深かったかが覗えるとか。
 敷かれている絨毯は当時のものだそうです。

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●広間(応接・社交場)
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応接や社交場として使われていました。
暖炉、家具、灯具は当時のものです。
クリスマスにはお客様を招いてコンサートを催していたようです。
この部屋から直接ベランダに出ることもできました。
お客様は風光明媚な舞子の風景を愉しまれたことでしょう。
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この風景、もちろん当時とは違うけど、日本じゃないみたい・・・

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「旧武藤家別邸」は、実業家で「鐘淵紡績(鐘紡=カネボウ)」中興の祖と言われ、
衆議院議員も務めた武藤山治(むとうさんじ=1867〜 1934)の別邸として、
明治40年(1907)舞子海岸に建設された。

現在は洋館部分しか残っていませんが、建築当初の武藤家には和館があって、
生活は主に和館で、この洋館は迎賓館や仕事の打合せという目的に使われていたと思います。
旧岩崎家住宅など、各地に残る明治末期〜昭和初期のセレブの邸宅に多い形式です。
敷地が広ければ別棟で洋館を建てるか、住宅の角地に洋室を造るというのが多い。
まだまだ、洋式なスタイルが身についていないことがよく分かります。

それから100年後の現在では、庶民の家ですら和室は付け足しですよねぇ・・
我が家では、ふだん和室を使うことは全然ないですよ。

また、台所などが別になっているのは、当時、神戸市内の北野などに住んでいた外国人の住スタイルを真似たんでしょうかね?
北野の異人館で、別棟で作った料理を、渡り廊下で使用人に運ばせたという家を見ました。

昔の日本家屋は、武家屋敷や豪商の家でも、風呂やトイレが別なことはあっても、
台所は同じ棟の中にあったから、どう考えても日本の伝統じゃないですよね。

外国人も自国に居たら、あんなスタイルで暮らしたとは思えないけどな〜。
普通に考えて、不便・不合理ですよ。料理も冷めちゃう・・・(^^)

外観の軽快なコロニアルスタイルとうってかわって、内装や建具は重厚な印象を受けます。
ステンドグラスや暖炉、家具調度品は当時のまま残っているということです。


             (垂水区東舞子町「舞子公園」内 2018年5月22日)



台風が過ぎて・・・


7月29日(日)

台風第12号 (ジョンダリ)は、こちらを昨夜のうちに過ぎました。
  ※ジョンダリって、朝鮮語で「ひばり」って意味なんだって・・・

御前崎の沖50kmを通過したということで、こちらは大した影響もなく済みましたが、やはり一時的には暴風雨でした。
そのまま南を通って行けばいいものを、三重県の伊勢市に上陸したんですねぇ・・

予報通り、21時過ぎてから急に雨風が強くなりましたが、1時間ほどで治まりました。

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今回の台風は、進路が逆だったから、なにもかも通常とは正反対ですね。
台風って、上陸すると勢力が衰えて速度も速くなるものですが、
ジョンダリは、勢力は変わらず、速度もかえって遅くなるという状態は、
やはり常識が通用しない台風だったかも・・・
風も、いつもは南風ですが、北から吹いてましたもんねぇ〜

停電もしませんでしたが、万一に備えて懐中電灯の用意を・・・と思ったら、
ラジオ付きランタンも大型懐中電灯も使えず・・・電池を入れ替えてもダメ
数年前まで使えたはずだったんですけど、経年劣化で使用不能になってたみたい。

手動式の小さな電灯とラジオやライトが付いているサーキュレーターと
使えるのは結局それだけでした。

非常時に備えて新しい物を買っておかないと・・・

今朝は、ときおり陽も出ている状況です。また暑くなりそうです。
これから台風がやって来る地方の方はご注意下さい。


兵庫・神戸 / 旧武藤山治別邸・1 外観



左下が「旧武藤家別邸」中央が「移情閣」

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◎南面

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●ベランダ

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◎北面(正面)
 管理棟(入館受付)は建築当時あった「撞球(ビリヤード)室」を模している。

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●玄関

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国登録有形文化財(2011.07.25)

名称:旧武藤家別邸洋館(きゅうむとうけべっていようかん)
明治39年(1906)竣工/平成8年(1996)平成22年(2010)移築
設計:横河工務所(大熊喜邦)
施工:竹中工務店
構造及び形式等: 木造2階建、スレート葺
建築面積:168㎡
登録番号:28-0513
登録基準1:造形の規範となっているもの
所有者名: 兵庫県
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解説文:
 北側道路に面して玄関を開き、海に面して円形平面のバルコニーを張り出す。
天然スレート葺で、寄棟や切妻を組み合わせた複雑な屋根を造る。
花崗岩の切石積基礎に建ち、外壁は下見板張とする。
質の高い意匠を有する景勝地の別荘。

         〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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●建築概要
敷地面積:約 1,287m²
建築年代:明治40年(1907年)
     平成7年(1995)移築
規 模:総建築面積 約292.7m² 総延床面積 約 422.4m²
建 造 物:旧武藤山治邸 木造2階建 、管理棟 木造一部RC造2階建

