全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

2021年03月

ふぐ料理(山口県・下関)



フグは、今や三河や浜松でも収穫されて、名産に挙げられますが、
やっぱ、下関に来たら、フグ(フク)を食べたいですよね。

下関といえども、町中のお店では、それなりの値段はする。
料亭・割烹ともなると、コースで2万円くらい取られる。

そうなったら、我ら貧乏Walkerが頼りにするのは、やはり港の食堂です。


下関・唐戸市場「カモンワーフ」にて

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ザビエル上陸の碑が建ってる。

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ふぐ寿司をメインに、刺身、唐揚げ、皮の酢の物が付いた定食です。
これで2000円はしなかったと記憶してます。 
高級なフグではないと思うけど、大満足!


下関


萩「しーまーと」にて

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海鮮丼にフグの唐揚げ


萩

 
 
数年前のお正月に、フグのお取り寄せしちゃったんですよ。
これがメインで、他にはお蕎麦とお雑煮くらいしか食べなかった。

一応、トラフグだったと思います。(お正月だからね)
これに白子がつけば、値段がグンとアップします。
白子は絶品だから、食べたいけど我慢・ガマン

宅配はフグと調味料だけなので、
他の材料を揃えるのと、ふぐ刺し以外の調理は自分でやってます。

全部を1度に食べたわけではなく、フグ刺しメインの日と鍋の日と分けました。


フグ皮の和え物
 美味しかった記憶はあるけど、どんな味だったか覚えてない・・・


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唐揚げ




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 下関が実家の友人から、よく「小フクの唐揚げ」をお土産でいただきました、
 あれも美味しかったな・・



フグ刺し


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フグ鍋

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シメは雑炊


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・ 

都道府県別 私の好きな建築・山口県編 ② 西部 下関市・3

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★西部エリア
 ◉下関市・3


●響灘と角島(旧・豊浦郡豊北町)


 角島(つのしま)は山口県でも有名な観光地になったので、知っている人も多いでしょう。
 角島大橋は、よくクルマのCMに出てくるので、お馴染みですね。

 でも、どこにあるかって、地図を指差せる人は少ないかも・・・
 こんなところにあります。

 下関市内より随分と離れているので、下関市といわれてもピンと来ません。
 合併前は豊北町(ほうほくちょう)で、それ以前は角島村だったそうです。

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 響灘(ひびきなだ)は日本海と九州の玄界灘の間に広がる海です。
 私は「灘」というくらいなので、日本海の一部で流れが急峻になっている
 漠然とした地域と思ってましたが、ちゃんとした海域の定義があるそうです。
 この地図では詳しく書けませんので、興味がある方は調べてみてください。

 近世の西廻り航路では、瀬戸内海を抜けていよいよ日本海に向かう場所となり、
 船乗り達は「角島マイリ」という航海安全祈願をしたのだそうです。
 下っ端が、褌一丁にしめ縄を腰に巻き、船べりを3周廻るというもの。


●特牛(こっとい)港

 角島へはJR「特牛駅」から路線バスに乗り替えます。
 「特牛駅」は難読駅名で鉄道ファンにはよく知られているらしい。

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 特牛の語源は、中世はこの周辺は荘園であり、
 角島などに放牧された「貴族に差出す特別な牛(こってうし)」を移出したことにより、
 こってうしこっといとなったそうです。

 北前船の時代には、特牛に限らずこの周辺の浦は、風待ちの避難港として入津する船が多かったそうです。

 特牛駅から特牛港までは2.8km。
 港も目的地でしたし、本数が少ない路線バスなので時間のムダ使いはできない。
 後々のスケジュールを考えて、港までとりあえず歩きました。35分


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・蛭子(えびす)神社
 祭神:事代主大神、大物主大神、菅原大神
 現社殿:昭和10年(1935)田村甚一宮大工によって新築
    平成3年9月の台風により損壊したため、特牛地区民により翌年に新築。

 文政5年(1822)蛭子大明神と厳島大明神を祀り社殿を建立したが、
 後に厳島は特牛渡船場の小島に遷座される。

 鳥居は文政五年奉納、扁額には「蛭子大明神」「厳島大明神」と併記。
 神社の先に見えているのが日和山とした山。


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●角島大橋

 平成12年(2000)開通 全長:1780m  
高さ:18m 
 景観を損なわないよう吊り橋とせず、高さも低くしたのだとか。
 水深が浅そうだから、大型船も航行しないでしょうね。

 近年、この橋が大人気で、連休などは恐ろしいくらい渋滞し、
 地元の人は行き来できず、その期間中は外出するのを諦めたそうです。

 架橋以前は、町営の渡船があったそうですが、今は無いらしい。
 橋が架かったから観光客も多くなって、嬉しいことでしょうが、
 やっぱり、災害時や緊急時も考えて、渡船は残しておくべきよね。
 私たちにとっても、海上から橋を眺めるのもアリだと思う。


