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かつての2階の窓を玄関に改修したもの。当初の入口はこの下にある。
奥に見えるのが隣接した「商船三井築港ビル」
地面に埋もれた1階部分
昭和10年(1935)竣工
設計:村上工務店
施工:村上工務店
解説:
2階に上がる階段がメインエントランスのようになっているため、
地上2階、半地下付きの建物のように感じてしまうが、当初は地上3階建として完成。
昭和25年(1950)のジェーン台風後の盛り土により現在のような姿になった。
外部はスクラッチタイル張りで、丸窓などが昭和初期に流行した意匠を示している。
角地に面して引き締まった隅部を曲面とし、その部分には大きなガラス窓が巡らされており、内部は明るく心地がよい。
※ジェーン台風は、1950年9月3日10時に、徳島県日和佐町(現美波町)付近に上陸。
その後、台風は淡路島付近を通過し、12時頃神戸市垂水区付近に再上陸した。
その後、若狭湾へ抜け、日本海へ進み、9月4日4時頃、北海道渡島半島南端に再上陸。
台風は北海道を縦断し、オホーツク海へ抜けた。
最盛期は、中心気圧940ヘクトパスカル、最大風速50m/sであった。!!
台風による影響は、降水による影響よりも、強風による影響の方が大きかった。
大阪湾では、台風の強風による吹き寄せで高潮が発生し、船舶に被害が出たり、多くの家屋が浸水した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
天満屋ビルは地元の有力者が建てたもので、天満屋はその屋号を引き継いだもの。
こちらも色違いの茶色いスクラッチタイルで、大きなガラスの開口と幾何学的な構成がモダンだ。
現在は陽光がたっぷりと注ぐ部屋にカフェが入居し、ゆったりとした時間を刻んでいる。
商船三井築港ビルと同じく、地上2階建てにみえるが、竣工当時は3階建てだった。
港区と大正区は昔から地盤が低く、台風などの水害に何度も悩まされてきた。
それが戦後の復興事業によって、街の道路が約2mかさ上げされ、それ以前に建てられた建築は1階が土中に埋まってしまったのだ。
現在の玄関はいずれもその後に新たに設置されたもので、天満屋ビルの足元には、かつての1階がのぞいている。
その後、台風は淡路島付近を通過し、12時頃神戸市垂水区付近に再上陸した。
その後、若狭湾へ抜け、日本海へ進み、9月4日4時頃、北海道渡島半島南端に再上陸。
台風は北海道を縦断し、オホーツク海へ抜けた。
最盛期は、中心気圧940ヘクトパスカル、最大風速50m/sであった。!!
台風による影響は、降水による影響よりも、強風による影響の方が大きかった。
大阪湾では、台風の強風による吹き寄せで高潮が発生し、船舶に被害が出たり、多くの家屋が浸水した。
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天満屋ビルは地元の有力者が建てたもので、天満屋はその屋号を引き継いだもの。
こちらも色違いの茶色いスクラッチタイルで、大きなガラスの開口と幾何学的な構成がモダンだ。
現在は陽光がたっぷりと注ぐ部屋にカフェが入居し、ゆったりとした時間を刻んでいる。
商船三井築港ビルと同じく、地上2階建てにみえるが、竣工当時は3階建てだった。
港区と大正区は昔から地盤が低く、台風などの水害に何度も悩まされてきた。
それが戦後の復興事業によって、街の道路が約2mかさ上げされ、それ以前に建てられた建築は1階が土中に埋まってしまったのだ。
現在の玄関はいずれもその後に新たに設置されたもので、天満屋ビルの足元には、かつての1階がのぞいている。
そうした目で築港の街を見回してみると、戦後に建てられたビルのなかにも、
階段を4、5段上ってから玄関に入る建物が多いことに気付く。
水辺で生き抜いてきた建築の知恵だ。
(高岡伸一/建築家・大阪市立大学講師)
ーー産経WEST「都市を生きる建築」よりーー
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階段を4、5段上ってから玄関に入る建物が多いことに気付く。
水辺で生き抜いてきた建築の知恵だ。
(高岡伸一/建築家・大阪市立大学講師)
ーー産経WEST「都市を生きる建築」よりーー
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「商船三井ビル」に隣接した建物。
同じくスクラッチタイルを張った建物だが、こちらは角をアールにとって、違った印象。
いわば、大阪商船が大手会社の厳格さを現しているなら、天満屋は商人の自由さといった印象を受ける。
船場に今も残る自由闊達なレトロビルの流れを感じます。
同じくスクラッチタイルを張った建物だが、こちらは角をアールにとって、違った印象。
いわば、大阪商船が大手会社の厳格さを現しているなら、天満屋は商人の自由さといった印象を受ける。
船場に今も残る自由闊達なレトロビルの流れを感じます。
「天満屋」がどんな店だったか分からないが、昭和時代に入っても『回漕店』と名乗っているのは、船場の商人が、築港での新たなビジネスチャンスをあてこんで、
こちらに転居したということも充分考えられるのではないか?と思いました。
(あくまでも個人の想像です)
こちらに転居したということも充分考えられるのではないか?と思いました。
(あくまでも個人の想像です)
道路をかさ上げしたとは知らなかったので、初めて見たときは、地下にも入口があるのは珍しいと思った。
外国の古いアパートに、こんな感じの建物ありますよね。
確か、オードリーヘップバーン主演の「暗くなるまでまって」だったと思うのですが、
主人公の家がこんな造りで、外を歩く不審者の足元の映像や音が、不気味だったことを記憶してます・・・
そんなことを、ふと思い出したりしました。
外国の古いアパートに、こんな感じの建物ありますよね。
確か、オードリーヘップバーン主演の「暗くなるまでまって」だったと思うのですが、
主人公の家がこんな造りで、外を歩く不審者の足元の映像や音が、不気味だったことを記憶してます・・・
そんなことを、ふと思い出したりしました。
古い写真を見ると、現在の入口は、2階の窓を改築したものだとよく分かる。
角の1階でたばこ売ったりしてたんですね〜、面白い!
角の1階でたばこ売ったりしてたんですね〜、面白い!
現在はカフェになっているという話でしたが、どうなのかな・・・?。
しかし、大阪の改造は大胆ですよね。
堺筋や御堂筋の軒切りや、築港の地面かさ上げ等、都市計画や防災のためとはいえ、
自分の家の幅を切り詰めたり、1階が満足に使えなくなったり・・・
庶民としてはどう感じたんでしょうねぇ・・・
堺筋や御堂筋の軒切りや、築港の地面かさ上げ等、都市計画や防災のためとはいえ、
自分の家の幅を切り詰めたり、1階が満足に使えなくなったり・・・
庶民としてはどう感じたんでしょうねぇ・・・
それにしても、2mの地面かさ上げはすごいですよね〜
平屋の家なら、ほぼ無くなっちゃいますからね。
平屋の家なら、ほぼ無くなっちゃいますからね。
大阪商船は、1階の外側を犠牲にしてしまった感じがするが、天満屋は半分くらいは埋めたが、なんとか使おうと努力してる・・・
そんなところにも、大手の余裕と個人商店の必死さが伝わってくるように感じた。
そんなところにも、大手の余裕と個人商店の必死さが伝わってくるように感じた。
出典
「日本近代建築大全 西日本編」講談社刊
「みなと物語」PDF ほか
「日本近代建築大全 西日本編」講談社刊
「みなと物語」PDF ほか
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