全国に残る、近代の土木・建築を中心にWatchingしているブログです。
旅に出たら「Architec旅日記」と、見てきた建物や風景を紹介する記事を、
家に居れば、日々の日記「想鄙居だより」や、料理などを記事にしています。

※特集記事は拡大写真も含まれていますので、クリックしてみてください。

オフィス・店舗

愛知・名古屋 / 旧豊田紡織本社事務所(トヨタ産業技術記念館・2)

◎旧豊田紡織本社事務所(現・トヨタグループ館)
 
近代化産業遺産(経済産業省認定) 
 大正14年(1925)建築

トヨタグループ館の建物は、大正14年(1925)に建て替えられた
旧「豊田紡織本社事務棟」を当時の状態に修復したものです。

ここでは、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)やトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の創立総会も開催されるなど、グループの生成・発展に重要な役割を果たしました。

当館には豊田創始期からの貴重な資料やゆかりの品などを展示し、
創業の精神である「研究と創造」と「モノづくり」の一端を紹介しています。


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1階はかつての事務室で、レトロな照明體具やタイムレコーダーが印象的。
落ち着いた色調のフロアには、各種の資料が順を追って見学できるよう、
4つのコーナーが用意されています。
このうち最も広いスペースを占めるのが、織機から自動車に至る開発の軌跡を紹介する「研究と創造」をテーマにした展示コーナーです。

  ーートヨタ産業技術記念館HPよりーー

         ーーーーーーーーーーーーーーーー

本社事務所であった当時をしのばせるカウンター。
ここは書類などを受け渡す窓口だった。

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 内側から
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天野製作所(現・アマノ(株))製「木枠型タイムレコーダー」
昭和14~17年に製造されたと思われる。
毎週ゼンマイを巻いているので、当時と同様に今も時を刻んでいるそう。

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半被(はっぴ)の制服っていいね〜

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地下室への階段

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見学は1階のみ

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1:研究と創造(織機〜自動車)
2:グループ各社の創成と歩み
3:グループの生成・発展に貢献した方々
4:はじまり物語








総合年表②

大正13年(1924):豊田喜一郎、杼換式自動織機などの特許を出願
                       (特許第65156号)
大正14年(1925):豊田佐吉、帝国発明協会へ蓄電池発明の懸賞金、
          100万円の寄付を約束
         「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」1号機完成
大正15年(1926):(株)豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)設立
昭和4年(1929):喜一郎、欧米の自動車事情視察と、特許権譲渡交渉
    イギリスのプラット社とG型自動織機に関する特許権譲渡契約
昭和5年(1930):喜一郎、自動車に関する調査研究を開始、
         小型エンジンを試作
         10月30日、豊田佐吉逝去


  愛知県名古屋市西区則武新町4丁目1−35 2023年10月29日


愛知・名古屋 / 旧豊田商会事務所(トヨタ産業技術記念館・1)

「トヨタ産業技術記念館」は、
トヨタグループ発祥の地で大正時代の工場を産業遺産として保存しながら、
近代日本の発展を支えた繊維機械と現代を開拓し続ける自動車技術の変遷を
本物の機械の動態展示や実演で体験できる博物館です。

当館は、トヨタ自動車を創業した豊田喜一郎氏の生誕百年にあたる1994年6月、
「研究と創造の精神」と「モノづくり」の大切さを、
次の世代を担う若い人々をはじめ、広く社会にお伝えすることを設立の原点として開館しました。
2024年6月に30周年を迎えます。

現在は「モノづくりの歴史から未来を展望する学びの館」をミッションとして、
「技術の変革と産業の発展が未来を築く」ことを館全体で表現し、
持続可能な社会づくりへの貢献を目指す取り組みを始めたところです。
2023年6月末までの入館者累計は約687万名。