・路線バスの中から

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・「海士ヶ瀬公園」及び展望台から

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・「西長門リゾートホテル」へ続く道路から

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橋の傍にある島は「鳩島」と言います。

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 角島は、島の両端に突き出た経ヶ岬と牧崎が牛の角のようだということで
 ついた名称らしいですが、牧崎では放牧が昔から行われていたそうです。

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 キャンプ場や宿泊施設もあります。

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・夢前神社

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●角島灯台
 明治9年(1876)竣工 初点
 設計:R.H.ブラントン 施工:
 塔高:30.0m
 灯高:45.0m(海面から灯火)
 レンズは明治6年(1873)イギリスで製造されたもの。
 下関市指定有形文化財 土木学会選奨土木遺産

 古来、北前船等の海上交通の要衝の地であったことから、
 明治政府がイギリス人技師、ブラントンの設計により明治6年(1873)に着工、
 明治9年(1876)に完成・点灯。

 彼は、明治時代に来日したお雇い外国人で、7年6ヶ月の間に灯台26、灯竿5、灯船2など
 日本各地の灯台を設計し「日本灯台の父」と称される。

 ブラントンの設計した灯台は、石廊埼、御前埼、安乗埼など日本各地に残る。
 ブラントンが遺した灯台の中で、デザイン的、技術的にみて完成度が高いといわれる。
 尚、この灯台が、日本における彼の最後の作品。


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●旧角島灯台吏員退息所(現・角島灯台記念館)
 明治8年(1875)竣工

 点灯当初はイギリス人技師ディックが灯台長を務め、技術指導に当たった。
 昭和7年、昭和26年、昭和60年と間取りは変遷されていった。


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 再び特牛駅から汽車にのって下関に戻りました。
 周りがとても静かなので、遥か遠くから線路を渡ってくる音が聞こえます。


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都道府県別 私の好きな建築・山口県編 ② 西部 下関市・2

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★西部エリア

 ◉下関市・2

 開港から明治〜大正期の下関の輝かしい時期を、建物を通じて見ていきたいと思います。

 開港当時の下関は、唐戸地区を中心に繁栄していきます。 
 下関は交易の拠点として、諸外国から一目置かれる場所になって行ったようです。

 北前船が衰退し、下関でも一旦経済が衰えたが、
 日清・日露戦争から第一次大戦によって好転し、大陸貿易の拠点として大きく発展した。
 当時の地図を見ると、唐戸周辺、関門海峡に添って銀行がずらりと並び、
「西のウォール街」とも呼ばれ、下関の経済がいかに発展していたか分かる。

 今も、下関には関釜フェリーで韓国商人が買い付けにやってくるようで、
 市内でハングル文字や韓国人相手の問屋などを目にしました。
 現在はコロナでフェリーは休止しているのではないかとは思うけど・・・


●下関南部町(なべちょう)郵便局(旧赤間関郵便電話局)
 明治33年(1900)竣工
 設計;三橋四郎 施工:岩崎組
 国登録有形文化財

 現存する最古の現役郵便局
 明治4年(1871)に設置された「赤間関郵便取扱所」に由来する歴史を持ち、
 現在地へ局舎が移転したのを機に新築。

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 1999年にファサードが当時の姿に改修された。
 最初に撮ったのはその1年後だった、今となると、ある意味惜しい!

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 近代建築の交差点
 左:手前が南部町郵便局、奥に旧秋田商会
 右:港へ渡る歩道橋の奥に旧英国領事館

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 この周辺はかつての下関のメインストリートで、路面電車が通り、
 外国系の商社や商工会議所、旧下関郵便電話局などの建物が軒を並べていた。

 下関は外国人居留地はありませんでしたが、英国が領事館を設置した目的が商業であり、
 それに呼応して対外貿易港として栄えたので、外国人商館も多かったでしょう。
 

●旧下関英国領事館
 明治39年(1906)竣工
 設計:W.コーワン 施工:不詳
 国指定重要文化財 見学可

 明治34年に赤間町に開設され、下関港唐戸桟橋北方へ建設時に移った。
 昭和16年太平洋戦争に伴い領事館は閉鎖された。
 その後、昭和29年下関市が英国から購入。
 下関警察署唐戸派出所、下関市立考古館などに利用された。
 現在はギャラリー、喫茶室も兼ねて公開されている。

 ウィリアム・コーワンは英国政府工務局上海事務所建築技師長。
 領事館として建設された建物のうち、我が国に現存する最古の事例。

 
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●旧宮崎商館(旧ロダン美容室)
 明治40年(1907)竣工 
 昭和中期(1946〜1965)平成20年(2008)改修
 設計・施工:不詳
 国登録有形文化財 非公開

