全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2019年05月

Architec旅日記 ~九州東海岸編~ その8 ・ モジモジ巡り


5月15日(水) 晴れ 気温28℃

きょうはいよいよ帰宅。でもスンナリ帰らず、寄り道するのが私のクセ。

朝、博多を出て、小倉駅で荷物をコインロッカーに預け、門司港駅に着いたところ。

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2年前に下関から人道トンネルを渡って門司に入ったことがあります。
久しぶりに「門司港駅」が見たかったからなんですが・・・
改修工事がまだ終わっておらず、心残りだったので、今回はリベンジです。

その時は、下関への帰路は連絡船だったので、電車で門司に入るのも久しぶり・・・

終着点(車止)マークがデカいなぁ・・・ 普通は下にあるサイズだよね。

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腕木式信号機っていいよね。
今も残っている駅をときどき見かけます。
動いているところを生まれてこの方、一度も見たことありませんけど・・・

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では、改札を通って中に入りましょう〜

門司港駅 大正3年(1914)竣工(辰野金吾の東京駅と同じ年です。)
国指定重要文化財

もちろん、今どきの自動改札。駅員さんの制服がレトロ。

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昔の門司港駅は、下関に渡る連絡船乗り場を結んで、乗客をピストン輸送していたし、貨物も相当な量があったんでしょう、構内の広さから想像できます。

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外観
うわ〜〜、すっかりキレイになっちゃって〜  

大正3年の竣工当時の姿に戻したようです。
以前は、昭和初期の改造で、2階の窓下全面に大きな庇が付いていたので、
上部がまさに取って付けたような見た目で、アンバランスな印象でした。

不自然さを感じつつも、こういうものかと思っていましたが・・・
やはり復原後のほうが、ネオルネサンス様式の建築らしい姿で、素敵です。
白さが際立って、清潔感に溢れた姿になりましたね。

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最初に来た時は駅前に噴水なんて無かった気がするな〜
昔、バナナの叩き売りしていたということで、観光用のパフォーマンスをやってたように記憶しているけど・・・?

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トイレには昔の手水鉢。 昔の水洗トイレも復元されていた(使用不可)。

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1F

客溜まり(コンコース)も広いね〜

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昔の切符売り場に自動券売機があるのも面白いですね。

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昔の三等待合室はスタバが・・・
そういえば、今は観光案内所になっている旧奈良駅舎にもスタバ入ってたな〜
スタバあるだけで人が集まるもんねぇ

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旧小荷物取扱室は現在、待合室。
門司港駅の歴史と今回の改修工事の様子をビデオで流しています。

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2Fに上がる階段。
この日は食堂はお休みで、ここを上がれません。別階段で上ります。

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2F
昔は貴賓室と食堂があったそうです。
現在は、どちらも食堂として営業している。
食堂は、一時閉店していたそうですが、復原とともに再開したのだそうです。

旧貴賓室

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門司港駅舎を堪能したところで、(できれば食事もしてみたかった・・・)
前回見残したところに行ってみます。

九州鉄道記念館

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九州を走った歴代の車両が並べられている。

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「にちりん」は今回も乗りましたが、古くからある名称だったんですね。

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寝台特急「さくら」は乗ったことがありますよ。
友人3人で、生まれて初めて九州に来た時に乗りました。懐かしいな〜
あの頃は、九州って遠かったもんな・・・

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乗務員さんが、ベッドをセットしに来てくれて、
窓際の真ん中にあるバーの取っ手を左右に引っ張るとハシゴになるんですよね。

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でも、私のお目当ては、どっちかというと建物のほうです。

「旧九州鉄道本社」明治24年(1891)竣工
国登録有形文化財
「九州鉄道会社」は明治40年(1907)に国有化された。

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さて、お昼ご飯にしよう。
ブログ友さんたちが、門司で瓦蕎麦を食べたという話や、家で作ったという記事を続けて見たので、食べてみたくなった・・・
時間調整して、開店時刻にお店に行ってみたら、ナントお休みでした〜〜

仕方がないから、向かいの焼きカレーのお店に入った。
前回も焼きカレー食べたけど、ここも美味しいという評判だからいいか・・・

焼きカレーって、自分でもカレーにした翌日のアレンジで作ることありますが、
たこ焼きと同じくらい、猫舌には厳しい食べ物なんですよ。ナァ?ウン!