       ーートヨタ産業技術記念館HPより編集ーー


「ノリタケの森」から歩いて5分ほどで「トヨタ産業技術記念館」に到着。
メインの産業技術館に向かう手前に、旧事務所の建物が保存されています。

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◎旧豊田商会事務所
 近代化産業遺産(経済産業省認定) 
 明治38年(1905)建築
 内部見学不可

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「豊田商会」は豊田佐吉が自動織機を発明・研究するために、
明治35年(1902)に設立されたもの。
この建物は明治38年(1905)に建設され、
佐吉はここを居住と兼用して自動織機の開発に心血を注ぎました。

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トヨタ産業技術記念館HPより(写真とも)

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総合年表①

 慶応3年(1867):
  豊田佐吉、遠江国敷知郡山口村(現・静岡県湖西市)で出生 
 
 ◎豊田佐吉生家(1990年10月復元)

  
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 以下の写真は、IN HAMAMATSU .COMより

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◎豊田佐吉記念館 湖西市山口 113-2

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  記念館は、トヨタの社員研修にも使われているんだとか。

明治18年(1885):
発明を志す佐吉、村の青年と夜学会を開いて勉強
明治23年(1890):佐吉、豊田式木製人力織機を完成、
          特許を出願(特許第1195号)
明治25年(1892):吉、東京浅草で機屋を開業
明治27年(1894):6月11日田喜一郎、佐吉の長男として誕生
          佐吉、糸繰返機を発明し、特許を出願
明治28年(1895):豊田商店を設立(1902年豊田商会に改称)
明治44年(1911):豊田自動織布工場を設立。翌年稼働開始
大正7年(1918):豊田自動紡織工場を改組して豊田紡織(株)を設立
大正10年(1921):豊田利三郎・豊田喜一郎、欧米の紡織業視察に出発
          
中国上海に(株)豊田紡織廠を設立
大正12年(1923):豊田紡織、自動織機の試験のために刈谷試験工場を設立

佐吉が湖西市出身だったとは、今まで全然知りませんでした。
こんな偉大な方が同県人だったとは・・・まっこと失礼しました。🙇‍♀️

23歳で織機を発明してしまったんですね〜 すごいな。
「日本のエジソン」と呼ばれることもある佐吉ですが、
ふたりはほぼ同時代を生きたといえます。

エジソンは1847年生まれ、没年は1931年、84歳。
佐吉のほうは1867年生まれ、没年は1930年、63歳。

佐吉のほうが短命でしたね。
交流はなかったと思いますが、会ってたらどんな話をしたでしょうね。

名古屋市西区那古野

   愛知県名古屋市西区則武新町4丁目1−35 2023年10月29日


愛知・犬山 / 聖ヨハネ教会堂ほか(明治村)

◎大井牛肉店 

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明治村大井牛肉店
 国登録有形文化財
 明治20年(1887)建築
 構造及び形式等:木造2階建、瓦葺
 建築面積:98㎡

 解説文:
  神戸元町に牛肉販売・牛鍋料理店として建築。
  木造洋風2階建で白漆喰塗の外壁に胴蛇腹と軒蛇腹を廻す。

  各階隅の角柱と2階ヴェランダの独立円柱にコリント式柱頭を飾る。
  窓は半円アーチ欄間の上げ下げ窓。
  玄関庇にはむくり破風の和風意匠を用いている。

旧所在地:神戸市中央区元町通 
解体年:昭和41年(1966) 
移築年:昭和43年(1968)

神戸市中央区元町の相生橋東詰に建てられた牛肉屋兼牛鍋屋。
牛肉は日本では禁忌とされてきましたが、
幕末より、神戸をはじめとした各地の居留地に住む外国人や寄港する外国船に向けた供給が必要になった。
明治の新たな商売として、牛肉販売に注目した岸田伊之助(1849〜1928)が、神戸の地で牛肉商を始めるために建てたのがこの建物でした。