 下関市役所の北側に位置する。
 近くの英国領事館竣工の1年後に完成しているので、
 意匠に影響を受けているのは見るからに明らか。
 外国人の設計とする説もある。

 宮崎商会は神戸で設立され、明治26年(1893)から下関を拠点に石炭輸出業を展開した商社で、この建物は社屋として建てられた。
 持ち主の変遷がはっきりとしませんが「アーク商会」「ウール商会」だった等の記述もありました。

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 私が最初に撮影に行った時は「ロダン美容室」だったので、その印象が強いです。
 現在はクリニックになっているようでした。


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●旧秋田商会ビル
 大正4年(1915)竣工
 設計:施主の秋田寅之介との説あり
 下関市指定有形文化財 見学可(庭園は特別公開日のみ)

 この建物は唐戸交差点の角地、南部町郵便局の向かいに建つ。
 建物の前を通るR9号(旧西国街道)を渡れば、正面は唐戸の港、
 昔は街道付近まで海だったので、当時の貿易会社としては一等地です。

 秋田商会は「柏長」という材木会社に始まり、
 明治末期に台湾、朝鮮半島、旧満州に進出し、
 日清・日露戦争を通じて海運・貿易で発展した。

 施主の秋田寅次郎(旧姓秋富)は秋田松次郎(この人も養子)の養子となり、
 秋田商会木材社長を務め、大正6年(1917)衆議院議員となる。

 内装・外装共に改築は最小限で建設当時の姿を保っているそうです。
 塔屋は自社船を確認するための物見櫓で、夜は灯台の役割を果たしたとか。
 塔屋と共にこの家を特徴付けているのが屋上庭園で、日本初という説明もある。


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・1階
 昔の事務室で、現在は「下関観光情報センター」

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・2階
 住宅兼事務室

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 国道側は客室を含むプライベート空間。
 和室は妻や娘の部屋にあてられた。

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・3階
 畳の敷き方からみて、迎賓用だったと思われます。

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 螺旋階段は塔上屋に上がるためのもの。
 現在は安全上の理由で庭園の特別公開日以外、見学者は使えませんが、
 以前は上がることができました。(庭園には出られなかった)


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 屋上庭園の写真はHPより

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●山口銀行旧本館(現・やまぎん史料館)
 大正9年(1920)竣工
 設計:長野宇平治 施工:竹中工務店
 山口県指定有形文化財 見学可

 三井銀行下関支店として竣工。花崗岩と擬石モルタル造。
 昭和8年(1933)百十銀行本店、昭和19年(1944)山口銀行本店となり、
 昭和44年山口銀行別館。
 昭和48年〜50年には日本銀行下関支店として使用され、
 平成16年から建物の内外を山口銀行創立当時の姿に戻す復原工事が行われた。
 山口県の金融や産業の資料を展示。

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 早朝だったため、まだ開館しておらず、内部写真は山口県HPほかより

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●旧逓信省下関電話局電話課庁舎
        (現・下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館)
 大正13年(1924)竣工
 設計:逓信省営繕課(山田守) 施工:不詳
 下関市指定有形文化財 見学可

 大正後期、下関市での電話需要の急増に対応するべく建てられた。
 昭和44年(1969)旧電電公社から下関市へ保有者が替わり
「下関市庁舎第一別館」として転用された。
 平成12年、保存が決定し、現在は改修され、一般公開されている。 


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・塔屋
 パラボラアーチの塔屋の内部は水槽で、
 出火の際は水槽から取り出された水が外壁の取付け柱の溝を伝って流れ落ち、
 膜のように建物全体を覆う仕組みになっていた。
 
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・1階「ふるさと文学館」

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 電話局当時、電話交換機の機材搬入のために開けられた天井の穴。
 吊って上げ下げしたようです。

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都道府県別 私の好きな建築・山口県編 ② 西部 下関市・1

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★西部エリア

 ◉下関市・1


◉関門海峡

 関門海峡は歴史上、様々な舞台となりました。
 南部町から阿弥陀寺町にかけての関門海峡側は、古来の港でした。
 幕末や北前船の時代は、西の伊崎(竹崎)が中心になり、開港当初は唐戸が中心でした。
 港の中心も時代と共に移り変わったということです。

 関門海峡に沿った道は、いいお散歩コースです。♬ブラ ブラ ブラ〜

●唐戸(からと)〜壇ノ浦

・唐戸市場・カモンワーフ

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・赤間神宮(あかまじんぐう)
 安徳天皇を祀る神社。
 かつて「阿弥陀寺」と称し、安徳天皇の霊を慰める寺だったが、
 明治の神仏分離令により廃され、神社「天皇社」となり、
 昭和に入ってから「赤間神宮」と改称。
 ハーンの怪談「耳なし芳一」は阿弥陀寺だった頃の逸話。