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レトロ地区を歩いていたら、出光美術館で長谷川等伯の展覧会を開催中というポスターを見かけた。
等伯ファンとしては、良いチャンスだと思って、入ってしまった。
おかげで、門司港を離れるのが1時間遅くなった。

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名残惜しいですが、門司港にお別れして、今度は門司に向かいます。

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門司港と門司って、すごく近いのかと思ってて、歩いて行こうかと考えていたが、
間にひとつ小森江駅があるので、それはムリそう。

門司駅
「門司駅」は、昔は「大里(だいり)駅」という名で、現在の「門司港駅」が
「門司駅」だったという、ややこしいことになってます。
関門トンネル開通を機に、現在の名称になったとか。

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門司でのお目当てはこれです。

「門司赤煉瓦プレイス」
登録有形文化財
大正2年(1913)に「帝国麦酒株式会社」の麦酒工場として操業。
社名を変遷しながら「サッポロビール九州工場」として使用されていたが、
平成12年、工場移転により閉鎖された。

旧サッポロビール醸造棟

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「門司麦酒煉瓦館」(旧事務所棟)
カッコいいな〜〜

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事務所棟は資料展示館、醸造棟はレストラン、左手前の倉庫はイベントホールに利用されている。

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この工場群の前の道は、長崎街道・門司往還で、ここは大里宿のあった跡だという。

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「門司往還」は小倉から大里までの短い区間で、
大里(だいり)宿は、赤間関(下関)には海上約一里半(5.9km)小倉へは一里十九町十七間余(約6km)で、全長646mの街道沿いに軒を連ねた小さな宿駅だった。
赤間関への渡海地だったそうです。
江戸時代は、この地から下関へ渡っていたんですね。

本陣、脇本陣、長崎番所が置かれていたとありますから、小さくても重要な宿場だったようです。
一時期、安徳天皇が住んでいたので「だいり」という地名なのだとか。

向こうに見えているのが「彦島」か・・・

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赤煉瓦館も素晴らしいし、大里宿のことも分かって、門司に寄ってみてよかった。

小倉駅に戻って、折尾の名物駅弁「かしわめし」を買って新幹線に乗り込む。
鉄道番組で見た、折尾駅の弁当売りのおじさんの歌声が、なぜか今も耳に残っています。
だいぶ前の番組で、レトロな駅舎も新しくなってしまったようだから、
もう、駅売りさんも居ないのかもしれないな〜〜

10連休が終わって1週間も経つと、のぞみはいつものメチャ混み・・・
もう、日常生活が戻ってきたんだね。

名古屋駅でこだまに乗り換えてから、ゆっくり食べました。

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旅している8日間で、雨にあって傘をさしたのは、杵築での3時間くらいで、
あとは晴天続き、降っても夜とかで、とてもついていました。

南九州は、今もそこかしこで神話や古代を感じる、不思議の世界でしたが、
私の日本人としての根っこにある何かを揺さぶる旅となりました。


建物や町並みは、まとめ記事にします。お楽しみに・・・

Architec旅日記 ~九州東海岸編~ その7 ・ 一気に博多へ、宗像大社へ


5月14日(火) 雨後晴れ 気温26℃

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昨日の夜から雨になった・・・時折激しく降ってくる。
でも、午前中であがるという予報で、移動もあまり気にすることもない。
なぜなら、きょうは朝イチ、高速バスで一気に博多へ出るからです。
乗り込んでしまえば、お天気関係ナシ

一昨日に宮崎駅前を通ったときに、直通の博多行き高速バスがあるのを知りました。
高速バスは全くノーマークでした。

計画では、特急で鹿児島中央駅に出て、新幹線で博多に向かう予定でしたが、
もう疲れも出て来たし、乗換ナシならストレスも体の負担もないから助かると、
バスに切り替えました。
私の住んでいる静岡県は高速バス文化が浸透していないので、
全く発想にないんですよね。他所に出掛けて驚くばかり・・・

時間的にも、出発までの余裕はあるし、到着は20分くらい遅いだけ、
それで料金は半額以下。乗らない理由はありませんよね。

昨日、飫肥から宮崎駅に戻ったその足で、今日の高速バスの予約をしておきました。

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席は中央、トイレの近く。4時間も乗るんだからね
トイレどこ?と思ったら、左を下がっていったところだった。