建物は木造2階建てですが、胴蛇腹と軒蛇腹をめぐらせた漆喰塗りの外壁に目地を入れることで、まるで石造建築のように見せています。
半円アーチの上げ下げ窓とコリント式の装飾柱、2階ベランダの洋風デザインは、
当時の神戸に多く見られた外国商館を彷彿とさせます。

大井牛肉店 | 博物館明治村 2

                         (明治村HP)
※蛇腹(じゃばら)とは
 洋風古建築において、壁の上部や各部を区切るための帯状の装飾で、
 コーニスのこと

 蛇腹は訳語で、その位置により天井蛇腹、軒蛇腹、胴蛇腹という。 
 装飾と雨仕舞いを兼ねているようです。


日本風な入り口の屋根に、コリント式オーダー(アカンサス模様の柱頭)等、

神戸居留地を彷彿とさせる、和洋ごちゃ混ぜハイカラな外観。
オーダーも、ベランダの柱やレリーフのように壁に埋め込んだり、
隅の角柱に使ったりと、いろいろな手法を駆使しているのが面白い。

今は、内部をショップとしている保存家屋が多くなったようですが、
以前は、そんなに多くありませんでした。
ここは、当初から牛鍋を提供していました。
私は一度も食べたことはありませんが・・・

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ここからは、今回(2023年10月)訪問する以前に撮った写真が中心です。
つまり、今回は立ち寄らなかった建物です。

◎聖ヨハネ教会堂

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旧日本聖公会 京都聖約翰教会堂
にっぽんせいこうかい きょうとせいよはね きょうかいどう)
 国指定重要文化財
 明治40年(1907)建築
 設計:ガーディナー 
 構造及び形式等:煉瓦及び木造、二階建、銅板葺
 建築面積:
206.7
 解説文:
  聖ヨハネ敎会として知られている。 
  京都五条に明治40年建設され昭和39年明治村に移された。
  米人ガーデナーの設計で美しいゴシック様式を示している。



旧所在地:京都市下京区河原町通五条 
解体年:昭和38年(1963) 
移築年:昭和39年(1964)

「日本聖公会京都五条教会堂」として建設された教会堂。
2階が会堂、1階は日曜学校や幼稚園に使われていました。

中世ヨーロッパのロマネスク様式をベースに、細部にゴシックのデザインをまじえた外観が特徴。
正面の左右には高い尖塔が建てられ、奥に十字形の大屋根がかかる会堂が配されています。

2階の会堂の内部は十字形の平面になっていて、小屋裏あらわしも、
アーチ形の方杖と鉄筋が組み合わされた独特な小屋組の細い骨組みにより、実際よりも広く感じさせる造りです。
正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が設けられ、
美しいトレーサリーの模様が浮かび上がるとともに、室内に光をふんだんに取り込みます。

京都の風土に合せて使ったといわれる天井の竹のすだれが明るい光を反射し、
内部の印象は非常に開放的です。

※トレーサリーとは、ゴシック建築によく見られる装飾をいう。
 (はざま飾り)
 
窓の上部などに使われている桟のことで、ステンドグラスなどをはめ込む。
 従来は石造で、
 薄い石をくりぬき作られた物は、プレート・トレーサリー。
 棒状の石材を組み合わせた物は、パレート・トレーサリーと呼ぶ。

 プレート・トレーサリー

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聖ヨハネ教会堂 | 博物館明治村 3
     
聖ヨハネ教会堂 | 博物館明治村 4
    
聖ヨハネ教会堂 | 博物館明治村 5
             

                        (明治村HP)
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J.M.ガーディナーの名前は、聞き覚えのある人多いかもしれませんね。
 生没年:1857年1925年(安政4年〜大正14年)
 出身国:アメリカ合衆国
 滞在時期: 1880年〜1925年(明治13年〜大正14年)日本で逝去