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・春帆楼(左)と日清講和条約記念館(右)

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 春帆楼(しゅんぱんろう)は明治10年(1877)蘭医の藤野玄洋が、
 廃寺となった阿弥陀寺の方丈を買い取り、医院を開業。
 玄洋の死後、伊藤博文の勧めで妻が医院を改築し、割烹旅館を開いたのが始まり。
 超有名なフク会席のお店です。私なんぞ、とてもとても・・・

 日清戦争で日本が清国に戦勝したことにより、
 明治28年(1895)春帆楼の2階大広間で会議が開かれ講和条約が締結された。
 記念館は、その当時の会場の様子を再現したもの。
 (昭和12年竣工 国登録有形文化財)


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・朝鮮通信使上陸の地

 赤間神宮の正面。
 日本への訪問に際し、対馬・壱岐を経て日本本土上陸の最初の地が下関だった。
 その際、迎賓館として利用されたのが阿弥陀寺(現・赤間神宮が建つ)だったそうです。


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・旧山陽道

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・壇ノ浦港の船だまり

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・蛭子(えびす)神社

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●早鞆瀬戸(はやとものせと)〜門司港

 早鞆瀬戸は、関門海峡の最も狭い場所で、幅630m。
 狭いということは、流れが速くなるため最大の難所。

 「関門橋」は、下関の壇ノ浦と北九州市門司区門司を結ぶ自動車専用橋梁。
 道路の正式名称は、中国または九州自動車道の一部ではなく「関門自動車道」。
 昭和48年(1973)
に開通。全長1068m。

近年の橋はコンクリートが多くなってますから、
鋼構造の橋、いいですね
右:山口県下関市 左:福岡県門司区(写真はWikipediaより)

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 鉄道、自動車、連絡船、徒歩、いかなる方法でも渡れる海峡は、ここ以外にある?

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・立石稲荷神社
 平家が西に下ったとき、伏見稲荷の分霊を祀ったといわれる。
 目の前の海峡で平家の軍船が沈没し、
 御神体はこの地に留まり海峡の守護神となったと伝わる。
 

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 この石が、その位置かな?

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・人道トンネル(午前6:00〜午後10:00)
 海面からの深さは58m、徒歩10分で福岡県側に渡れる。
 徒歩は無料、自転車と50CC以下のバイクは押して通って20円。

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はい、福岡県側に出ました。

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・和布刈(めかり)神社

 祭神:瀬織津姫(セオリツヒメ) 
    月の女神、穢れを祓う禊の神、潮の満ち引きを司る「導きの神」

 ちょくちょく単独神で祀る神社を見ますね。海峡にはピッタリな神様。
 社殿はこの下、海峡に面した崖に鎮座しています。


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・火の山(下関側)
 名称は、かつて狼煙台が置かれていたことによる。
 明治23年(1890)山頂に帝国陸軍の砲台が設置されて以後、
 下関要塞の一部を担っていた。その当時は、入山が規制されていたが、
 現在は公園となり、ロープウェイや国民宿舎、ユースホステルもある観光地。


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・火の山下潮流信号所(関門海峡海上交通センター)
 流向(W,Eなど頭文字)流速(ノット数)流足の傾向(矢印)を点滅表示。


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・門司港(レトロ地区)

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 帰りは、関門連絡船で下関の唐戸桟橋に戻りました。


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岩牡蠣(日本海)



なんちゃって料理ではありませんが、

北前船の寄港地フィールドワークの旅で、
日本海沿岸は、北海道の江差・松前から山口県の長門まで巡りました。
行く先々で、新鮮で美味しくて安い魚介類をいただきました。
家では食べられない珍しい魚もあって、おかげで魚が好きになりました。


なかでも一番美味いと感じたのは「岩牡蠣」です。
また食べたいものは何と訊かれたら、コレを指名します。
カニもフグもあるけどさ・・・

日本海側が主な産地で、6月〜9月が最盛期のようです。
夏に牡蠣が食べられるって、いいでしょう

普段、スーパーで見る真牡蠣の3〜4倍はありますかね・・・
クリーミーで美味しいです。
生で食べるのが最高、料理をしたらもったいないっす。

産地でもやはり値段は高い。1個千円くらいします。
なので、現地最後の夕食(一人打上げと呼んでおります)に贅沢を


米子市にて

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出雲市にて

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レモンと比べると大きさがわかるでしょ


先日、お取り寄せしたらいくらかな?と検索してみたら、
やはり3個で税込3千円以上してたので、同じくらいですね。

でもな〜、私、牡蠣の殻を剥くのが下手なので、諦めました。

美味いものを食べに、わざわざ出かけるグルメさんもいるだろうけど、
それだけじゃ、もったいないものねぇ
コロナ感染が収まったら、寄り道旅して食べたいな・・・





 
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