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九州自動車道を走っているようです、
だんだんと雲が晴れていく・・・

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最初の休憩地 えびのPA

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えびの高原ですかね? 見晴らしがいいです

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晴れてたら、もっと良かったのにね・・・

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2度目の休憩は、北熊本SA 各15分づつ
大平燕(タイピーエン)食べたいッ・・・

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高速基山という所は、九州圏内の各方面に行く高速バスの乗り換え・乗り継ぎができるし、パーク&ライドで高速バス利用者専用の駐車場があるんだって・・・
すごいねぇ・・・私たちの知らない世界だわ〜〜


博多バスターミナルに12:35頃到着。雨はあがって晴れた。
素速く荷物をコインロッカーに預け、鹿児島本線に乗る。

東郷駅
駅舎も駅周辺の道路もまだ真新しい感じがする・・・

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駅前からバスに乗って10分ほど、宗像大社前BSで下車する。

昨日のように食べそびれると大変だから、まずは、とりあえず昼食にしよう。
・・・といっても、食事出来る処が見当たらないので、「海の駅むなかた館」へ
ここは、歴史や信仰などが学べる、博物館的施設+道の駅的な施設のようだった。

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軽食しかなかったので、たらこパスタ。
これならどこでもハズレはないはず・・・

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まだ周りに飲食店やお土産屋さんなどは少ないが、いずれ増えてくるのかな〜

宗像大社(辺津宮)
日本各地に七千以上ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社
三女神は、田心姫神(たごりひめのかみ= 沖津宮
     湍津姫神(たぎつひめのかみ=中津宮) 
     市杵島姫神(いちきしまひめのかみ=辺津宮
この三宮の総称が「宗像大社」。
世界遺産:神宿る島「宗像・沖ノ島関連遺産群」

世界遺産に選定された時に、TVなどで3つのお宮(島)のことはずいぶんと紹介されたので、よくご存じですよね。

私は5年かけて北前船の痕跡を訪ねる旅をしてきましたが、昔の船乗りが海上安全や航海の無事を祈った神様は、住吉三神、金毘羅大権現(大物主命)、事代主命(恵比寿さま)などで、宗像三女神を祀る神社も多かったです。

美保神社、住吉神社、金比羅神社の総本社は参拝してきましたから、
やっぱり、宗像さんの総本社にも行っとかないとね・・・というワケなんです。


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心字池と太鼓橋

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この手水は柄杓を使わないで直接手で受けるようだ。珍しい形だな〜〜

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参道は短いし、坂がないところが嬉しい

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拝殿

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本殿

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摂社・末社
本殿を取り囲むように二十社くらい並んでいる。

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御神木
樹齢約550年の楢(なら)の樹で、神社の神紋や歴代の宗像大宮司家の家紋としても使用されてきたとのこと。
この奥に入っていくと、第二宮、第三宮が並んでいる。

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蛭子神社もありました〜〜

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第二宮、第三宮
沖津宮、中津宮の神を祀っているので、ここで総て参拝したことになる。

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宝物館
戦後の沖ノ島の発掘調査で、8万点もの文化財が見つかったそうです。
「海賊と呼ばれた男」出光佐三は宗像神を篤く信仰していて、神社の再建や
発掘調査にも協力したことで知られていますよね。

有名な黄金の指輪とか、ほとんど完ぺきな状態だったのが驚きでした。
やはり、長年の間、上陸を拒んできているからでしょうか・・・

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で、やっぱりここで買うなら、交通安全の御守りでしょう〜
これで、神様勢揃いしました。

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今夜は博多駅の近くで、以前泊まったことのあるホテルに宿泊します。
数年前に、例の陥没事故のあったすぐ近くです。

博多駅「KITTE博多」の飲食街で夕食。
まだ明日もあるけど、旅の最後の夜なので、久しぶりにひとり打ち上げします。

1週間お疲れ様のビール

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うざく大好き。自分でも作りますが、盛りつけが参考になります。

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鰻重・肝吸い付
実は別府の商店街で、鰻屋さん見てから食べたかったんですよ・・・

