(Alexander Nelson Hansell)
生没年:1857年(安政4年)〜 1940年(昭和15年)
出身国:イギリス
滞在時期:1888年(明治21年)〜1920年(大正8年)
神戸の居留地で活躍した建築家。
名前は知らなくても、北野異人館街で建物を目にした人は多いはず。
フランス、ノルマンディー地方カーンに生まれる。
父はイギリス人の牧師で、父がサマセット教区長に任じられると、父とともにイギリスへ渡った。
サマセットからウィンチェスターへ移り、イギリス人建築家チャンピオン等について建築の修業を積んだと伝わる。
明治21年(1888)に日本へ渡る。
大阪・川口居留地の「三一神学校(日本聖公会)」や大阪商業学校の教師を務めた。
※川口居留地は、日本への伝道拡大を図っていた米国と英国の聖公会3団体による日本聖公会設立の地。
ミッション所在地に建築測量事務所(Architect & Surveyor)を開設。
明治24年(1891)R.I.B.A(英国王立建築家協会)の正会員になった。
当時日本で建築指導を行った英国王立建築士会正会員だったのは、
ジョサイア・コンドルとハンセルの二人だけだったとか。
明治24年(1891)には本拠地を神戸に移して居留地建築家としての活動を本格化させる。
ハンセルの建築作品は、学校、クラブ建築、領事館、商業建築、銀行、住宅など多岐にわたる。
第一次世界大戦で、一人息子のケネスが招集され戦死すると、失意の日々を送るようになり、
終戦後の大正8年(1920)に中国漢口へ移住し、さらにモナコへ移り、同地で逝去。
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◉神戸北野ヒストリー(抜粋)
明治の開港まで北野から三宮の地域は、神戸村、北野村という農村であり、砂浜と田畑と山野がひろがっていた。
なかでも北野村は居留地にもっとも近い山麓の恵まれた位置にあり、開港当時の家数60戸、人数230人であった。
一方の山本通は明治になって山手方面の新道開設のうえで生まれた地名で、同7年から現在の町名が付けられた。
北野町に異人館街が誕生した理由は、開港後の来日外国人の増加による居留地の用地不足にあった。
諸外国との条約上、居留地を広げることは治外法権区域の拡大を意味するため、明治政府は、東は生田川、西は宇治川の範囲を限って日本人との雑居を認め、居留地から山手に延びる南北道の整備を行った。
このため居留地や港が南に一望できる環境のよい山手の高台に外国人住宅である異人館が集まり、のちには居留地の仕事場に山手から通勤するライフスタイルも定着した。
明治時代から昭和初期にかけて、二百余棟建てられた。
異人館の建築については、形はほぼ「コロニアルスタイル」と呼ばれる様式に集中しており、神戸の異人館では、ベランダ、下見板張りペンキ塗りの外壁、ベイウィンドウ(張り出し窓)、よろい戸、赤レンガ化粧積み煙突などが特徴となっている。
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北野・山本通界隈を語るときに忘れてはならないことがあると言われる。
建築物については3H、人物については2Hである。
建築物の3Hとは、旧名称で「ハッサム邸」「ハンセル邸」「ハンター邸」の3住宅。
◉旧ハンター住宅 神戸市灘区「王子動物園」内に移設
明治22年(1889)竣工。
国指定重要文化財
旧所在地:神戸市中央区北野町3丁目
人物の2Hとは、ハンターとハンセル。
実業家のE.H.ハンターは、ロンドンデリー生まれのアイルランド人。
慶応元年(1865)22歳のときに来日し、横浜キルビー商会に勤務。
その後明治元年、神戸キルビー商会に移る。
ハンターは、明治7年に「ハンター商会」を設立し、建設機械、材料などの貿易を始めた。
明治12年に造船所開設に着手し14年に大阪鉄工所を開所。
これが後の「日立造船」に発展した。
明治22年頃北野町の高台にあったドイツ人のA・グレッピーの住宅を買い取り、改造して現在にみる建造物に仕上げた。
この敷地に至る道は、馬車が通行できるように、ハンターが私財で拡幅したといわれる道路があり、今でも「ハンター坂」と呼ばれている。
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◉同志社大学 ハリス理化学館
(旧英学校 神学校及波理須理化学校・神学館)
京都府京都市上京区今出川キャンパス内
明治23年(1890)竣工
国指定重要文化財
◉平安女学院・明治館 京都府京都市
明治27年(1894)竣工
国登録有形文化財
平安女学院も川口居留地が発祥の地
竣工当時の写真
◉旧P.A.ディスレクセン邸(現・門兆鴻邸)神戸市中央区山本通
明治28年(1895)竣工
北野・山本地区の伝統的建造物ー28
◉旧A.N.ハンセル邸(現・シュウエケ邸)神戸市中央区山本通
明治29年(1896)竣工
北野・山本地区の伝統的建造物ー27
裏側写真はネットより
◉旧ハッサム邸 神戸市中央区中山手通「相楽園」内
明治35年(1902)北野町2丁目に竣工
昭和38年(1963)現所在地に移築
国指定重要文化財
◉旧シャープ住宅(「白い異人館」→現「萌黄の館」)
神戸市
明治36年(1903)竣工
国指定重要文化財
アメリカ総領事ハンター・シャープの邸宅として建築。
それに対応して愛称も変わったようです。
これが当初の色だったのかも・・・でも、困ったなァ。
近影はネットより
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