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◉外観
◉1階とパティオ
◉2階ベランダから
◉4階
手すりと各部屋の入り口の様子が、他の階と違っている。
◉屋上
屋上で気になる古い煉瓦を見つけた。
「W .HUNT」って、1840年代の外国の煉瓦製造業者の名前らしい。
AUCKLANDとあるので、外国製であることは間違いなさそう。
もしかしたら竣工当時に、どこかに使われていたのかもしれない。
◉屋内配置図(不動産会社HPより)
国登録有形文化財(2000.02.15)
名称:船場ビルディング(せんばびるでぃんぐ)
大正14年(1925)竣工
設計:村上徹一建築事務所
施工:竹中工務店
構造及び形式等:鉄筋コンクリート地上5階地下1階建
敷地面積:264坪
建築面積:1102坪(717㎡)
登録番号:27−0087
登録基準:造形の規範となっているもの
所有者:桃井商事株式会社
解説文:御堂筋近くに建つ住宅兼事務所ビル。
外観はタイル張オフィスビルの意匠になるが、
内部中央に細長いパティオ風の中庭を設けて吹抜けとし、
その周囲各階に回廊を巡らす特色ある造とする。
===============
船場ビルディングは三休橋筋拡張を機に、大正14年(1925)10月に竣工致しました。
当時、オフィスと住宅をあわせ持つ大変にユニークで革新的なビルとして注目を集め、同時に船場という場所柄、装飾性のみでなく、トラックや荷馬車などを引き込むのに便利な機能性を重んじた設計が大きな特徴となっています。
●「大阪案内記」国政協会 昭和7年刊より
最上階、三角形の出っ張りの下にメダイヨンのような装飾があったことがわかる。
これはすでに今日でいうところの住環境を整え美化するという考えに至っていた欧米の手法をいち早く採り入れた桃谷政次郎翁をはじめとする経営首脳の先見性によるもので、さらに船場という土地柄を考慮に入れ、船場ビル独自のスタイルを作り上げたのです。
以来、船場ビルは数々の自然災害や戦争をくぐり抜け、大正時代の雰囲気を漂わせながら、ほぼ竣工時の姿のまま今日に至っています。
==================
解説文中の桃谷政次郎(ももたにまさじろう=文久3年〜昭和5年:1863〜1930)とは、
明治・大正時代の実業家で、和歌山県出身。
大阪で明治18年化粧品会社「桃谷順天館(現在も存在する)」を創立。
妻のために開発した、ニキビ取り「美顔水」が大ヒットしたそうです。
郷里の和歌山県粉河(こかわ)町長、那珂銀行役員などもつとめた。
外観でも間口が広いビルですが、中に入ると想像以上に奥行きが長い!
映像などで見ていた時は、1階を馬車が通ったというので、中央が通路になっていて、
通り抜けられる構造かと思っていましたが、違いました。
中庭兼通路には木煉瓦を敷き詰めています。
馬車で乗りつけたとしても、店舗へ荷物を運び込むのはどうしたんでしょうね?
昔は人力だから、階段を担いで上がるか店舗前の回廊から吊るして上げ下げするしかないですよね。
現在はエレベーターがありますが、竣工当時からあったのか?
(淡路町2丁目 2019年10月26日)
出典
船場ビルディングHP
「近代建築ガイドブック」鹿島出版会刊 ほか
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◉外観
◉1階とパティオ
◉2階ベランダから
◉4階
手すりと各部屋の入り口の様子が、他の階と違っている。
◉屋上
屋上で気になる古い煉瓦を見つけた。
「W .HUNT」って、1840年代の外国の煉瓦製造業者の名前らしい。
AUCKLANDとあるので、外国製であることは間違いなさそう。
もしかしたら竣工当時に、どこかに使われていたのかもしれない。
◉屋内配置図(不動産会社HPより)
国登録有形文化財(2000.02.15)
名称:船場ビルディング(せんばびるでぃんぐ)
大正14年(1925)竣工
設計:村上徹一建築事務所
施工:竹中工務店
構造及び形式等:鉄筋コンクリート地上5階地下1階建
敷地面積:264坪
建築面積:1102坪(717㎡)
登録番号:27−0087
登録基準:造形の規範となっているもの
所有者:桃井商事株式会社
解説文:御堂筋近くに建つ住宅兼事務所ビル。
外観はタイル張オフィスビルの意匠になるが、
内部中央に細長いパティオ風の中庭を設けて吹抜けとし、
その周囲各階に回廊を巡らす特色ある造とする。
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船場ビルディングは三休橋筋拡張を機に、大正14年(1925)10月に竣工致しました。
当時、オフィスと住宅をあわせ持つ大変にユニークで革新的なビルとして注目を集め、同時に船場という場所柄、装飾性のみでなく、トラックや荷馬車などを引き込むのに便利な機能性を重んじた設計が大きな特徴となっています。
●「大阪案内記」国政協会 昭和7年刊より
最上階、三角形の出っ張りの下にメダイヨンのような装飾があったことがわかる。
これはすでに今日でいうところの住環境を整え美化するという考えに至っていた欧米の手法をいち早く採り入れた桃谷政次郎翁をはじめとする経営首脳の先見性によるもので、さらに船場という土地柄を考慮に入れ、船場ビル独自のスタイルを作り上げたのです。
以来、船場ビルは数々の自然災害や戦争をくぐり抜け、大正時代の雰囲気を漂わせながら、ほぼ竣工時の姿のまま今日に至っています。
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解説文中の桃谷政次郎(ももたにまさじろう=文久3年〜昭和5年:1863〜1930)とは、
明治・大正時代の実業家で、和歌山県出身。
大阪で明治18年化粧品会社「桃谷順天館(現在も存在する)」を創立。
妻のために開発した、ニキビ取り「美顔水」が大ヒットしたそうです。
郷里の和歌山県粉河(こかわ)町長、那珂銀行役員などもつとめた。
外観でも間口が広いビルですが、中に入ると想像以上に奥行きが長い!
映像などで見ていた時は、1階を馬車が通ったというので、中央が通路になっていて、
通り抜けられる構造かと思っていましたが、違いました。
中庭兼通路には木煉瓦を敷き詰めています。
馬車で乗りつけたとしても、店舗へ荷物を運び込むのはどうしたんでしょうね?
昔は人力だから、階段を担いで上がるか店舗前の回廊から吊るして上げ下げするしかないですよね。
現在はエレベーターがありますが、竣工当時からあったのか?
(淡路町2丁目 2019年10月26日)
出典
船場ビルディングHP
「近代建築ガイドブック」鹿島出版会刊 ほか
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