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Architec旅日記 ~九州東海岸編~ その6 ・ 日南海岸に沿って路線バスの旅


5月13日(月) 晴れ後曇 気温26℃

いよいよ、今まで足を踏み入れたことが無い日南海岸へと行って来ます。
JR日南線にも乗ってみたかったですが、それだと山側も走っているため、
名所に出るのが難しい場合もあるので、海岸線に沿って走るバスにしました。

宮交バスの1日乗車券を買って乗り込みます。
大人1800円ですが、きょうの宮崎線(宮崎駅〜日南飫肥)だけでも、
通しで乗ると2000円以上なので、片道だけでも安いです。
きょうは1日、バスを乗り降りして観光地を巡ります。

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青島 9:16

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よく、ここ青島を「チンタオ(中国山東省にある)」って、おやじギャグ飛ばす
沢山いますよね〜。
でも、車内の放送で、中国語バージョンの時、チンタオって案内してましたよ 

「鬼の洗濯板」って初めて見ました。
有史以前の火山活動のたまもののようです。
洗濯板は、青島だけでなく、日南海岸に沿って数カ所で見られました。
波に洗われているにしても、どうしてこんなに規則的になるんでしょうね〜
青島の上にだけ、植生がみっちり繁っているのも不思議・・・

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「青島神社」
主祭神は天津日高彦火火見命(あまつひだかひこほほでみのみこと
その妃神 、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
塩筒大神(しおづつのおおかみ)

椰子の木(ビロウ樹)は青島神社の社叢になっている。
本州では見られない風景ですね。

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鯛がカワイイので、おみくじ買っちゃった。中は絶対に見ません。

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宮崎はサーフィンが盛んだそうで、青島の周辺にも湘南ぽいお店やお兄さんがいる。

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幸せの黄色いポスト
集配時刻が書いてあったから、ちゃんと生きてるんだ〜。へぇ〜〜
この色、きっと特別許可を受けてるんでしょうね。

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「ボタニックガーデン」
ブーゲンビリアが花盛り。そういえば宮崎空港の愛称もブーゲンビリア空港。

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モアイは見ません、スルーします。


鵜戸神宮 11:09
 国指定名勝
 神社は、この山を越して下った海辺にある。

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昔の参拝客は、船をこの下に着け、商店の前の坂道を上がり・・・
   (やっぱり、山道を歩くより船で来るほうが便利で早かったんでしょうね)

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さらにこの石段を上がって神社に向かったそうです。
若い頃、鵜戸神宮を訪れた当時の皇太子、美智子様もこの道を通ったのだとか・・・

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チョッと足元に不安を感じて、行きは遠慮しましたが、帰りは道を間違えて、
結局、ここを下ってきました。
石段のすり減りが他より少なかったので怖くなかったし、距離が短かかった・・・

現在の道はトンネルが通っている。

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すり減ってガタガタな石段を下り・・・

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出ました。海がキレイだ〜〜

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ここから参道を下っていきます。また石段やで〜〜

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洞窟の中にある社殿に興味があって、来てみたかったんですよね。

主祭神は、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
山幸彦(彦火火出見尊)と海神の娘・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)との間に生まれた御子だそうです。
この神様や両親は、青島神社や霧島神宮にも祀られていましたよね〜
豊玉姫、どこでもモテモテ・・・ 

やっぱり、すごいものですね・・・地震の時は怖くないのかな?

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「御乳岩」ってよく分からなかったけど、この三角形に垂れ下がっている岩?

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周辺にはポコポコと丸い石がくっついたような奇岩が目立つ・・
左手前に名物の「運玉」を投げ込む水たまりが見えている。

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この丸っこい塊って、大昔のクラゲの死骸が固まって出来てるの〜〜?
洗濯板とはまた別の成り立ちなんですね。 面白い所だわ〜、日南
 
これは、新しい案内看板ですね。説明の根拠が、「ブラタモリ」だって・・
そうだった タモリ先生、宮崎ブラブラしてたコトありましたっけね。

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でもね、その横に「運玉」を干しているのを見つけちゃった。

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見事命中した運玉を、幸運の御守りとして、袋に入れて売ってるんです。
よっぽど買おうかなと悩んだけど、自分が入れたものならともかく、
他人様のおこぼれに預かるというのは、私的に納得できないんで止めました。


