◉河合 浩蔵(かわい こうぞう)
安政3年(1856)〜昭和9年(1934)
内務省に移籍した後は、各地で控訴院、裁判所庁舎の設計に関わる。
◉神戸地方裁判所庁舎 兵庫県神戸市
明治37年(1909)竣工 ファサード保存
写真はネットより
◉旧小寺家厩舎 兵庫県神戸市(相楽園内)
明治43年(1910)竣工
国指定重要文化財
「相楽園」は神戸市長を輩出した小寺家の旧敷地を利用した公園。
明治初期に完成し、本邸もあったが、神戸大空襲により焼失した。
現在は旧ハッサム住宅などが移設されている。
◉造幣局旧火力発電所(現・造幣博物館)大阪府大阪市北区
明治44年(1911)竣工
明治元年(1868)英国建築技師トーマス・ウォートルスが局舎設計、機器購入を担当。
明治3年(1870)にトーマス・キンドルが造幣寮首長に任命される。
開局当初は外国人の指導で運営された。
貨幣を鋳造するための動力や電力など、すべて局内で完結していたのだという。
◉旧三井物産神戸支店(現・海岸ビル)兵庫県神戸市
大正7年(1918)竣工 ファサード保存
国登録有形文化財(旧外壁部分)
神戸市の海岸通りはレトロビルディングが建ち並ぶ魅力的な通り。
阪神淡路大震災で全壊認定を受けたため、外壁を撤去・保管。
その後、同じ場所に再建された高層ビルの低層部に旧外壁を再構築した。
◉旧報徳銀行大阪支店(現・新井ビル)大阪府大阪市中央区
大正11年(1922)竣工
国登録有形文化財
内部は洋菓子店にリノベーションされています。
工部大学校でコンドルに学んだ後、ドイツに留学。
帰国後は司法機関の建築の道を歩んだようです。
留学先の建築の影響は、小寺家厩舎などに感じられます。
工部大学校の卒業生が留学した当時の欧米では、歴史主義・復古調が流行していた時代のようで、まず、それは参考にしたでしょうね。
新古典主義ともいわれ、バロック様式の反作用と言われていますが、
私たち日本人の素人からすると、正直微妙な違いが分からない・・・
歴史主義が蔓延すると、保守性に飽きた人たちの中から打破しようとする動きが出てきて、
ドイツ分離主義、アール・ヌーボー、アール・デコに続いていったのだと分かってきました。
なんというか、飽きては昔を見直し、またそれに反発して全く違うものを考える。
芸術運動の歴史って、そんな繰り返しの連続という感じがします。
歴史主義の衰退期でも、当時の日本ではバリバリの最先端ですからね。
模倣からどうやって自分のオリジナルを見出していったのか、それを通しで見られたら面白いんですけど。
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安政3年(1856)〜昭和9年(1934)
武州東葛飾郡(埼玉県)に生まれ、江戸・本所で幕臣の子として育つ。
工部大学校造家学科でコンドルに建築を学び、明治15年(1882)卒業(4期生)。
工部省営繕局に入り、皇居造営事務局御用掛を務める。
明治19年(1886)、臨時建築局に移る。
官庁集中計画に関わり、議院建築の研究のため妻木頼黄、渡辺譲らとともにドイツに留学し、エンデ・ベックマン事務所に勤務。
(※1860年ヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデが共同で開設した設計事務所。
日本政府の依頼により来日し、官庁集中計画を推進した。旧司法省庁舎は現存する。)
内務省に移籍した後は、各地で控訴院、裁判所庁舎の設計に関わる。
神戸地方裁判所の設計委嘱を機に神戸市に移住し、明治38年(1905)に河合建築事務所を開設。
建築学会の前身・造家学会の設立に尽力した。
◉神戸地方裁判所庁舎 兵庫県神戸市
明治37年(1909)竣工 ファサード保存
写真はネットより
◉旧小寺家厩舎 兵庫県神戸市(相楽園内)
明治43年(1910)竣工
国指定重要文化財
「相楽園」は神戸市長を輩出した小寺家の旧敷地を利用した公園。
明治初期に完成し、本邸もあったが、神戸大空襲により焼失した。
現在は旧ハッサム住宅などが移設されている。
◉造幣局旧火力発電所(現・造幣博物館)大阪府大阪市北区
明治44年(1911)竣工
明治元年(1868)英国建築技師トーマス・ウォートルスが局舎設計、機器購入を担当。
明治3年(1870)にトーマス・キンドルが造幣寮首長に任命される。
開局当初は外国人の指導で運営された。
貨幣を鋳造するための動力や電力など、すべて局内で完結していたのだという。
◉旧三井物産神戸支店(現・海岸ビル)兵庫県神戸市
大正7年(1918)竣工 ファサード保存
国登録有形文化財(旧外壁部分)
神戸市の海岸通りはレトロビルディングが建ち並ぶ魅力的な通り。
阪神淡路大震災で全壊認定を受けたため、外壁を撤去・保管。
その後、同じ場所に再建された高層ビルの低層部に旧外壁を再構築した。
◉旧報徳銀行大阪支店(現・新井ビル)大阪府大阪市中央区
大正11年(1922)竣工
国登録有形文化財
内部は洋菓子店にリノベーションされています。
工部大学校でコンドルに学んだ後、ドイツに留学。
帰国後は司法機関の建築の道を歩んだようです。
留学先の建築の影響は、小寺家厩舎などに感じられます。
工部大学校の卒業生が留学した当時の欧米では、歴史主義・復古調が流行していた時代のようで、まず、それは参考にしたでしょうね。
新古典主義ともいわれ、バロック様式の反作用と言われていますが、
私たち日本人の素人からすると、正直微妙な違いが分からない・・・
歴史主義が蔓延すると、保守性に飽きた人たちの中から打破しようとする動きが出てきて、
ドイツ分離主義、アール・ヌーボー、アール・デコに続いていったのだと分かってきました。
なんというか、飽きては昔を見直し、またそれに反発して全く違うものを考える。
芸術運動の歴史って、そんな繰り返しの連続という感じがします。
歴史主義の衰退期でも、当時の日本ではバリバリの最先端ですからね。
模倣からどうやって自分のオリジナルを見出していったのか、それを通しで見られたら面白いんですけど。
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