ミッション・アーキテクトで「立教大学」の初代学長です。
明治24年(1891)立教大学校長を退任
本格的に建築家としての人生を歩み始める。

手がけた作品は、やはり教会が多く、日本全国に残っています。
その中でも、この教会堂は傑作。
その他、富豪の別邸(現「長楽館」京都市円山公園内)なども手がけた。


◎西郷従道邸

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旧西郷従道住宅
 国指定重要文化財
 明治10年代(1878〜1886)建築
 設計:レスカス
 構造及び形式等:木造、二階建、銅板葺
 建築面積:253.2
 解説文:
  もと東京上目黒の西郷山にあり、昭和39年移築された。
  明治十年代の建物であって、明治初期の洋風上流住宅の好例である。


旧所在地:東京都目黒区上目黒 
解体年:昭和38年(1963) 
移築年:昭和39年(1964)

西郷隆盛の弟、西郷従道(つぐみち)が建てた住宅のうち、接客用に設けられた洋館。
従道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、
明治22年(1889)には明治天皇の行幸も仰ぎました。

設計にはフランス人レスカスが関与していると伝えられ、
建築金具や階段などをフランスから取り寄せているほか、
2階には日本三景が描かれた陶板で飾った暖炉も設置されています。

西郷從道邸 | 博物館明治村 3
西郷從道邸 | 博物館明治村 2

この建物は耐震性を高める工夫がなされています。
屋根には軽い銅板が葺かれ、野地板が斜めに張られているほか、
外壁は柱間に落とし込んだ本実(ほんざね)下見板張りとなっています。

                  (明治村HP)
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※本実加工とは、
 実でぴったり突き付けられた加工なので、表から凹凸は見えない造り。

 手間ひまかかった上品な仕上げといえるでしょう。

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当時の西郷邸の写真(写真はネットより)
広い敷地に建物が配置され、移築建物はそのうちの一棟だったことがわかる。

当時の政財界の重鎮が洋館を建設したことに、
西洋かぶれだと揶揄されることもありますが、

私が思うに、彼らの個人的な見解や趣味はさておいても、
時代の先頭を切って行く人たちにとって、
西洋館を準備して、西洋スタイルのもてなしをすることは、
仕事の一部だったのではないかと思います。


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ジュール・レスカス(Jules Lescasse、1841年頃 〜 没年不詳)は、
明治時代にお雇い外国人として来日したフランス建築家

工部省生野鉱山の技師を務め、その後横浜東京で、
ニコライ邸、西郷従道邸等の設計に携わった。
「耐震碇聯鉄構法」と呼ばれる耐震技術を考案・採用され、
建築物耐震技術の向上に貢献した。
明治19年(1886)頃に帰国。


◎第八高等学校正門(明治村正門)

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明治村第八高等学校正門
 国登録有形文化財
 明治42年(1909)建築
 構造及び形式等:煉瓦造、間口9.3m、左右袖塀各5.1m及び鉄製門扉付
 解説文:
  煉瓦造の門で両側に脇門を備え、脇塀が接続する。
  門柱は赤煉瓦積角柱で胴部に3条の花崗岩の帯を巡らす。
  門柱頭部は箱形で蛇腹を廻す。
  鉄製門扉は戦中に供出されたものを移築時に復原した。
  細い竪格子を粗く配しており,円環と渦巻の装飾が軽快である。


旧所在地:愛知県名古屋市瑞穂区瑞穂町
解体年:昭和43年(1968)
移築年:昭和45年(1970)

高等学校令により名古屋に開校された第八高等学校正門。

赤煉瓦と白御影石を積み、扉、柵に鉄材を軽やかに使ったデザインは、
明治期に導入されたネオ・ルネッサンス様式です。

明治42年(1909)に建造されて以来、わが国の学校制度改革と運命を共にした由緒ある教育の門でもあります。
昭和24年(1949)の学制改革で新制名古屋大学教養部の正門となり、
ついで昭和40年(1965)に校舎が名古屋市立大学に移管され、
正門もまた名古屋市の所有になりました。
その後取り壊される運命となり、明治村正門としてお客様を迎えることとなりました。
                 (明治村HP)