油津駅前待合所 13:01

JRの油津の駅舎です。
広島カープが毎年キャンプをするということで、このようなデザインになっているそうです。

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私は「油津(あぶらつ)」は、台風などの気象情報でしか馴染みが無かったです。

堀川運河
油津は、古くは飫肥杉の移出で栄え、この運河は飫肥藩の時代に上流の川と油津港を繋ぐために開削されたそうです。
イカダを組んで運んだのだとか。

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運河沿いに南へ下っていくと、港の付近にはかつての繁栄を物語る家々が集まっている一角がありました。

杉村金物店

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油津赤煉瓦館
大正時代に建てられた飫肥杉の倉庫

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旧河野家

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港入口

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昭和初期〜太平洋戦争前まで、マグロやカツオ漁で空前の賑わいがあったそうです。
堀川運河沿いには旅館や遊廓が建ち並んでいたとか・・・

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油津は映画「寅さん」のロケ地になったそうです。
さすが山田洋次監督が選んだだけあって、古い趣きが残っています。

飫肥本町通 14:48
最後の降車地。もう公開時間が残り少ないです。

ここは本町の商人通り
観光マップを貰おうと思ったら、有料で食べ歩き町歩きのグルメクーポンが付いているのだそうで、
時間があるなら買ってもいいけど、きっと使い切れないから、お城周辺の共通入館券だけにする。

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飫肥も昭和62年(19887)に重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

この辺りは武家屋敷のある大手門通り
やっぱり、石垣などが、薩摩の外城とは造りが違うようです。

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きょうは、どこも1時間半くらいで次のバスに乗れるので、目的地で見学時間が適度にとれて良かったんですが、ご飯を食べる時間が無くなってしまって・・・
おやつに持って来たドーナツを食べたくらいで、お腹が空いてしまった。

でも、食事をするには中途半端な時間で、夕ご飯に影響が出そう・・・
お城の入口近くにあるお店で、名物の「おび天」を買って食べた。
薩摩揚げと見た目は似ているが、魚のすり身にお豆腐も練りこんでいるそうで、
食感やや柔らかめ。
紅ショウガ入りが美味しかった。


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飫肥藩は、薩摩藩と対立していたんですよね。

飫肥城

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本丸跡

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もう店じまいしている所もあるし、飫肥で時間が無くなってしまった。
お城が見られればいいと思っていたので、まぁいいけど・・・
逆回りにすれば良かったかな・・・?
でも、夕方になってから曇ってきたので、晴天に青島や鵜戸神宮が見られたから
総てよしとします!

電車で宮崎に戻ろうと思っていたが、それでも到着時刻を考えると、
せいぜい30分くらいしか居られないので、そのまま最終16:00の宮崎行きバスで
戻りました。
宮崎駅到着は18:00過ぎ。かなり遠いです。

バス代がだいぶ節約できて、エコっちゃいました。

明日は朝イチで宮崎を離れるので、荷物の整理をしなきゃならないから、
今夜は外食を止めて、部屋でお弁当を食べます。
もちろん、宮崎牛のお弁当。 駅弁ではなくて、焼きたてを詰めてくれるもの。
ポン酢ともみじおろしで食べるようになっていた。これも美味い!

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Architec旅日記 ~九州東海岸編~ その5 ・ 霧島神宮から都城へ


5月12日(日) 晴れ 気温29℃

ホテルの窓からJR日豊本線の電車が行き交うのが見える。

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きょうは、宮崎県と鹿児島県の境目を出たり入ったりです。

特急は「きりしま」です。 鹿児島が近いんだなと思う愛称ですね。
この型と色を見ると、九州新幹線が全線開通するまで走っていた「リレーつばめ」を思い浮かべるのは、私だけではないでしょう。

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JR九州の電車って、車内のデザインが素敵ですよね。

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「大淀川」を渡る

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霧島神宮駅

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神社はここに在るワケではなくて、10分ほどバスに乗らなくてはいけない。

以前、鹿児島県を旅したときにも、来てみたかったんですが、
鹿児島駅からでもアクセスに時間がかかるので、断念した記憶があります。
由緒ある神社って、どこも、そうそうすぐ来られる所に無いもんだな〜〜