●移築・修復概要
事業主:兵庫県神戸県民局
監修:足立裕司(神戸大学大学院)
設計・監理:財団法人・建築研究協会
施工者:株式会社 中島工務店
工事期間:平成19年12月~平成22年10月

               ーー兵庫県立舞子公園「旧武藤山治邸」よりーー
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「旧武藤家別邸」は、実業家で「鐘紡(鐘淵紡績=カネボウ)」中興の祖と言われ、
衆議院議員も務めた武藤山治(むとうさんじ=1867〜 1934)の別邸として、
明治40年(1907)舞子海岸の有栖川宮別邸近くに建設された。

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※有栖川宮別邸の跡地は、現在「ホテル舞子ビラ」が建てられています。


木造2階建の円形バルコニー・スレート葺の屋根・下見板張りの外壁が特徴の洋館。
大熊喜邦による設計は、北野町の異人館と同じコロニアル様式を基礎にデザインされ、
海側に広く張り出す円形ベランダを外観上の特徴としている。

設計者の大熊喜邦は、後に国会議事堂など、多くの官庁建築を主導した。

武藤山治は、この家から和田岬にあった鐘紡の工場へ馬車で通っていたそうです。

武藤山治逝去後の昭和12年(1937)には鐘淵紡績に寄贈され、「鐘紡舞子倶楽部」と命名され、企業の厚生施設として利用された。


別邸の建物は洋館と和館、撞球(ビリヤード)室で構成されていたが、
平成7年(1995)に明石海峡大橋に接続する国道2号線の拡幅工事により、
和館と撞球室は解体され無くなった。
・・・せっかく残っていたのに、保存に耐えない状態だったんですかね?
               それとも、単に邪魔だったから??


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「近代建築ガイドブック 鹿島出版会・1984年刊」によると、
『この瀟洒な建物の東と南との出隅に、半円形のバルコニーが付いており、それがアクセントになっていたが、近年この部分が失われたのが惜しまれる。』とあるので、
現在あるベランダも、最近になって復元された物ということになりますね。

やはり、ベランダがないと、この建物の魅力が半減しますよね。
古写真では、ベランダのすぐ目の前を船が通過しているのが見えます。
コロニアルスタイルの家って、海辺が似合いますね〜〜

平成19年(2007)所有者であるカネボウから建物・家具・絵画・調度品・蔵書等の寄贈を受けた兵庫県は、当初所在地に程近い兵庫県立舞子公園への再移築工事を開始し、同時に撞球室を外観復元した管理棟を建設した。

建造材の大部分や外装材の一部は新材で再現されているものの、建具や内装の仕上げ材は当初のものが使われている。
平成7年(1995)阪神大震災には幸いにも解体中であったため、ステンドグラス・窓ガラス・暖炉・家具なども当時のものがそのまま残っている。
移築・修復竣工後の平成22年(2010)10月から一般公開を開始した。

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◎武藤山治とは
 武藤は、慶応3年(1867)現在の岐阜県海津市で生まれた。
慶應義塾を卒業後、アメリカに留学。
三井銀行を経て、明治27年(1894)に傘下の「鐘淵紡績」に入社。
外資導入など新しい経営手法を取り入れ、鐘紡を日本有数の企業に育て、
大正10年(1921)に社長に就任。
大正13年(1924)には衆議院議員に当選。
政界引退後は、福沢諭吉の残した時事新報を建て直すべく社長を務めた。

実業家・政治家・ジャーナリストとして様々な分野で業績を残す。
昭和9年(1934)「帝人事件」の疑惑を報道。その後狙撃され、翌日死去。

★「帝人事件」とは (ブリタニカ国際大百科事典)
 昭和9年(1934)「帝国人造絹糸 (帝人) 」の株式売買をめぐる疑獄事件。
1927年の金融恐慌によって、商社「鈴木商店」は倒産し、同商店の子会社であった
帝人の株式22万株はその担保として台湾銀行のものとなった。

鈴木商店の大番頭・金子直吉らは、帝人株の買受けをはかり、ときの斎藤内閣のバックたる財界の番町会に斡旋を依頼し、番町会が 11万株の買戻しに成功。
その直後の増資による株価上昇で利益をあげた。

この経過を『時事新報』の社長武藤山治が贈収賄事件として暴露記事とし、議会でも政治問題化した。
そのため台湾銀行、帝人の首脳、番町会関係者、黒田大蔵次官が相次いで検挙され、
1934年7月、内閣は綱紀上の責任を理由に総辞職した。
265回にわたる公判の結果、昭和12年(1937)10月全員無罪となった。

事件は、司法部内に勢力を温存する平沼騏一郎系ファッショ勢力、および武藤らによる倒閣のための陰謀であったといわれる。
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この時代は疑獄事件が多かったそうですし、糸へんの産業も変換期を迎えていた頃でしょうかね・・・?

