全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2020年11月

会津ソースカツ丼(福島県)



福島に行った時、何を食べたっけ・・・?と思い出してみた。
喜多方ラーメン・・・背脂チャッチャがすごくて、お腹こわした・・

会津若松でソースカツ丼食べました。
あとで調べたら、会津ソースカツ丼発祥の店だったと思う。

私がソースカツ丼なるものを初めて食べた長野の駒ヶ根では、
地元では、ただ単に「カツ丼」と言っているように思いました。
卵でとじるカツ丼って無いの?と訊いたら「煮カツ丼」と言うんだと。
本当にウスターソースに浸したようなサラッとした味だった記憶がある。

会津のソースカツ丼もソースを使っているけど、もっと濃厚で甘い。
ソースがあまり好きではない私にも美味しかった。



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カツ1枚に対するタレの分量
中濃ソース:70CC〜100CC
ケチャップ:大さじ1
みりん:大さじ1
砂糖:ひとつまみ
中火にかけて、ひと煮立ちさせる。

丼にご飯を盛り付け、千切りキャベツをたっぷり載せる。
タレにひたしたトンカツを適当な大きさに切って乗せる。

ここから私のオリジナル、なんちゃっての部分ですが・・・
薬味ネギ、輪切り唐辛子をトッピングしてみました。
かぼすを絞ってかけると、味がキリッと引きしまって美味しい。

スーパーに行けば、トンカツはお惣菜で売っていますし、
野菜コーナーに千切りキャベツもあるから、
タレを混ぜ合わせるだけで、料理が苦手でもすぐ作れます。
私もトンカツは買ってきました。
ソースはウスターでもいいですが、味をみて甘みを調整してね。



 

都道府県別 私の好きな建築・福島県編 ② 会津

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★会津


◉会津若松市

 ご存知のように、会津若松は戊辰戦争で市中を焼かれてしまったので、
 明治時代の建造物はあまり残っていません。
 疲弊した町が復興するまでは、歳月がかかったのでしょう。

 郊外には奇跡的に残った江戸時代の建築が保存されています。
 これは、政府の戦後処理の拠点など、何らかの理由がありそうです。

 大町などのメインストリートや七日町に大正期の建築が残っています。
 それも、かなり意欲的な・・・


江戸時代〜

●御三階(ごさんがい)阿弥陀寺
 文政元年以前建築 
 明治3年会津若松城(鶴ヶ城)内より移設。
 若松城は明治時代に取り壊され、建物は売りに出された。
 
若松城の現存する唯一の遺物。

「御三階」は「本丸御殿中奥」と「奥向」の間に拡がる庭園内に、
 来賓、藩主の休息時の遊興用として設けられた「御亭(おちん)」

 国史跡

 会津若松市歴史的景観指定建造物

 阿弥陀寺は慶長8年(1603)開山。
 戊辰戦争での会津藩戦死者は西軍の命で放置されたまま、触ることを許されなかった。
 埋葬が許可されたのは翌明治2年2月だった。
 埋葬地は阿弥陀寺と長命寺に限られ、阿弥陀寺には1300柱にのぼったという。
 
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●旧滝沢本陣・横山家住宅
 延宝6年(1678)
 国指定重要文化財 見学可

 会津藩主が白河街道を通る際の休息所として使用された。
 戊辰戦争では松平容保の陣屋となり、当時の戦による弾痕や刀傷が残る。


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●旧正宗寺 三匝堂(さんそうどう) さざえ堂
 寛政9年(1797)
 国指定重要文化財 見学可

 飯盛山に建つ。
 西国三十三観音の霊場巡りをこの建物でできるという施設。

 二重螺旋構造で、上り下りが一方通行になるという構造。
 当時、この構造は全国的に流行ったそうで、他県にもあるそうです。


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最上階
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●旧中畑陣屋
 天保8年(1836)
 福島県指定重要文化財 見学可

代官陣屋。
西白河郡矢吹町中畑に幕府浅川陣屋から分かれて、
石見国浜田藩主の弟、松平軍次郎が旗本領になった時に建てられた。
明治維新後、払い下げ


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●会津葵本店

 建築年不詳

 若松城の近くにある。 
 会津藩御用達の茶問屋の流れをくむ老舗の和菓子店。
 店舗というより、蔵を改修した建物のようですね。

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明治期〜大正期

●旧会陽医院(現・会津壹番館)
 明治23年(1890)開業
 会津若松市歴史的景観指定建造物

最初は第六十銀行として建てられたが5年で閉店し、会陽医院となった。
野口英世の手の手術をした病院。


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●カトリック会津若松教会・無原罪の聖母教会堂
 大正元年(1912)建築