「霧島神宮」
祭神は「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)=山幸彦」
「豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)」「鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」
「玉依姫尊(たまよりひめのみこと)」「神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)=神武天皇」
夫婦・家族で祀られているということです。こんなに沢山だったんだ・・・

国東での筋肉痛が癒えたばかりで、また石段ですか〜〜
前に居る人だって、どうしたもんかって、足が止まってるじゃん・・

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それでも、エイヤッと上がると、今度は長い参道

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境内に着くと展望所があって、遙か桜島も見えた。
                 ・・・これがありがたさを感じるのかも。

拝殿ならびに本殿
「西の日光」と称される華麗な社殿

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私、近年大騒動を起こしがちな「御朱印」に、元々関心を持っていません。
これまでに、よく足を運んだ地域の神社に立派な社務所などありませんでしたからね。
参拝した記憶は、神社の大小をとわず、私の中では御朱印として残っています。

でも、神社のおみくじ・御守などの開運グッズは大好き。
今回の旅では神社が多かったので、ずいぶんと買ってしまいました。

「霧島九面(くめん)守」
霧島神宮の宝物・九面によるもので、工面に通じて「工面がつく」と信仰されているのだとか。
一番面白そうな、プロレスのマスクみたいな面を選んだら、
厄除け・心願成就・出世開運・長寿などに通じているそうです。アリガタヤ〜

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御神木は杉です、左側の出っ張りが神官の姿に見えるというのですが・・・

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見えると言われると見えるかも?

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きょうはお日柄が良いのか、神楽殿から花嫁・花婿の姿が
夫婦で祀られている神様が多いから、あやかりたいのでしょうね。

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さて、昼食にします。
さすがに霧島市の一大観光地だけあって、駐車場には食事処がいっぱい

天ざる蕎麦
天ぷらテンコ盛り、お蕎麦もうまい。 これで870円は安いですよね

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霧島神宮から都城駅までの直通バスがあるので乗ります。
田舎道をブンブン飛ばしていく  私以外に乗ってくる人は少なかった。


都城市には都城駅西都城駅がありますが、目的物件は西都城駅のほうが近いし、
両駅をつなぐ路線バスはないので、電車を待って西都城駅に向かいます。

しかし、きょうは暑くなった・・・スマホの天気予報を見たら29℃だって
駅で出会った女性に「都城って、いつもこんなに暑いんですか?」と聞いたら、
「そんなことないんだけどね〜、きょうは暑いわ」とのこと。


西都城駅
 駅にも島津家のご紋が・・・

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駅からほど近くに、今夏解体を予定されている物件があります。

「都城市民会館」昭和41年(1966)竣工

福岡県久留米市出身の建築家、菊竹清訓(きくたけきよのり=1928〜2011)の設計で、高度成長期の建築運動「メタボリズム」の代表作とされる。
※メタボリズムとは、もともと新陳代謝を意味する用語だが、転じて人口の増大と技術の発展に呼応して更新される都市の成長を説く建築運動を意味するようになった。

菊竹清則さんは、博物館等の公共建築を多く手がけられ、よく知られる建物では、
「江戸東京博物館」を設計した方です。

『都城市が2019年2月上旬、保存・活用が困難として解体決定を発表したのに対し、
「国連教育科学文化機関(ユネスコ)」の諮問機関である「国際記念物遺跡会議(イコモス)」は池田宜永市長宛て「世界的な文化遺産としての価値があり、取り壊さず再利用するべきだ」などとする会館の解体計画の停止を求める勧告文書を提出した。
イコモスは撤回されない場合、国際的な警報の発令も見据える。
勧告文は県や文化庁などにも同時に出された。
「あらゆる解体計画の停止」と「国際的な専門機関との(保存・活用に向けた)意見交換」を求め、従わない場合は、より強い国際的遺産警報(ヘリテージ・アラート)を発する準備があるとする。』

この建物の存続が、国際的な問題に発展しているそうなんです・・・
しかし、勧告に強制力はなく、財政的にも維持が困難で、民間からの活用提案はなく、既に新しい市民ホールが開館しており、解体方針は決定されたようです。
駅で出会った地元の人も、解体には納得しているようでした。

実は、今までこの建物の存在を知らなくて、ブログ友さんの記事で知りまして、
せっかく都城に行くのだから、最後の姿を見届けることになるかもしれないと、
見に行ったワケです。