これにて、今回の明治村探訪は終了です。


1丁目 | 村内地図・エリア紹介 | 博物館明治村 2

  愛知県犬山市内山1博物館明治村内1丁目



愛知・犬山 / 呉服座ほか(明治村)

明治村4丁目に入って北側、
「呉服座」と、面積50平方m前後の小ぶりな町の商店が並ぶ一角。

◎呉服座(くれはざ)


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旧呉服座
 国指定重要文化財
 明治25年(1892)建築
 構造及び形式等:桁行25.7m、梁間14.3m、
        一部二階、切妻造、妻入、正面及び側面庇付、

        杉皮葺、木戸廻り側面及び舞台廻り側面突出部附属
 
解説文:
  旧呉服座は舞台、花道、平場、桟敷、楽屋などよりなる
  木造二階建の芝居小屋で、
  昭和46年に大阪府池田市より明治村に移築され、
  旧規の姿に復原されたものである。

  この建物は現存する劇場建築の中では建立年代の古いもので、
  規模も大きく、江戸時代以来の芝居小屋の伝統を各部にとどめていて、
  我が国劇場建築の推移を知る上で貴重な遺構である。


旧所在地:
大阪府池田市西本町
解体年:昭和44年(1969)
移築年:
昭和46年(1971)

大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋。
もとは池田市本町にあった明治7年創業の「戎座」を、
明治25年(1892)に西本町へ移築したもので、
このときに名称も「呉服座」と改められました。

構造は江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた、
木造2階建ての杉皮葺き。舞台と客席部分には大きな切妻屋根を架け、
その前に軒の高い下屋を降ろして入口にしています。

正面の高い切妻には太鼓櫓(やぐら)を突き出し、
入口下屋の軒下には、絵看板を掲げられる場所も。
また正面の壁は黒漆喰塗りで、腰には和風の下見板が建て込まれています。

出入口の扉は、裏面は和風の舞良戸(まいらど)ながら、
表面には洋風の枠飾りなどがあしらわれており、目新しさを感じさせます。
                   (明治村HP)
        
         ーーーーーーーーーーーー

どうして「呉服」と書いて「くれは」と読むのか、ズーッと謎でした。
地名や山名としては「呉羽」が富山県にはあるが・・・

調べてみたら、
同じ大阪府・池田市に「呉服神社(くれはじんじゃ)」があった。

日本書紀にある「呉織・穴織伝承」を今に受け継ぐ神社で、
呉服と書いて「くれは」と読みます。

応神天皇の時代、呉の国から日本に渡ってきた工匠のうち、
呉織(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)という姉妹がこの地に住みつき、
機織・裁縫の技術を伝えたとされています。

その後「呉服」という言葉は、絹布類を指す言葉「ごふく」として日本に定着しました。
その由来から、呉服神社には服飾関係者の信仰も集めています。
ちなみに、この呉服神社は姉の呉織と仁徳天皇を祀っており、里にあるため「下の宮」、
妹の穴織が祀られている伊居太神社は山の方にあるので「上の宮」と呼びます。
毎年1月の十日戎には多くの人が訪れ、賑わいを見せます。
                     (OSAKA INFO)


多分、この神社から来ているネーミングでしょうね。


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芝居小屋も好きなモチーフです。
当時の庶民の熱気が伝わって来るようです。

創業以来、長く存続しているもの、
戦後、映画館となっていたが元に戻して保存されているもの、
昔の姿を復元したものなど、いろいろあります。

建てられた理由も、観光客目当て、地域産業に携わる人々の慰労、
娯楽の少ない地域の活性のためなど、これも様々あります。

では、今回も各地で撮った芝居小屋を少しばかりご紹介 

「金丸座」国指定重要文化財 
  天保6年(1835)建築 香川県・琴平町
  中では、富くじの抽選も行われたとか
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「出石永楽館」兵庫県指定有形文化財
  明治34年(1901)建築 兵庫県・豊岡市
  近畿地方で現存する最も古い芝居小屋。