武藤氏の華麗な経歴も、残酷な終焉で幕を閉じてしまったのが残念です。


             (垂水区東舞子町「舞子公園」内 2018年5月22日)


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冷麺は盛岡にかぎりますなぁ〜


7月27日(金)

今度の台風(12号)は、変なコースですね。
気象予報によると、上空は複雑なことになっているらしい。

だから、毎日コースが変わって、今朝TVを観たら、だいぶ西寄りになっていた。
こちらへの上陸はなさそうになってきたけど、
むしろ、台風の北側が危ないってんでしょ? 直撃と変わらないじゃん?!

我が家の裏、10mくらいの所に川があるので、ハザードマップで調べましたよ。
この周辺は危険区域では無いようだったけど、想定外ということもありますからね。

それにしても、また岡山や広島に雨が降るということになってしまうのかな〜
とっとと過ぎ去って欲しいですね・・・ 皆様、ご安全に


こう暑いと、という文字に心が動きますね

盛岡って、山や川があって、近代建築も残ってるし、伝統工芸品も沢山あるので、
好きな町のひとつです。
北海道・東北地方に行ったら、寄り道したくなる。

盛岡に行ったら、必ず三大麺のうちの冷麺・じゃじゃ麺は食べます。
わんこそばは、盛る人の勢いが怖そうなので、食べたことはないです。

焼き肉屋さんなどで出てくる本格派冷麺と称する輪ゴムみたいなヤツあるでしょ?
好きな人がいたら申し訳ないけど、あれはダメですよ。食べ物じゃない・・・

盛岡冷麺は、あんなに堅くなくて食べやすいです。
牛骨スープがまた美味しいんですよね〜、コンソメスープに麺を浸してる感じ?
           

これは、盛岡の有名店のひとつ「ぴょんぴょん舎」のお取り寄せで作りました。


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麺とスープ、キムチ、ゴマ、酢がセットになっています。
具は自分で用意します。今回は、キュウリ、ゆで卵、カニかま、チャーシュー。
チャーシューは自分で作っています。
意外と簡単ですよ、作り方はブログにUPしていますので、関心のある方はどうぞ。

そうそう、私は冷麺の具の定番となっているスイカが好きじゃないです。
つゆに浸ったスイカってどうよ・・・酢豚のパイナップルみたいじゃないか!?
それなら、スイカを別皿でデザートで出して!!って思う。 

なので〜〜
スイカは残しておいて、最後につゆをチャッチャとはらって(ココ大事 
デザートのように食べてますよ。
皆さんは、いつのタイミングでスイカを食べるんですかねぇ・・・




豆腐のカプレーゼ風


7月25日(水)


猛暑お見舞い申し上げます。 

いやいや・・・ 正直、疲れて来ましたよね〜 

夏休みも始まって、行楽シーズン到来といったところですが、
倉敷市では宿泊の予約キャンセルが相次いで、違う悲鳴を上げているそうで・・・

私も、TVのニュースで、連日倉敷市真備町の復旧の様子が映し出されていると、
「これでは、倉敷美観地区に行く人が減ってしまうかもな」と思っていたんですが、やっぱり当たってしまったな・・・

倉敷市って、合併で山間部から海際まで、相当広い市域になっているようで、
私も去年の旅行先で「あれ?! ここも倉敷市??」と思う所がありましたよ。

復旧で大変なのに遊びに行っていいのか? 迷惑を掛けないか?
という優しい気持ちもあるとは思いますが、被災地に行ってお金を落とすのも、
違った支援の方法なのだということを、阪神淡路大震災や東日本大震災の時など、
過去に何度も聞きましたよね。

私の場合としては、交通インフラがどうなっているか分からないから、
敬遠してしまうことはあり得ると思います。

正直、宮城〜岩手に乗り鉄旅を計画していて、宿も予約していたのですが、
東日本大震災が起き、日程がその直後になってしまったため、
キャンセルしたことはあります。

行く方も迎える方も、しばらくは悩ましいですね・・・


でも、只今、他所のこと言っていられないんですよ・・・
今週末は、台風が真っ直ぐこちらへやって来ます。


バジル、2度目の収穫。
いつものようにバジルソースを作って、ブログ友さんのオススメで冷凍にしました。

葉っぱをちぎりながら、突然「カプレーゼが食べたいッと思ってしまった。

ちいさな葉っぱとミニトマトで可愛らしくカプレーゼをつくってみよう〜
モッツァレラチーズは無かったので、豆腐で代用。


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豆腐はペーパータオルに包んで、重しを乗せて水切りをします。
柔らかさはお好みで・・・

水切りした豆腐を切って皿に並べ、バジルの葉と3等分したミニトマトを散らします
普通のカプレーゼのように、大きなバジルの葉や薄切りにしたトマトを交互に並べても、もちろんOK。
岩塩とブラックペッパーをガリガリ挽いて、EXバージンオリーブオイルを廻しかけて出来上がり。

チーズよりヘルシーでしょうね、それに美味しい。



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