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ガラス越しに見たエントランスには、美しいモザイク画が見えた。

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コンクリートと鉄骨を組み合わせた、扇や水車を連想させるユニークな外観。
駅のホームからも鉄骨部分が見えました。

私は素人なので、難しい事や保存の重要さは分かっていないかもしれませんが、
好き嫌いは別として、唯一無二な建築で、これから先も絶対に表現出来そうもない、
建てるのは難しいであろうという点からしても、解体は惜しいです。

メタボリズムの理想とは、かけ離れた結果になってしまったか・・・
保存問題の解決については、地域の力だけでは、どこだって無理なことです。
日本を代表するような企業の力が必要なレベルなのかもしれません。


ここからまた、徒歩で15分ほど歩きますが、暑いので全くスピードが上がらない
休憩をとって、給水しながら歩いて行きます。

「都城島津邸」
都城は島津氏発祥の地と伝わっているそうです。
大きな大名は家系が多岐ですが、島津氏は特に多そうですよね・・・
宮崎と鹿児島って、藩政時代には藩領をめぐって、維新後は県の設置などで、
明治時代まで、土地だけでなく心理的にも複雑だったようです。

九州の諸藩、特に現在の宮崎県となっている藩は、隣接する外様の雄藩・島津を監視するという役目もあり、常に戦々恐々としていたようですね。
調べると興味深いことがいろいろありそうです。

この家は、昭和天皇が昭和48年(1973)に都城を行幸されたときに、
宿泊所として改築された部屋などが公開されています。

明治〜昭和初期には、天皇行幸のために莫大な経費を掛けて、新たに建てられた華麗な館が各地に残っています。
今とは天皇のスタンスも違っていたし、地元にとっては、超がつく程のものすごい名誉だったんでしょう。
今は、天皇もホテルや旅館に泊まられる時代となっていて、特別室を改築する場合もあるようですが、島津邸の場合は個人住宅ですから、それとも違うようですね。


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昭和天皇接待のために改築された部屋

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28代当主の母・恭子氏が利用していた部屋(1階)

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昭和天皇の寝所となった部屋(2階)から庭園を臨む。

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平屋部分の手前が昭和天皇のための部屋、奥が当主母の部屋

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2階が昭和天皇の寝所

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TV「開かずの金庫を開けろ」で、無事に開いたという金庫。 
「何か入っていたんですか?」「古銭と水を入れたと思われるコップがありました」

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再び、西都城駅へ戻る。
ここからは高速バスで宮崎駅に戻ることにしました。
これ以降、バスに乗ることが多くなりました。

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この周辺の山々って、同じ高さで広く連なっていて、抜きんでて高い山がないから、
多分それなりに高さがあるんだろうけど、あまり感じませんね・・・

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無事に宮崎駅に到着。

きょうは日曜日だから、飲食街空いているだろう・・・
ビーフ好きな私が、宮崎牛を素通りするわけにはいかんのだ。

比較的リーズナブルなお店で、ハンバーグとカットステーキのコンビを食す。
鉄板でジュージューである。
美味しい牛肉は、ガーリックがあれば、なにもかけなくていい。

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Architec旅日記 ~九州東海岸編~ その4 ・ 美々津 重伝建地区を歩く


5月11日(土) 晴れ 24℃

きょうは宮崎に移動して、3泊します。
その前に、寄って行きたいところがあります。
別府から普通車で大分に移動し、特急にちりんに乗り換え、日向市駅で下車。

日向(ひゅうが)市駅
 余談ですが、高校時代に「日向」という苗字の同級生がいました。
先生方からいつも「ひゅうが」と呼ばれるので、その度「ひなたです!」と、
ウンザリした顔で答えていたのを思い出します。
「ひむか」と読む場合もありますよね。日本語ムズカシ〜 

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駅のコインロッカーに荷物を預け、コミュニティバス「ぷらっとバス」で、
美々津(みみつ)の重伝建地区に向かいます。
電車で美々津駅に出る方法もありますが、それだと町並みまでけっこう遠い。

バスの中では、地元のお爺ちゃんお婆ちゃんが地震の話で持ちきり・・・
「昨夜も揺れたな」「夜は怖いね〜」「今朝もあったよね」
聞いていて、心の中で冷や汗が出た・・・

バスに乗ること40分、町並みの中心、立縫(たちぬい)の里BSで下車。
それでもバス代280円、コミバスは節約旅行の大きな味方です

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この場所は高札場だったらしく、その様子が再現されている。
これを見ても、昔は往来が盛んだったことが偲ばれますね。
ただし、今掲げているのは見所案内。

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まずは、港を見に行こう・・・

美々津港
耳川(みみかわ)が日向灘に流れ込む入江にあります。

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港の近くに大きなモニュメントがある、何だろう〜?