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●福西本店
 明治末期〜大正3年建築

 福西家は蒲生氏の時代から若松城の城下に居を構えた旧家で、
 明治時代に入り、会津銀行、電力会社などを興す。


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隣にある現在の「大町ガス燈」は福西本店の蔵だった。

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上記の大町通りの商店街は「野口英世青春通り」と名付けられ、
大型の店舗が並び、観光客が多く訪問しているが、
私は、七日町の庶民的な古い町並みとモダンな建築が混在する景色が好き。

●もめん・絲(いと)
 元の店名、建築年など不明


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●白木屋漆器店
 大正3年(1914)竣工
 会津若松市歴史的景観指定建造物

会津初の洋風建築だった。

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●旧塚原呉服店(現・バンダイスポーツ)
 大正15年(1926)竣工

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●旧第二チェーンストア塚原呉服店
 昭和2年(1927)竣工

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◉喜多方市

 
喜多方は蔵の街として有名です。その理由としては、
 良質の水と米に恵まれ、古くから味噌や醤油の醸造業を営む場として、蔵が最適な建物だったことや、
 明治13年に起きた大火で、市の中心部から燃え広がり、約300棟の家々を焼き尽くした。
 その時燃え残ったのが蔵だったので、蔵造りの住宅・店舗を建てたということです。


 喜多方に行ったのは、だいぶ前のことになるので、
建物は変わりませんが、現在は廃業したり、名称も違っているので、
アーカイブとして見てください。


●小原酒造
 享保2年(1717)創業
 仕込み酵母にモーツァルトを聴かせているとか、現在も聴かせているそうです。


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●旧金忠
 天保年間(1831〜1845)

 現在は「新金忠」として食堂&バルとして営業しているそうです。
 「完成品を残すべからず」という家訓に従い、漆喰などで仕上げていないということでしたが、そこは、現在も変わってないようです。


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●旧嶋新商店蔵
 明治18〜20年(1885〜1887)建築
 ザル・籠・ムシロなど日用雑貨品を収納
 現在は」新嶋新」として、表側で雑貨店を営業しているようです。


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●若喜商店
 明治38年(1905)竣工
 経済産業省・明治の近代化産業遺産
 国登録有形文化財 外観の見学可

 味噌・醤油の醸造を営む。
 明治37年の鉄道開通に際し、喜多方市三津谷にレンガ工場が建てられたため、
 喜多方には多くのレンガ蔵が現存している。


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旧甲斐家蔵住宅(旧甲斐本店)
 大正13年(1924)
 国登録有形文化財 見学可

 味噌・醤油の醸造業を営んだ。
 51畳の蔵座敷が圧巻。


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●うるし蔵やまと
 建築年、現在の名称等すべて不明


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◉猪苗代町(耶麻郡)

●天鏡閣(旧有栖川宮威仁親王別邸)
 明治41年(1908)竣工
 設計:不詳 施工:不詳
 国指定重要文化財 見学可 館内撮影不可


 大正12年(1923)に有栖川宮家が消滅し、高松宮家が受け継いだが、
 昭和27年(1952)に福島県に寄贈された。

 正面

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 側面

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猪苗代湖側


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 背面

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◉南会津町(南会津郡)

 ●旧南会津郡役所
 明治13年(1835)竣工
 福島県指定重要文化財 見学可

 現在は歴史資料館。
 竣工当初の壁の色は白かったそうですが、現在は緑色になっています。

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近影はネット
より
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確かに白壁では、雪が降ると冬場のライチョウ状態になってしまうかも・・・


◉下郷町(南会津郡)

●会津鉄道会津線「湯野上温泉駅」駅舎

 昭和7年(1932)国鉄会津線「湯野上駅」として開業。
 昭和62年(1987)茅葺き屋根の新駅舎を建築。
 駅舎の中には囲炉裏があり、火が熾ていた。
 全国に茅葺き風の駅舎はあるかもしれませんが、
 本格的な茅葺きと虫除け対策で維持をしているのは、ここだけでしょう。

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この駅は、重伝建地区「大内宿」の最寄駅となっている。

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・ 

都道府県別 私の好きな建築・福島県編 ① 中通り


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福島県では、東西の縦割りで「浜通り」「中通り」「会津」とエリアを分けています。
福島のローカル天気予報などで目にする機会もあったかと思います。
地図を見ると、どこか大体わかりますよね。

今回はこれに従ってエリア分けしました。
浜通りは写真がありませんので、パスします。

★中通り
 奥羽山脈と阿武隈山地にはさまれたエリア。
 中通りは、さらに南北で「県北」「県中」「県南」と分けるようです。
 なぜこの狭い部分だけ「県」がつくのか?
 部外者にはわかりませんが、古くからの慣習なんでしょう。