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「康楽館」
国指定重要文化財 
  明治43年(1910)建築 秋田県・小坂町
  小坂鉱山で働く従業員とその家族のために建てられた。

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「嘉穂劇場」国登録有形文化財 
  昭和6年(1931)建築 福岡県・飯塚市
  筑豊炭鉱
で働く従業員とその家族のために建てられた。


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「脇町劇場」
  昭和9年(1934)建築 徳島県・美馬市
  「オデオン座」は、ここでロケされた映画での館名から

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時代と共に、名前が「座」→「館」→「劇場」と変わるのが興味深いです。

レトロな外観ですが、中に入ると別世界で、もっとワクワクします。
また、回舞台、花道、すっぽんなどを備え、奈落まで入ることもできます。
幟が立っているように、今でも芝居が上演されています。

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◎小泉八雲避暑の家

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明治村小泉八雲避暑の家
 国登録有形文化財
 明治初期(
1868-1911)建築
 構造及び形式等:
木造2階建、瓦葺
 建築面積:68㎡
 解説文:
  木造2階建、桟瓦葺、平入、間口3間の町家で、呉服雑貨商として建築。
  1階は入口が引違戸、店の前がはめ外し板戸と格子窓、
  2階は手摺付の肘掛窓である。
  通り土間に沿って3室が並び、2階は表に10畳と4畳、裏に12畳座敷を配す。
  地方都市商家の一例。

旧所在地:
静岡県焼津市城之腰
解体年:
昭和43年(1968)
移築年:
昭和46年(1971)

小泉八雲(1850-1904)はもとの名をラフカディオ・ハーンと言い、
アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。
アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、
明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任しました。
明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになりました。
この家は魚屋の山口乙吉の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家です。

                         (明治村HP)
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この家を、文化庁は呉服雑貨商としていますが、
明治村解説文の魚店のほうが正しいです。
城之腰(じょうのこし)は「焼津小川(こがわ)港」の近くに位置します。

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八雲が焼津を訪れるようになったのは、焼津の海が気に入ったことのほか、
魚屋を営む山口乙吉(おときち)との出会いも大きな理由でありました。
純粋で、開けっ広げで、正直者、そんな焼津の気質を象徴するような乙吉を
八雲は「神様のような人」と語っていました。

乙吉は八雲を「先生様」と呼び、
八雲は乙吉を 「乙吉サーマ」と心から親しく呼んでいました。

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                      (焼津市HP)
         ーーーーーーーーーーー

以前来た時は、魚の模型を置いたりして、魚屋らしく展示していましたが、
先日行ったら、そんなものはなく駄菓子を並べて売っていた。
そんなで、店の中の様子がまったく分からなかった。


◎本郷
喜之床(きのどこ)

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明治村本郷喜之床
 国登録有形文化財
 明治後期(
1868〜1911)建築
 構造及び形式等:木造2階建、瓦葺
 建築面積:47㎡
 解説文:
  
石川啄木ゆかりの新井理髪店。
  木造2階建、桟瓦葺、平入、間口3間の町家である。
  入口は両開ガラス戸で、両側に引違ガラス窓が続く。
  1階の前半は店で洋風の板天井とし、背後に和室3室を食違いに配す。
  2階は6畳2室で,正面には手摺付の肘掛窓を設ける。


旧所在地:
東京都文京区本郷
解体年:昭和53年(1978)
移築年:昭和55年(1980)

東京・文京区本郷にあった屋号を「喜之床」と称する理髪店で、
明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物。
店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイル。
床屋は、バーバーともいわれ、庶民の暮らしに欠かせない店屋でした。

この建物の2階二間を明治42年(1909)から間借りして、
家族と生活していたのが、歌人石川啄木です。
処女歌集『一握の砂』はここで暮らしているときに出版されました。
                     (明治村HP)