「日本海軍発祥の地」 エッ

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どうやら、近代の海軍のことではなくて、
神武天皇率いた東征水軍が、美々津から出発したとの伝承によるものだそうです。
よく分からないけど、やっぱ日向国だわ〜〜

その近くには神社があります。やはりこの故事に由来するものでしょう。

「立磐神社」
神武天皇と住吉三神を祀る。社殿は修復中だった。

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中に入ると柱状節理の岩々が荘厳な雰囲気・・・

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何か特別感の漂うスペースが・・

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神武天皇が腰掛けたと伝わる「御腰掛岩」だった。

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神社の裏手には「旧渡船場跡」があった。

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左が港、右のゆるい坂道が町並みに続きます。

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美々津は中世から瀬戸内や近畿地方との交易が盛んだったと聞いています。
湊町だった様子が、この町並みの最端にある右側の家の造りで分かりました。

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港に近いほど有力な廻船商人が住んでいたので、そう思わせるような立派な家です。
また、石垣の上に建物が建てられており、石段が設けられているのは
昔は、そこまで海だった、今よりもっと港と町並みが直結していたんではなかろうかと推察します。


まずは、町歩き前に古民家カフェで昼食を・・・
ここも昔は回船問屋だったそうです。

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カレーとアイスコーヒー
スパイシーで美味しい

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お店は若夫婦?がやっていて、
「静岡の人が美々津を知っていてくれるだけで嬉しい」と仰ってましたが、
「い〜え!私の中では美々津は有名な所です。念願叶って、やっと来られました」


お腹いっぱいになったところで町歩き開始。
美々津は、港から中町通り上町通りの2本の通りが伸びており、
そこを中心にして重伝建エリアとなっています。


中町通り
かつては多くの回船問屋が並んでいたそうです。

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中町の旧共同井戸
共同井戸は他にも3か所残っていました。

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ツキヌケ(火除け地)
石畳になっている。

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一番手前の家は古そうですね・・・

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家々の前に造られているバッタン床几は、美々津では「バンコ」と言うそうです。
休憩したり、台風の時には雨除けにもなったとか

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上町通り
この通りは回船問屋以外の商家が連なる。

「美々津軒」は豪商だった家を資料館として開放している。

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各家の前の石畳みは昔はもっと広く敷かれていたそうだ。

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この通りには、洋館も残っている。

旧医院

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旧美々津郵便局

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外壁を南京下見板張りにして洋風にリノベーションしていることが覗える家。

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この家は奥行きがあるな〜〜

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美々津は昭和61年(1986)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています
九州では知覧に次いで古い選定ではないでしょうか?

さすがに重伝建制度の初期に選定されただけあって、素晴らしい町並みです。
これで、無電柱化されたら完ぺきだと思います。ぜひ

美々津の訪問を終わって、またコミュニティバスで日向市駅に戻り、
特急で宮崎駅に向かいます。

宮崎に着いて、ホテルで荷を解いてから、夕食を食べに駅周辺をブラブラと・・・
土曜の夜だからか、どこのお店も呑み客でいっぱい。

パスタのお店が空いていたので、もうなんでも早く食べられればOKと入りました。

料理が到着したら、あまりの器の大きさにビックリ・・・
東京で、こういう無駄にデカい丼で出す、うどん屋さんあったよね、あんな感じ。


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正直・・・食べにくいッス。
器って、食べ物に応じて適切なサイズを考えて作っているもんだからね・・・

料理が分かりにくいので、ズームアップ。
はい カルボナーラです。
パスタそのものは、温玉も乗っててとても美味しかったですよ。

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宮崎の夜は、心安らかに眠れるだろうか・・・な〜んて、すぐ熟睡 

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