◉郡山市
 郡山は一寒村に過ぎなかったが、明治になって安積(あさか)原野が開墾され、
 奥羽山脈にトンネルを掘って猪苗代湖の水を取り込む「安積疎水」の開通によって、近代化が一気に進んだ。
 安積原野の開拓に尽力したのは、建築家・中條精一郎の父、中條政恒だった。

 郡山では県庁移転案が何度も持ち上がったが、成功しなかった。
 福島市とのライバル意識を持ってして、意欲的に街を発展させて来たと言える。


●旧開成館
 明治7年(1874)竣工
 設計:増子儀三郎 施工:宗形彦八
 福島県指定文化財
 郡山地方の開拓事務所として建設

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●旧郡山尋常小学校(現・金透記念館)
 明治10年(1877)竣工
 設計:増子儀三郎 施工:宗形彦八
 昭和53年に復元、ファサード保存

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●旧福島県尋常中学校本館・安積高等学校旧本館(現・安積歴史博物館)
 明治22年(1889)竣工
 設計:不詳 施工:不詳
 国指定重要文化財 見学可

 福島と常に張り合ってきた郡山は、県庁を福島に譲った代わりに中学校をとった。


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 この校舎、歴史ドラマなんかに、よーく出演してますよ。



●郡山市公会堂
 大正13年(1924)竣工
 基本設計:矢橋兼吉 実施設計:荻原貞雄 施工:清水組

郡山市制施行を記念して建てられた。
郡山町が市へと移行したその年に竣工しているという、驚くべきスピード!
つまり見切り着工していたということです。


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●旧郡山市庁舎(現・福島県郡山合同庁舎)
 昭和5年(1930)竣工
  

 郡山の市制は大正13年(1924)で、その3年後には庁舎建設に着工した。
 あまりの規模の大きさに、県庁が移転してくると思った市民が沢山いたとか。

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●安積疎水事務所新館
 昭和12年(1937)竣工
 設計:渡辺恒雄 施工:渡辺組

安積疏水普通水利組合の事務所の貴賓館として建てられた。
帝国ホテルの様式を真似た「ライト式」が流行した時代だった。

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◉白河市

●白河小峰城(復元)
 白河市指定文化財

寛永4年(1627)に丹羽長重が幕命により寛永6年〜9年(1629〜1632)に完成した。

城主は丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏の7家21代。
慶応3年(1867)白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かりとなる。

慶応4年(1868戊辰戦争奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となる。
小峰城は焼失し落城した(白河口の戦い)。

平成3年(1991)本丸跡に三重櫓、平成6年(1994)前御門を復元。

残っている当時の石垣が素晴らしいと思いましたが、
写真を撮った2年後に、9・11 東日本大震災に遭遇・・・
石垣は崩壊、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていた。
平成27年(2015)改修工事が完了し、復興されたそうです。よかった。


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●旧西白河郡役所
 明治16年(1883)竣工
 設計:? 施工:?
 明治元年(1869)白河県が置かれ、二本松県へ、さらに福島県となった。
 郡役所廃止後も県の出先機関として使用されたが昭和46年(1971)廃止。
 現在は「南湖公園(
松平定信によって1801年に築造された日本最古の公園)」の一角に移築されている。

 撮影した時は荒れていたので、放置状態?と思ったが、  
 現在は改修されて、1階を「Lamp Cafe」として営業しているそうです。
 財団の所有となったとか、記念館の付属施設だとか・・・?
 ネットで様子を拝見しましたが、内装は素晴らしいので、再び荒れないように願うばかり。


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近影(ネットより)
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●白河ハリストス正教会聖堂(生神女進堂聖堂)
 大正4年(1915)竣工
 設計:河村伊蔵 施工:中村信太郎
 福島県指定重要文化財


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●JR東日本・東北本線「白河駅」駅舎
 大正10年(1921)竣工
 設計:不詳 施工:不詳

 明治20年(1887)「日本鉄道」の駅として開業。 現在は業務委託駅。


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◉伊達市

●旧亀岡家住宅
 明治18年〜30年(1885〜1897)建築
 設計:不詳 施工:
小笠原国太郎
 福島県指定重要文化財
 

桑折町伊達崎で蚕種製造業を営んでいた豪商・亀岡正元によって建てられた。
外観は、かなりデコラティブな装飾で構えられていますが、
それに反して、内部は和風で設えられています。

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亀岡家といい、下に挙げた旧伊達郡役所といい、
山形県令から福島県令に赴任した、洋風建築を推進した三島通庸の影響が出ているのではないかと想像します。すごいね・・・

◉桑折(こおり)町(伊達郡)