◎半田東湯

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明治村半田東湯
 国登録有形文化財
 
明治後期(1868〜1911)建築
 構造及び形式等:木造平屋一部2階建、瓦葺
 建築面積:50㎡

 解説文:
  
木造2階建、切妻造、桟瓦葺、妻入の町家で、
  背後に平屋建の浴室が接続する。
  正面1階は庇をつけ、両側に男女別の脱衣室への出入口を設け、
  中央の出格子裏が番台である。
  男脱衣室から上る2階は和室2室で、肘掛窓に手摺がつく。
  浴室の内装は移築時の復原。

旧所在地:愛知県半田市亀崎町
解体年:昭和46年(1971)
移築年:昭和55年(1980)

知多半島の港町に建てられた風呂屋。
1階奥の浴室に置かれた浴槽は男湯と女湯がつながっていて、
目隠しだけで仕切られています。
銭湯は江戸時代以来、地域の社交場として欠かせない存在で、
湯上がりの常連客などは、2階に上がって雑談に時を過ごしました。
表構え、番台などに江戸時代の湯屋のおもかげをとどめています。
                (明治村HP)


      愛知県犬山市大字内山1番地4丁目 2023年10月27日

愛知・犬山 / 高田小熊写真館(明治村)

◎高田小熊(おぐま)写真館


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背後に和風の作業場が接続している。

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明治村高田小熊写真館
 国登録有形文化財
 明治41年(1908)建築
 構造及び形式等:木造2階建、鉄板葺
 建築面積:70㎡
 解説文:
  木造2階建、切妻造。
  鉄板葺屋根の北面に大きくガラス屋根を設けるのは、スタジオの採光である。
  外壁は柱形を見せる下見板張で、簡素な上げ下げ窓を開く。
  玄関部分は大正期の増築で、ショウウィンドウの腰を石貼とし、
  幾何学意匠のパラペット飾りを冠する。

 ※パラペットとは屋根上をぐるりと囲む装飾のこと

旧所在地:新潟県上越市本町
解体年:昭和56年(1981)
移築年:昭和57年(1982)

豪雪で知られる新潟県高田町に建てられた写真館。
明治時代の写真館といえば、文明開化の象徴のような存在でした。
この建物も例にもれず、ハイカラな雰囲気の建物。

施工はおそらく地元の大工によるものですが、洋風2階建てと全体的に簡素な造りながら、つい人目を惹く洒落た魅力があります。
増改築や模様替えをたびたび行いながら、昭和の時代まで写真館として営業を続けました。

1階は応接間と暗室、居室、2階には写場(スタジオ)が設けられています。

                        (明治村HP) 
          ーーーーーーーーーーーー

昔の写真館は、当時としては最先端の職業だけあって、
各地に残っているものは、どこもモダンな建物になっています。

解説文にもあるように、
照明器具が充実していないから、スタジオは2階にある事が多いです。
窓を大きく開けるなどして外光を取り入れています。
ここは屋根を開けてますね。


ついでに、各地で撮ったレトロ写真館を少しご紹介

「薮内写真館」佐賀県・佐賀市 明治44年(1911)建築

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「水尾写真館」香川県・善通寺市 大正時代建築
 
創業明治34年(1901)
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「恵美写真館」福井県・鯖江市 
明治38年(1905)建築
 
創業明治28年(1895) 
 
 現在は隣接した新店舗で営業。こちらは資料館的建物となっている。

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「旧金井写真館」新潟県・新潟市 明治38年(1897)建築
 
創業明治21年(1888)
 現在は「金井文化財館」という名称になっている。

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「佐藤写真館」岩手県・盛岡市 昭和3年(1928)建築

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「ライト写真館」岩手県・盛岡市 昭和8年(1933)建築

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旧陸軍の駐屯地などに、多かったようです。
写真館で写真を撮ってもらい、故郷に送ったのだそうです。

多くのレトロ写真館は、今も頑張って営業中。



   愛知県犬山市内山1博物館明治村内 2023年10月27日


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