●旧伊達郡役所
 明治16年(1883)竣工
 設計・施工:山内幸之助、銀作
 国指定重要文化財


伊達郡役所は明治12年(1879)に保原町に設置されたが、
桑折町の有志による盛んな誘致運動で移された際に新築。

県費の支出は無く、全て桑折町と町内有志の負担で建設されたと聞いていましたが、
そういう経緯があったんですね。

廃止になるまでの約43年間(大正元年まで?)郡行政機関だった。
廃止後も県の出先機関として利用されていたが、1974年3月に役目を終えた。

塔屋は振動のため1887年に撤去されていたが、1979年の工事で当初の形に復元された。

東日本大震災で被害を受けたが、耐震補強・修復工事を行い、
2014年に再オープンしたそうです。これもよかった・・・


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◉二本松市

●高村智恵子生家(屋号:米屋)
 明治初期建築

 彫刻家で詩人の高村光太郎の妻・智恵子の生家。
 彼女は明治19年、長沼今朝吉の長女として生まれた。

 生家は、屋号「米屋」という酒造家、酒銘「花霞」もちろん今はありません。
 高村光太郎が「樹下の二人/大正12年(1923)」で、
「あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫」と書いているので、
 当時は規模の大きい造り酒屋だったのでしょうね。


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附:「智恵子の杜公園」からの展望(阿武隈川方面)

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盛岡じゃじゃ麺(岩手県)



盛岡三大麺って有名ですよね、麺好きは全攻略したいところです。
でも「わんこ蕎麦」は、チョッとめんどくさい。
「冷麺」はもう食べた。 じゃ「じゃじゃ麺」にしよう

盛岡市内の公開施設で、受付にいた女性に、オススメじゃじゃ麺のお店を伺ったら、
『白龍(ぱいろん)』を紹介してくれたので、行ってみました。
じゃじゃ麺発祥のお店だそうです。

 

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「孤独のグルメ」に出て来そうな店構え。
出てきたオジさんは井之頭五郎じゃないですよ


中が覗けないので、初めての女性が一人で入るのは勇気が要るかも、
でも、とっても庶民的な雰囲気。

お客さんは、サラリーマンとか近所の顔なじみが多いようだ。
専門店だから、みんな座りながら「ダイ」とか「チュウ」としか言わない。
これもチョッと戸惑う・・・

メニューは、じゃじゃ麺の大・中・小のみ。

肉みそは自分でも作りますが、こんなに肉の形が無くなるまで煮込むんだ・・・
とても滑らかで、麺にからまりやすい。

 当日の旅日記にUPした写真から、小サイズで450円でした。


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じゃじゃ麺はラーメンを使っていると思っている人が多いようですが、
かん水を使っていないそうなので、うどんの部類です。

肉みそとキュウリは定番ですが、
紅ショウガ、おろしショウガ、おろしニンニク、ラー油などで、
自分好みの味にして、混ぜて食べる。
 
食べ終わった後に、生卵とゆで汁を追加して、
「ちいたんたん」スープにして飲むのが通らしい。
地元に行ってみなければ分からない食べ方ですね〜


帰ってきてからお取り寄せしました。
生麺と肉みそがセットになっています。

まずは、定番形で作ってみました。
別の日に、肉みそ、白髪ネギと卵黄を落として食べてみましたが、
これも美味しかった。


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一食分といっても、麺の量が多いので、女性だったら充分二食になる。
多分、このお店の大サイズではないのかと思います。

味噌も余るほどだから、うどんだけ買って来てまた使えるし、
もろきゅうにしたり、味噌煮に加えたりと、使い道多し。

白龍のお皿もついでに買ってしまった 
スープを飲むくらいだから、くぼみがあるのて使い勝手がいい。
冷やし中華、あんかけ炒飯にもいいし、サラダもOK!
 

あー 久しぶりにじゃじゃ麺作りたくなった〜ン



りんごジャム

11月26日(木)

ジャムを作らねば・・・
そろそろ、果物も少なくなってくるので、手作り派は困りますね。

柿のジャムはどうだろうと思ったら、
あんまりオススメしないとネットに書かれていたので、
一応、やめている。アクが強そうだもんね・・・


りんごジャムを作ってみました。
皮も一緒に煮て、可愛いピンク色にしました。
果肉を全部つぶさずに、食感も残して・・・

紅玉なので、酸味もあって、美味しい〜



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紅玉:3個
グラニュー糖:りんごの30%
レモン汁:小さじ2

りんごを2cm角くらいに切って、塩水にさらして水気を切る。
全てを鍋に入れて、中火で煮る。
柔らかくなってきたら、ヘラで潰しながら焦がさないようにかき混ぜる。
出来上がったら、皮は取り除きます。



 
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